1245話 無垢な戯れの如く
一撃目から、その戦いを見つめる誰もが痛感する程に、挑戦者とサキュドの間に横たわる実力差は隔絶していた。
雄叫びと共に猛々しく剣を振り上げ、力強く胴を伸びあがらせて放たれた一撃を、サキュドは僅かに身体を傾がせただけで、その場から一歩たりとも動く事なく躱してみせたのだ。
だが、空を切った刃が地面を食もうとも、男は構う事無く、返す太刀でサキュドの左腕を狙って切り上げる。
その追撃すら、サキュドは口元に怪し気な笑みを湛えたまま軽くあしらい、再び伸びあがった男の身体を上目遣いで見上げながら、クスクスと嗤い声を漏らす。
「チィッ……!! やり辛れぇッ!!! ただでさえ身体が小せえってのに小賢しく躱しやがってッ!!」
「クスッ……フフフッ……!!」
「魔族風情が何を笑ってやがるッ!! 鬱陶しい奴めッ!! やる気がねぇってなら俺の邪魔をするなッ!!」
「やる気……ねぇ……」
苛立ちを吐き捨て、歯を食いしばって剣を振るう挑戦者を間近で眺めながら、サキュドはただ笑い続けた。
そこに、害意や怒りなどという感情は欠片たりとも含まれておらず、隔絶した実力差が作り出す余裕からくる純粋な愉悦のみが、艶やかに声色を彩っている。
続けてたっぷりと数合打ち込んだ男が、まともに取り合わないサキュドに業を煮やして気炎を上げた時。
それまでただ笑っていただけのサキュドが、事も無げに口を開いた。
「貴方は、足元で勇敢に鎌をもたげている虫にも、そうやって猛々しく気炎を上げて剣を抜くの?」
「何ィッ!? テメェッ!! 今なんて言ったァッ!?」
「クスッ……クスクスッ!! 本当……チキチキキチキチと良く鳴くわ……。けれど貴方、解っているのかしら? 今の私が思い立つ事なんて、目の前の虫を捻り殺す事くらいなのだけど」
「抜かせェッ!!!」
まるで年端も行かない子供のような容姿。しかし、その口から放たれたのは途方もない高みから見下ろすが如き言葉だった。
別にサキュドは、公然と挑戦者の男の事を虫と揶揄した訳では無かった。
けれど、その身から溢れる余裕が、半月状に歪められた唇から奏でられる笑い声が、弄ぶかのように斬撃を躱すしなやかな動きが、何よりも雄弁にサキュドの言葉に込められた真の意味を物語っている。
自分にとって、お前は虫に等しいと。
それがさも当然であるかのように、武器すら持たない幼い少女然とした姿のサキュドに、武装を固めた大の男が、嘲笑われながらそう告げられたのだ。
怒りと苛立ちで頭の煮立った挑戦者の男が、そんな燃料を叩き込まれて激怒しない訳が無く。
変わることなく怪し気に嗤い続けるサキュドへ向けて、挑戦者の男は怒りに狂った絶叫を迸らせながら、確かな殺意を込めてサキュドの脳天へと向けて剣を叩き込んだ。
「フフッ……まずは鎌」
直後。
響いたのは肉を切り裂く生々しい音ではなく、愉し気に奏でられた笑い声だった。
そして遅れて、ゴギリッ!! という耳を塞ぎたくなるほどに嫌な鈍い音が空気を揺らす。
「がッ――!? あがッ!? ギィやあああああぁぁァァァッッ!?!?」
更に僅かな静けさの後。
自らの手元の異常を知覚した挑戦者の男の悲鳴が、中庭いっぱいに響き渡る。
その場に居合わせたほとんどの者が、サキュドの動きを目で追う事ができないまでも、何をしたのかだけは理解していた。
手首から拉げ、僅かに伸びたようにぶらぶらと垂れ下がる手首。その手に握られていたはずの剣は、相対するサキュドの手に握られている。
そう。サキュドはただ背伸び気味に手を伸ばして、無造作に挑戦者の男の手から剣を毟り取っただけ。
ただそれだけで、鍛え上げられたはずの男の手は拉げて壊れ、見るも無残な姿へと形を変えてしまったのだ。
「ヒッ……ヒィッ……!? なん……なんでッ……!?」
「……酷い剣。剣の癖に血の一滴も吸っていない、ただ埃に塗れて見栄え良く磨かれただけの玩具じゃない」
「あがッ……!! ぁぉッ……は……反則だッ!! テミス様ァッ!! 見て下さい! 手がぁッ!! 俺の手がッ!!」
「…………」
「んふふ……何を喚いているの? 消し崩された訳でも無いのに。その程度、再起不能なんていう訳ないじゃない。あそこに居るヴァイセなんて、腕を斬り落とされても今じゃピンピンしてるわ?」
奪い取った剣に指を這わせながらゆっくりと近付くサキュドに、男は悲鳴と共に拉げた腕を突き付け、戦いを見ている筈のテミスへと助けを求める。
だが、男の必死な叫びにテミスが言葉を返す事は無く、その代わりとばかりに、ニンマリと頬を歪めたサキュドが、表情に似合わぬ優し気な声で答えを返した。
そして。
「それよりも……知っているかしら? 生意気な虫から鎌を奪った次は、足を毟り取るのだそうよ?」
「びッ……!? お……ぎぃやああああああああああァァァアッッ!!!」
サキュドは涼やかに言葉を続けると、立ち尽くす挑戦者の男の両太腿を貫くように、ぞぶりと彼の剣を突き立てたのだった。




