1256話 悲劇の過日
「……これで、良いのだろう?」
テミスの激烈な命令を受けたサキュド達が、地下牢の最奥区画から立ち去ると、マモルは静かな口調でおもむろに口を開いた。
その微笑を浮かべて口元は、相も変わらず全てを見透かしたような雰囲気を醸し出していて。テミスはいけすかないマモルの態度に少しだけ苛立ちを覚えるが、抜き放った大剣をゆっくりと背に収めながら言葉を返す。
「あぁ、私の腸が怒りで煮え滾っている事を除けば……な」
「それは必要経費というものさ。特に君の連れて来たあの金髪の娘……彼女はとても賢い。中途半端な芝居では見抜かれてしまうだろう」
「チッ……!! いちいちお前の手など借りずとも人払い程度簡単にできたッ!」
「そうだね。けれどそれをすれば、君は少なからず部下達に疑念を持たれることになるはずだ。……違うかな?」
「貸しでも作ったつもりか?」
「いいや。無意味な問答にわざと自分を挑発させるかのような言い回し。君がいったい、仲間達には聞かせられなくて、俺と何を話すつもりなのか興味があってね」
「…………。フン」
怒りのままにマモルを鋭く睨み付けながら放たれたテミスの問いに、マモルは余裕に満ちた態度を崩す事無く答えてみせた。
一方でテミスも、全て正鵠を射ているマモルの答えに一つ鼻を鳴らすと、肩で牢の鉄格子へともたれ掛かりながら、ゆっくりと口を開いた。
「少しだけ、昔話をしたくなっただけさ」
「ほぅ……? 昔話と」
「……あぁ。ここから先は、黒銀騎団の長でも、ファントを治める者でもない、ただの私としてお前に問う」
「…………」
「あの世界でアンタは……何で死んだんだ? いつ? どうやって?」
「意図が分からないね。それを知った所で、君には何の意味もあるまい」
テミスはまるでどう話を切り出すか迷うように、眼前の薄い暗闇の中を視線を左右させた後、自らの胸の奥底に封じ込めていた寂寥の思いを言葉に乗せて問いかける。
恐らくこの男は、私がこの世界へと流れつく前に、先達として教えを乞うたあの男で間違い無いのだろう。
けれど自分とは異なり、あの吐き気がするほどに淀んだ世界の中を飄々と、強かに生き抜いていたはずマモルの末路を、テミスは問わずに居る事はできなかった。
「……確かに、安全な仕事では無かった。けれど、そう簡単に命を落とすような職務でも無かったはずだ」
「っ……!! 君は、もしかして……」
「勘違いはしないでくれ。今の私はあくまでも私だ。けれど……そうだな。あえてアンタに報告するというのなら……」
悠然とした笑みを浮かべたマモルがテミスの問いを鼻で嗤うと、テミスは静かに目を瞑って大きく息を吐く。
そして、何かを決意したかのようにゆっくりと目を開くと、婉曲な表現を辞め、はっきりとした口調で一歩切り込んでいく。
すると、その一言で何かを察したマモルは驚きに目を見開いて息を呑み、皮肉気な笑みを浮かべながら言葉を続けるテミスへと顔を向けた。
「私はアンタのようにはなれなかったよ。目の前の罪無き人たちを救う為に悪人を殺して……自分も破滅した」
「やはりッ……!! っ……その事件なら知っているとも。随分とニュースになっていたからね。君のその後も含めて」
「ククッ……だろうな。ただでさえ記者連中が喧しかったというのに。記事にするにはうってつけだ」
「……君の想像とは少し違うと思うよ。君の死後。君の行いが正しかったという声が噴出してね。君を生贄にした警察の対応に批判が殺到したんだ」
「ハッ……相変わらず随分と勝手な連中だ。死んでまで、悲劇の英雄に祭り上げるか」
沈痛な表情で語るマモルにテミスは皮肉気な笑みを浮かべると、忌々し気に吐き捨てるように笑い飛ばしてみせる。
結局の所。多くの人々にとっては、本当の正しさなんてものはどうだってよかったのだろう。
自分達の感情のままに、自分が最も酔いしれる事の出来る都合のいい正義だけを妄信する。
その結果何処か遠くで何が破滅しようと、それは正義の為の貴い犠牲に過ぎず、悲劇を彩る美談として貪られるだけだ。
「全く……皮肉なものだよ。何処か雰囲気が似ているとは思ったが……。そうか……そうだったのか……」
「私とアンタの反りが合わないのなんて今更だろう? それで? 私の質問には答えてくれないのか? その事を知っているというのなら、少なくとも私よりは長生きをしたんだろ?」
「っ……。そうだね。君が語り聞かせてくれたのなら、次は私の番だ」
思う所が無い訳では無い。
きっとこの話を、この世界に来たばかりの時に聞いていたら、やるせない思いと理不尽への怒りで発狂してしまっていたかもしれない。
けれど、今の私にとってそれは既に過ぎ去った過日。振り返る事はあったとしても、一度手放した人生がどうなっていようと、どうこう言うつもりは無い。
そう声高に宣言するかのように、テミスは皮肉気な微笑を浮かべ、揺ぎ無い意志をかつての先達へと見せ付ける。
そんなテミスに、マモルはくしゃりと表情を崩して疲れ切ったような笑顔を見せると、穏やかな声で口を開いたのだった。




