1263話 想定外の襲撃者
「状況はッ!!?」
慌ただしく兵達が行き来する廊下を凄まじい速度で駆け抜けたテミスは、執務室の扉を開けると同時に鋭く問いを放った。
そこでは、既に万全の準備の整えられた室内と二人の副官が待ち構えており、音も無く一歩前に進み出たマグヌスが静かに口を開く。
「敵襲……と思われます。先刻を以て、ファントに駐留中の全部隊は戦時警戒体制に移行。ラズール方面の街道から進軍中の部隊に対して、専守防衛の構えを取っております」
「ラズール方面だと……? 部隊の規模は?」
「約一個軍団規模です」
「思われる……とはどういう意味だ? 脅威足り得ると判ずるに値する戦力を持つ部隊が、この町へ向けて進軍中なのだろう? よもや、大規模な商隊の可能性があるなどとは言うまいな」
「はい。彼等が戦いの為に用意された部隊であることは間違いありません。ですが、掲げられた団旗が魔王軍・第五軍団のものなのです」
「っ……!? 馬鹿なッ!!?」
端的に言葉を交わしながら執務室の中へと足早に歩み入ったテミスだったが、テミスの問いに正確に答えるマグヌスから告げられた報告に、思わず足を止めて声を荒げた。
魔王軍第五軍団……ファントの隣町であるラズールを治めるルギウス率いる軍団が責めて来るなどあり得ない話だ。
そもそも、魔王軍とはこのファントを融和都市として独立させる際に、相互協力関係を結んでいる筈だ。
加えて言えば、ルギウスとは幾度となく肩を並べて戦った戦友であり、ついこの間も酒を酌み交わす程度には信頼関係も構築できていたはずだ。
だというのに、これまで積み上げてきたもの全てを投げ打って進軍してくるなど、ルギウスの性格からして絶対に無いと言い切れる。
つまり……。
「偽装工作かッ!! よりにもよって、いったい何処の連中だッ!?」
「いえ。正真正銘、魔王軍第五軍団です。部隊の中に、兵達を率いるルギウス殿の姿も、副官であるシャーロット嬢の姿も確認されております」
高速で状況を整理し、テミスは偽装部隊であると導き出したが、マグヌスの静かな声が即座にその可能性を否定する。
「な……に……っ!?」
そこまで確認が取れているのならば、それは既に覆しようのない事実で。
しかし、あまりにも信じがたい事実に、テミスは驚愕を隠す事すら出来なかった。
あろう事か、あのルギウスが兵を率いてファントへと向かってきている。
テミスは逃れ得ぬその事実に、脳天を拳で打ち抜かれたような衝撃を受けると、部屋の中央に設えられている作戦卓の傍らまでフラフラと歩み寄り、崩れ落ちるようにして駒の並べられた天板の上に両手をついた。
「テミス様……如何致しますか? 相手があの第五軍団とはいえ、無視できる戦力ではない為、警戒態勢を敷きましたが今ならばまだ――」
「――駄目だ。これまで良好な関係を築いてきたとはいえ、それは無条件に進軍を受け入れる理由にはならない。現在ファントに残っている部隊は何処だ?」
「ハッ……先の斥候偵察任務に就いている第二・第三分隊と第一分隊から抽出した数名を除き、全部隊が稼働可能です」
「そこいらの連中ならば兎も角……第五軍団が相手では、現状の戦力で真正面からぶつかるのは厳しいな……」
だが、マグヌスが厳しい眼差しをテミスへと向けて問いかけると、テミスは迷う事無く首を振って即断し、両手を作戦卓の上に付いたまま、現実を噛み締めるかのように歯を食いしばって言葉を漏らす。
白翼騎士団をそのまま吸収した第六部隊のお陰で、偵察任務に出した者達を差し引いても、頭数は辛うじてこちらが上回るだろう。
しかし、数ばかり多い第六部隊は元より、第五分隊も他の分隊に比べて練度の低い冒険者将校が多く籍を置く分隊だ。数の欠けた第一分隊と第四分隊だけでは、簡単に敗北を喫する事は無いものの、双方に相応の被害が出る事を覚悟しなければならない。
「偵察に出た部隊が戻るまで、籠城戦で時間を稼ぎますか?」
「いや……そこまで攻めさせてやる必要は無いだろう。それに、敵拠点が隣のラズールなのだから、補給の枯渇も期待できない。問題は、部隊の帰還を待って遅滞戦闘に徹するか、現状の戦力で打って出るかなのだが……」
定石に基づいたマグヌスの案を却下すると、テミスは必死で思考を回転させながら、低く唸るような声で言葉を続けた。
実戦力で劣るのならば、有効な手立ては先手を打って奇襲を仕掛けるべきだろう。
第一撃目で少しでも多くの敵戦力を削ぎ落とし、僅かでもこちら側が優位に立つ事ができれば、取ることのできる手段も増えるはずだ。
「よし。では――」
「――ごめんなさいテミスッ!! まさかもう先に出ているなんてッ!! もっと早く部屋に呼びに行けば良かったわッ!!」
先手を打って奇襲を仕掛け、現状の戦力で迎撃する。
そう判断を下したテミスが口を開きかけた時。
バタバタと騒がしい足音を立てながら、息を切らせたフリーディアが謝罪と共に執務室の中へと飛び込んで来る。
その焦りに彩られた顔には、恐らくここまで全力を賭して必死に走ってきたのだろう、フリーディアらしくも無い球のような汗が浮かび上がっていた。
「……そういえば、お前はまだ病み上がりだったな。今のお前は、指揮官ではなく側付きだ。別に咎めはしないから無理をするな」
「で、でもッ!!」
「フム……兵を差し向けてきたとはいえ知らぬ仲ではない。理由も聞かずにこちらから襲い掛かるのも無粋か……。マグヌス、全部隊に通達。防御陣を敷いて迎え撃つぞ。ただし、指示があるまでこちらから攻撃を仕掛けるなと厳命しておけ」
そんなフリーディアの様子を見て、テミスはなにも話し合いの余地すら無い訳では無いと思い直すと、一度嘆息した後に改めて命令を発したのだった。




