11話 持たざる無垢な騎士
「ご馳走さん! 今日も美味かったよ」
「ありがとうございましたぁ~!」
窓の外が闇に飲まれた頃、常連のお客さんがアリーシャに礼を告げながら店から出ていく。
「……はぁ……」
俺は壁にもたれながら、ようやく空き始めた店内をざっと見渡す。店内にはバニサスとその同僚がテーブルを囲んでいる他、数人のお客が食事を楽しんでいた。
「……不思議な場所……だな」
あの戦争の無い元の世界であっても、ここまで異種族が違和感なく共存しているシーンを見ることは少なかった。
言語や体付き、そして人種など……。俺の周りに居た連中は特にそういう事を気にする性質なのか、ガタイの良い外国人に気後れしたり、片言な言葉を話す留学生を特別視したり……何度か彼等のように共に酒を飲んだ事はあっても、あんなに心からの笑みは浮かべた記憶はない。
「……ちゃん」
この世界にも、魔族を憎む人達は居る。きっと、魔族の中にも人間を恨む者達は居るのだろう。
「なら……私は……?」
どちらの種族に恨みも無い。あるのは、フリーディアやアトリアへの恩や、この町の人たちとの繋がり、そして……。
「テミス! ぼっとしてんじゃないよ! バニサスさんが呼んでんよ!」
「はっ……はいっ!」
マーサに雷を落とされて現実に意識を戻すと、視線の先でバニサス達が笑顔を浮かべていた。
「申し訳ありません! オーダーをお聞きします!」
「あ~……いや、注文じゃないんだ。なんつーかその……何かあったのかい?」
「えっ……?」
何故か苦笑いを浮かべたバニサスが申し訳なさそうに頭をかきながら口を開く。
「いや、なんか悩んでるように見えたからよ……それに俺達の方見てたし……なんつーか、テミスがこの町で初めて会った縁だ。俺らで良けりゃ話くらい聞くぜ?」
「あっ……」
改めてテーブルの面々を見回すと、確かにこの町に来たあの日に門の所で見た顔が並んでいた。彼等に見抜かれるほど考え込んでしまっていたのか……。
「マーサさん! テミスちゃんの事、ちっと借りても良いかい? あと何か飲み物一つ!」
「ダメだよ! ウチはそういう店じゃないんだ! ……って言いたい所だけどね。仕方ないか……テミス! 今回こっきりにしなね」
「は、はい……」
半ば呆然としている俺を置いて、話がどんどん進んでいってしまう。前にもこんなことがあった気がするが、今回は何故か嫌な気はしない。
「んで、どうしたのよ? 恋の悩みか?」
マーサが持ってきてくれたジョッキを俺の前に置きながら、笑顔を浮かべたバニサスがおどけた口調で促してくる。
「いえ、そんなことは……」
果たして、俺がそんな感情を抱く日が来るのだろうか? ガワは女でも俺自身はそのままな訳で……ならば恋愛対象は……。
「おお? 考えこんじまうって事は……」
「ち、違います!」
邪推を始めた衛兵たちに釘を刺しながら頭を回す。衛兵と言えば人間達と戦闘をする事もあるだろう。もしかしたら、死者だって出ているかもしれない。数日考えても答えが出ないのならば、いっそ聞いてみるのも手だろう。
「……皆さんは人間……あちら側の人たちの事、どう思いますか?」
慎重に言葉を選びながら重い口を開いて問いかける。多少顔見知りになったとはいえ彼等は衛兵。下手な事を口にすれば監獄行きだってあり得ない話ではない。
「あ~……やっぱりそういう事よね……」
「やっぱり……?」
先ほどまでの笑みを苦笑いに変えてバニサスが手元の酒を一口、口に含む。
「テミスはアレだろ。魔王領は地獄って聞かされてたクチだろ。……んで、向こうに友達も居る」
「っ……」
「あ~、あ~。んな顔すんなって。尋問じゃないんだからよ。旅人なんだ、向こうに友達の一人や二人居らぁね」
