1252話 新たな一歩
浄化作戦と銘打たれた執務室の大掃除は、五日という長い時間をかけて完遂された。
その原因としては、部屋自体に染み付いてしまった煙草の臭いを抜く為に外気へと晒したり、大掃除の間も上がってくる通常の仕事を片付けながらの行程となった所為でもある。
だが、最も時間を食われたのは、使用不可能になった食器や一部の家具を新たな品へと変える作業で。
注文から搬出・搬入には、丸一日かかった事もあった。
しかし、時間をかけた大仕事だった甲斐もあり、隣接するサキュドの私室共々大掃除は完了し、早々に大喜びで自らの私室へと飛び込んでいったサキュドを除いたテミス達三人は、装いを新たにした執務室の中で、達成感に包まれながら人心地を付けていた。
「漸く……だな……」
「はい……! 確かに取り戻しましたッ……!!」
新調した椅子に身体を預けたテミスが感慨深げにそう零すと、マグヌスが新しい茶器で淹れたコーヒーを差し出しながら、力強く頷いて応える。
そんなテミスの隣には新たにもう一つ、フリーディア用の執務机が用意されており、そこでは疲労困憊といった様子のフリーディアが、ぐったりと椅子にもたれ掛かっていた。
「本当……たかだか掃除だと侮っていた数日前の私を引っ叩いてやりたいわ……」
「フ……お前もご苦労だったフリーディア。お陰でこうして、またこの部屋で執務に励む事ができる」
「良く言うわよ。どうせほとんどこっちに押し付ける気でいる癖に。でも……本当に良かったの? 執務の経験があるとはいっても、側付きの私にこんな机まで与えて……」
「良くない訳があるものか。今のお前は私の旗下なのだ。仕事に必要なものを用意して何が悪い」
「っ……! それは……そう……なのだけれど……」
「それとも何か? 自分の席など持たず、立ったまま仕事がしたかったか? そういう趣味があるのならば特別止めはしないが……。それでは色々と辛いだろうし、仕事にも支障が出ると思うが……」
「そんな訳が無いでしょうッ!? 私は立場やあなたの配下の皆の事を考えて言っているのよ」
疲弊しきった体を起こして口を開いたフリーディアに、テミスが肩を竦めてそう言葉を返すと、フリーディアは僅かに頬を紅く染めてモゴモゴと口ごもる。
そこに、皮肉気な笑みを浮かべたテミスが言葉を重ねると、フリーディアはたちまちいつもの調子を取り戻して立ち上がると、自らの机をバシンと叩いて語気を荒げた。
「文句など言わせんさ。いや……私の側付きならば、言わせぬくらいの仕事ぶりを見せ付けてみせろ」
「テミス……貴女……」
「……どうぞ。こちらも新しく仕入れた豆ですので、違った味わいが楽しめるかと」
「あ、ありがとう。マグヌスさん」
「いえ。側付きを務められる以上、貴女もまた我等の一員。テミス様はきっと、そう仰りたいのでしょう」
「……!! チッ……。っ……。マグヌス、もう一杯だ」
「ハッ……只今」
勢いを取り戻したフリーディアに、テミスがゆったりとコーヒーを啜った後、悠然とそう言ってのけると、いつも通りの皮肉交じりながらも、何処か柔らかな印象を受けるテミスの言葉に、フリーディアは小さく息を呑んだ。
その眼前に、静かに言葉を添えながらマグヌスがコトリと軽い音を立てて暖かな湯気をあげるコーヒーを置くと、フリーディアはピクリと肩を微かに跳ねさせてマグヌスへと意識を向ける。
だが、直後にニヤリと意味深に破顔したマグヌスが、目線だけでテミスを示しながら言葉を続けると、今度はテミスが頬を朱に染めながら身を震わせ、手にしていたコーヒーを一気に呷ると、マグヌスを睨み付けて申し付けた。
「…………。ふふっ……」
つっけんどんに言い放ったテミスの命令が、どう見ても照れ隠しであるのは一目瞭然で。
それでも、テミスが決してマグヌスの言葉を否定しなかったことに、フリーディアはじんわりと心が温かくなっていくのを噛み締めると、マグヌスに差し出されたカップへと視線を落とす。
そこにあったのは、いつも出されていた来客用の無地のカップではなく、フリーディア専用であることを示す、黄金色の意匠が施されたもので。
テミスに用意する事を伝えられて以来、初めて手にする自らのカップをじっくりと眺めた後、フリーディアはにっこりと微笑んで静かに口を付ける。
「……言われなくても。貴女の側付きとして、期待には応えてみせるわ」
そして、暖かなコーヒーに熱された吐息と共に、フリーディアは誰にも聞こえない程の小さな声で、ボソリと呟いたのだった。




