1262話 平穏を裂く警鐘の音
カンカンカンカンカンッ!!! と。
平穏なファントの町にけたたましい警鐘の音が鳴り響いたのは、陽が昇ってからしばらく経った時だった。
朝の慌ただしい賑わいが終わり、落ち着いた雰囲気の漂い始めていた町の雰囲気は一変し、町の至る所から武装を身に纏った兵士や騎士達が、緊張した面持ちで飛び出していく。
「――ッ!!!!」
同時刻。
心地の良い朝の微睡みの中を存分に揺蕩っていたテミスは、突如として鳴り響いた警鐘の音に勢い良く飛び起きると、眠気の覚めやらぬ頭で素早く周囲を見回した。
そして数秒の後。
テミスは頭の中に残る眠気を弾き飛ばそうとしているかのように激しく首を振ると、バシリバシリと自らの両掌で頬を叩き、その双眸に鋭い光を取り戻す。
「敵襲の警鐘だと……!? 馬鹿なッ……!! 偵察部隊を出したばっかりだぞ!? 何の報告も聞いていないがッ……!!」
意識をしっかりと覚醒させたテミスは、混乱しそうになる思考を律するべく呟きながらベッドから立ち上がると、慌てて身支度を整えるべく自らの胸元へと手をかけた。
だが幸か不幸か、昨夜は着替える間もなくいつの間にか眠ってしまっていたらしく、掌に触れたのはしっかりとした制服の生地だった。
「クッ……!! せめて着替えくらいはしてから行きたいがッ……!!」
焦る気持ちのまま身に着けている衣服を確認すると、よくよく見てみれば僅かに崩れてはいるものの、元の生地のお陰なのか、一見しただけで違いが分かるほどくたびれてはいない。
唯一、走れば翻る程に長い髪に寝癖が付き、至る所が跳ねてしまっている事と感情的な面を除けば、身支度はできてしまっていると言えるだろう。
しかも今は、警鐘が打ち鳴らされる程の緊急時。
一刻も早く詰め所へと辿り着き、現状の把握に努める必要がある。
「えぇい……クソッ……!!!」
身体を震わせてその場で悩む事数秒。
テミスは忌々し気に吐き捨ててベッドの上に転がっていた帽子を引っ掴むと、ちょうど頭のてっぺんから触角のように跳ねていた髪を無理矢理押さえつけるようにして被り、大剣を肩に担いで窓を開け放つ。
そして、迷う事無く窓枠に足をかけてそのまま外へと飛び出すと、空中でクルリと身を翻して、警鐘にざわめく通りの真ん中へと着地した。
身だしなみなど二の次だ。
今はただ、全速力で詰め所に向かう事だけを考えろッ!!
「ふッ……!!」
内心でテミスが灼け付くような焦りに追われている一方で、その場に居合わせた人々は、突然上空から降って湧いたテミスの姿に、唖然とした表情で動きを止めて視線を奪われる。
皮肉にも、寝癖によって跳ねたままの髪はいつもよりも派手に広がってキラキラと陽光を跳ね返し、町を護らんと駆け出そうとする姿は神々しいまでの美しさすら纏っていた。
だが、テミス本人はそんな事など知る由もなく、いつにも増して自らへと突き刺さる視線に恥ずかしさすら覚えながらも、最速で詰め所へと向かう為に、軽く助走を付けて一気に屋根の上へと飛び上がった。
「クソッ……! クソッ……!! クソォッ……!! なんでッ……!! どうしてこんな日に限って敵襲など来るんだッ!!! 何処のどいつか知らんが、この借りもまとめて叩き返してやるから覚悟しておけッ!!!」
けれど、自分が寝起きの着の身着のままの格好で飛び出したという事実を知るテミスは、逃れ得ぬ神速で追い縋る羞恥心に頬を染めると、全速力で屋根の上を飛び移って駆けながら、何者かすら知らない襲撃者に恨み言を吐き続ける。
せめて、普段通りまともに就寝している日であったなら、このような無様な格好で飛び出す羽目にならなくて済んだものをッ!!
「…………」
しかしそんな恥ずかしさも、眼下で不安そうにざわめく人々の間を、叫び声と共に駆ける抜ける兵や騎士の姿を見ると急速に収まっていき、代わりに氷のような冷静さがテミスの胸の内に取って代わった。
そういえば、宿屋には昨日フリーディアの奴も来ていた気がするが……。
ふと思い出して背後を振り返ってみるも、テミスの瞳に映るのはたなびく自らの長い白銀の髪と、その向こう側で燦然と輝く太陽だけで。
「……まぁいい。どうせすぐに合流するだろう」
一瞬の沈黙の後。テミスは既に間近にまで迫った詰め所へと意識を向けると、最後の一歩で力強く屋根を踏み切って宙へとその身を躍らせる。
そしてその勢いを殺さぬまま、慌ただしく門の前に集結した兵達の頭上を飛び越えて中庭へと着地すると、脱兎の如き勢いで詰め所の中へと駆け込んでいったのだった。