伏せていた本質を見抜かれて凍り付くと、降参するように両手を上げたバニサスの目に優しい光が宿る。
「そらそうさな。とんでもねぇ所だって聞いてた町で行き倒れたと思ったら、マーサさんに拾われて……こうして俺らと飯食ってる。戸惑うのも無理はねぇ」
「……解らないんだ」
バニサス達の雰囲気に誘われてか、店員としての口調を忘れて語り始める。
「もしも今戦闘が始まって、彼女たちが攻めて来たら……私はいったい、どうするべきなのか……」
フリーディア達と共にバニサス達と戦うのか? それとも、逆にバニサス達に混じって彼女たちに剣を向けるのか。もしくは……。
「ハハッ。テミスってやっぱ、見た目通り真面目なんだなぁ……」
バニサスの同僚の衛兵がこらえきれなくなったかのように噴き出して続ける。
「そりゃ確かに、テミスにしか決めらんねぇ事だぁな。懐かしい悩みだねぇ……」
「懐か……しい?」
「ああ。コイツはもともとあっちの出身でな。向こうでの暮らしに窮してこっちに来たんだ。お前ん時は酷かったよなぁ? 給金の殆ど酒につぎ込んで……」
「う、うるせぇな……若かったんだよ」
首を傾げる俺にバニサスが説明をして少し言い合った後に笑い合う。
「テミスちゃんは俺達みたいな衛兵でも、バルド様みたいな軍人でもねぇんだ。そういう嫌な事ぜ~んぶ俺らに任せて笑っててくれりゃぁ良いんだよ。って、言っても……」
言葉を区切ったバニサスが眉をひそめて後頭部を掻く。この言葉が本心だからこそ、慰めにすらならない事を知っているのだろう。
「戦うしか……ないのか?」
迂闊な言葉が口を衝いて出る。もしここにもう一人冷静な自分が居たなら、殴ってでも止められていただろう。
「……俺達もそう思うさ。あくまでも衛兵は……だがな」
「……すまない」
当り前だ。好き好んで戦火に身を投じる奴なんて居ない。そんな者が居るとすれば唯の狂人か暴力を浴するクズ、もしくは……。
「信念のある者……」
少なくとも、あちら側で騎士団に所属しているフリーディアはそんな人間には見えなかった。きっと彼女も、譲れない何かがあるのだろう。
「そう言う事だ。どうするかはテミスちゃんの信念……テミスちゃん自身が決める事だ」
「ハハッ、珍しくクセェ事言うじゃねえの。酔ってんな?」
「うるせぇよ。真面目に話してんだ、茶化すなって。まぁ……アレだ。俺達としちゃ、テミスちゃんみてぇな子が軍や自警団に入るよりも、安全な宿屋で笑ってメシ作ってくれた方が嬉しいね」
顔をほんのりと赤らめたバニサスは二カッと笑うとそう話を締めくくり、手に持ったジョッキを一気に呷った。
「……料理を作っているのはマーサさんですけどね」
「ククッ……確かにそうだ。まあ、なんだ。少しでも力になれたのなら良かったさね」
「はい。ありがとうございます」
テミスは笑顔を浮かべてバニサス達に礼を言う。
答えが出た訳じゃない。そもそもバニサス達は俺が戦えることを知らない。故にこの問答は、端から相談などというものじゃなくて、唯の親交を深めるための儀式だ。
……けれど。バニサス達はきっと、俺が戦えることを知っていても同じ答えを返しただろう。何故かはわからないけれど、そんな気がする。
「んじゃ、あんまり長居しても迷惑だからな。夜の仕込みもあるだろうし……そろそろ失礼するとするか」
「あ、ありがっ――」
そう言って席を立つバニサス達を見送るために立ち上がり、言い慣れた見送りの言葉を呑み込む。
「ありがとう‥…また、来てくれ」
するりと自然と口から出た言葉は、接客としては落第も良い所だ。
