1260話 共に歩む家路
かくして。
同日の夕刻頃には部隊の編成と物資の手配などの準備が整い、新たな命令が各部隊へと向けて発せられた。
それを受けた兵達の中には、新たなる任に気合を滾らせる者も居れば、ファントの町を離れる事を惜しむ者、職人の使い走りなど騎士のする事では無いと憤慨する者も居た。
だが、一仕事を終えて帰路に着いたテミスがそんな事を知る由もなく、殆ど日が暮れた薄闇に響く賑やかな町の喧噪に身を浸しながら、傍らに続くフリーディアへと語り掛ける。
「なぁ……その、本気なのか? 今は宿舎だってあるだろう? 部屋代もタダという訳では無いんだ。わざわざ泊まりに来なくても良いだろうに……」
「いいえ。そうはいかないわ。私はテミスの側付きですもの。いつだって用事を聞く事ができるように側に居なくちゃ」
「業務時間外だ。側付きはあくまでも仕事。休みや仕事の外まで付き従う必要はない」
「なら、私がしたくてそうするの。テミス、貴女を見て、貴女と共に過ごし、貴女を理解し、貴女から学ぶ……それが今、私のすべきことだわ」
「っ……! ハァ……」
うんざりとした口調で告げるテミスに、フリーディアは何処か凄味のある笑みを浮かべてそう答えを返した。
そんなフリーディアに、テミスは一瞬だけ己が背に怖気に似た寒さが駆け抜けたのを感じながら、がっくりと肩を落として深い溜息を吐く。
フリーディアを側付きに任じて以来、彼女は驚くほど従順に、そして意欲的に仕事に取り組んでいる。
だがその一方で、懐き切った子猫のように何処へ行くにも私の後を付いて回りたがり、気付けばお早うからお休みまでべったりと張り付かれている日もある始末だ。
「ならせめて、店の邪魔にだけはならないでくれよ。一部屋を潰してしまっている私が言えたことではないが、ただでさえ部屋数が多くは無いんだ。宿として機能しなくなってしまっては非常に困る」
「そうかしら? お客さんが入れ替わったり空き部屋ができてしまうより、同じ人でもずっと泊まり続けてくれたほうが、お店としては嬉しいんじゃない?」
「……全員が全員、顔見知りじゃなければな」
諦めたようにそう応じたテミスの論を、フリーディアはさも当たり前のような表情で首を傾げながら、真っ向から斬り伏せる。
その理論はテミスであってもぐうの音も出ない程の正論であり、テミスは辛うじて苦し紛れに言葉を返しながら、胸の中で再び盛大にため息を零した。
全くもって厄介極まる女だ。
まさか、清廉潔白で高潔な白翼騎士団長様が、こうまで粘度の高いストーカー気質な一面まで持ち合わせていたとは。
しかも、こういった気質を持つ者達は総じて盲目的になりがちなのだが、フリーディアはこの性格を発症してからも、元来の聡明さは残っているのだからなおさら質が悪い。
「そういうものかしら……? あぁ……でも、言われてみればそうかもしれないわね。いつも同じ人ばかりしか泊まっていて部屋が埋まってしまっていたら、お部屋が空いても新しいお客さんが来てくれないかもしれないわ」
「っ……。あ、あぁ……そういう事だ。わかったのなら――」
「――だったら夜中まで待って、お部屋が空いている日だけお邪魔させて貰う事にするわ。それならお店も迷惑じゃないでしょう? どうせ貴女が寝るまではお手伝いするつもりだし、テミスは朝遅いから、そこから宿舎まで戻っても私も十分に休めるもの」
「……もう好きにしてくれ」
刹那。与えられた希望は幻だった。
テミスの言葉を拡大解釈したフリーディアが納得したかのように頷いたため、テミスは好機とばかりにその意に乗って口を開きかける。
だが、フリーディアはテミスの言葉を制して言葉を重ねると、にっこりと満面の笑みを浮かべて自らの中で結論付けてしまう。
その案では、フリーディアが真夜中に一人で帰る事になるし、そんな事をあのマーサさんが許すはずも無いのだが……。
もはや何を言っても無駄だと諦めたテミスは、ひらひらと手を振って早々に撤退を決め込んだ。
一応隙を見て、フリーディアがこうなってしまった経緯をかいつまんでマーサさんに話しておこう。そうすればきっとあの人の事だ、悪いようにはしないだろう。
「さて……」
「今日は確かお肉よね? だったらいつものお店よりも、二本先のお肉屋さんの方が良いお肉を安く買えると思うわよ?」
「フリーディア」
「ん……? 何?」
「その情報は有難い……が。何も言っていない筈なのに、何故私のお使いのスケジュールまで完璧に把握しているんだ……」
「側付きだもの。これくらい普通でしょう?」
「…………。ハァ……」
最早、側付きを熟練のメイドか何かと勘違いしているとしか思えないフリーディアの言動に、テミスは言葉を交わす事を早々に諦めると、フリーディアを連れたまま重たい足取りで商店区画へと足を向けたのだった。