それでも、少しばかりの悩みを打ち明け、それに対して道を示そうとしてくれたバニサス達に、あの世界のマニュアル言葉は使いたくなかった。だから、精一杯の笑顔と感謝を言葉に込めたのだが……。
「っ……おう! また明日な」
一瞬二人は目をしばたかせると、何故か照れたような笑みを浮かべて手を振り、店の外へと去っていった。
「悩みは、解決したのかい?」
「……いえ。でも、すごく楽になった気がします」
カウンターから出てきたマーサにそう告げて、テーブルを片付けに戻る。そう言えば、奢ってもらった飲み物を一口しか飲んでいなかった。
「……アンタの事を聞いた上で言うとね」
背中から、気遣わしげなマーサの声がそう前置くと言葉を続ける。
「前の世界がどうとか、こうあるべきだとか……考えすぎなんだよテミスは。もっと自分がどうしたいのか……何をしたいのかを考えな」
「はい……」
「ん、よし。アタシらの食事を持ってくるからそのテーブル頼むよ。ああ、貰ったモンはちゃんと飲みなね」
マーサの助言に何とか返事を返すと、彼女はいつもの調子に戻ってキッチンへと踵を返していった。
「私の、したい事……」
結局はそこへ立ち返るのだ。俺がこの世界で何をして、どう生きていくのか。仮に魔王とやらが善良だったとして、魔王に与して戦いに身を投じるのが正義なのだろうか。
「…………」
食器をカウンターの中にあるシンクへ置いて、バニサスに貰ったジョッキを一気に飲み干す。
「フリーディアと戦う……?」
飲み干したジュースが顎を伝ってシンクに落ち、ポタリと音を立てた。
法律なんて存在しないこの世界で、恩あるフリーディアに剣を向けてまで貫く正義が今の私にあるのだろうか?
「テミス~?」
「っ? アリーシャ、どうしたんだ?」
「母さんがご飯食べ終わったらお使い行って来てって」
「わかった」
キッチンから顔を出したアリーシャから銅貨を受け取って頷く。
「あいよ、あがりっ! テミス悪いけど頼むよ」
料理のプレートを抱えたマーサが姿を現し、全員で席に移動するとアリーシャが声をあげた。
「あれれっ? 今日も豪華だね?」
「最近皆が多めにお金を落としてってくれるからね。それに、腹が減ってると考え事も上手くいかないさね」
「そだね! んじゃ……」
「いただきます」
二人の心遣いに感謝しながら頷いて手を合わせる。
「そいえばテミス、バランさんと知り合いなんだね?」
「バラン……さん?」
口に入れた子牛の肉を呑み込んでからアリーシャに首を傾げる。
「ホラ、通りにある雑貨屋の」
「ああ……」
通りの雑貨屋と言えば、この町に来て最初に立ち寄ったあの店だろう。
もしもこの町に留まるのなら、結果としてあの店の主人には嘘をついたことになってしまう。
「そうなったら……謝りに行かないとな」
「ん? あやまる?」
「ああ。良い外套を安値で売ってくれたんだ。だが、それは私が旅人だったからだろうし……」
この宿で世話になって暮らすなら、俺はあの外套に相応しい主人ではなくなるだろう。あの店の主人は旅をする俺にこそ、あの外套を売ってくれたのだ。
「……さっさと食べちゃいな。店はいつもの時間に開けるから時間に余裕はあるけど、あんまりノンビリしてて遅れるんじゃないよ?」
「は、はいっ!」
止まった食事の手を進めながら、やるべき事と残りの時間を照らし合わせる。来るかもわからない未来の事を考えるよりも、今は自分に課された仕事を成さなければ。
「では、行って来ます」
「頼むよ」
他愛もない会話を交わしながら少し豪勢な夕食を食べた後、夜の部の準備を始めた2人に声をかけてから外に出る。
頬に当たる夜風が心地よく、日が暮れたばかりの通りは昼とは違った賑やかさを見せていた。
「この時間に出歩くのは初めてか……」
程よく長いスカートの裾を軽く翻して、人混みの中をすり抜けていく。行き交う人々も皆が示し合わせたような暗色のスーツではなく、軽鎧を身に付けていたり外套を羽織っていたりと、眺めているだけでもなかなかに楽しめそうだ。
「ま……今や私もその一員か」
一人称を意識してぼそりと口を開く。もう俺はこの世界の住人であって、成田正義じゃない。あの時風呂で痛感したように、この先の未来がどう転んだとしても、『私』が『俺』に戻る事はないのだ。
「んっ……?」
ふと、路地裏から子供の声が聞こえてきて立ち止まる。なにやら揉めているような感じだが……。
「どちらにしても、無視する訳にはいかないか……」
軽くため息を吐きながら、路地裏へと足を向ける。日が暮れた後も遊びたい気持ちは解るが、子供の活動時間は陽の当たる世界のみ。ましてやここは最前線の町、平和に見えていても危険な事なんていくらでもある。
「おい。こんな所で何をしている?」
「っ……。っ…………。――」
暗がりに声を投げかけるとピタリと言い争っていた声が止み、かわりにボソボソと相談する音が漏れ聞こえてきた。
「やんちゃも結構だがもう夜だ。早く家に――っと」
薄暗い路地の奥へと歩きながら語り掛けると、人間の子供たちが一斉に脇をすり抜けて逃げるように通りへ駆けていく。
「……やれやれ」
散り散りに逃げていく子供たちを見送り、少し開けた空間になっている前方へ視線を戻して、ため息を吐いた。
そこには、小さな魔族の女の子を背に庇って立っている、同じ年頃の人間の男の子の姿があった。
「大丈夫か?」
「……別に」
「そうか」
傷の具合でも見るべきかと問いかけると、少年は拗ねたようにそっぽを向いて短く答える。それだけ強がれるのならば大丈夫だろう。
「彼女の前で格好付けたいのはわかるが、その結果負けては意味が無いぞ? 逃げても守る事ができたのなら――」
「……逃げれるかよ。こいつと……父ちゃんと約束したんだ。悪いことしている奴等には負けないって、こいつのヒーローでいてやるって」
「っ……」
私の野暮な煽りを受け流して、少年が挑むように目を合わせてくる。
強く、そして優しい目だ。この少年はきっと逃げられなかったのではない。逃げなかったのだ。父との約束のため、背に庇った未来の恋人との誓いのため。
「これは失礼した。勇敢な騎士殿」
薄暗い路地裏の中で、輝かんばかりの強い志を宿す少年に道を譲ってから、いつか見た映画の騎士の如く礼をしてやる。
「……ば、ばっかじゃねーの? ホラ、行くぞ」
少年はそう言いながらも少し頬を赤らめながら魔族の少女の手を取ると、私が譲った道を通って表通りへと去っていく。ただ、すれ違いざまに二人して軽く一礼をしてから。
「……そうだったな」
少年と少女の後ろ姿を見送りながら、ボソリと呟く。少年の真っ直ぐな目に触発されたのか、いつの間にやら心は決まっていた。
「いや……答えは決まっていた。ただ目を背けて立ち止まっていただけ」
ゆっくりと表通りに戻りながら、狭く切り取られた夜空を見上げる。
悩む? 選ぶ? 私はまだ、そんな段階に立っちゃいない。ただひたすら『もしも』を積み重ねて怯えていただけ。
私はアトリアに何と言った? フリーディアになんと宣言した? ただ進んで、確かめてから悩めばいい。
前を見据えて表通りに戻り、お使いの目的地である肉屋を目指す。
今日の仕事を終えてから、旅立つ事を二人に話そう。前に進んで、決めた事に後悔しないように……。
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