1233話 夢うつつの葛藤
騒動を収めてから数時間後。
テミスは日の暮れ始めたファントの街路を、一人フラフラとした足取りで家路へと就いていた。
運の悪い事に、商人の男を伸した直後にようやく現れた衛士の男は、とても職務に忠実で勤勉な性格の者だったらしく、例えテミスといえども……否、テミスであるからこそ、事情聴取から逃れる事はできなかった。
故に。昼を少し過ぎる辺りまで時間を潰すはずだったテミスの予定は大幅に狂い、こんな日暮れ間近の時間まで、長々と状況や事情を事細かに説明させられる羽目になったのだ。
「う……ウゥッ……。流石に……眠い……」
詰所で意図せず取ってしまった睡眠で回復した体力などとうに消し飛び、テミスは襲い来る眠気に必死で抗いながら呟きを漏らした。
そんな、急速に萎れていくテミスの様子に気付いた衛兵の一人が、あの魔族の冒険者と交わした約束の案内を引き受けてくれたのだけは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。
尤も、彼等がテミスの口利きで店を訪れたのだという事を証明する為に、紹介状を準備する手間が増えたからこそ、これ程まで時間がかかってしまった訳だが。
「ハハ……懐かしい……な……」
テミスの家でもあるマーサの宿屋まであと少し。
丁度ファントの町の中央広場へと辿り着いた所で、テミスはふと足を止めてクスリと小さく笑みを浮かべる。
この場所で初めてマーサに出会ったあの日も、こんな酷い寝不足を抱えて歩いていた。
もしもあの出会いが無ければ、間違いなく今の私は無かっただろう。ともすれば、ヤマトの町を創ったアーサーのような凶行に走っていたかもしれないし、魔王城のあるヴァルミンツヘイムまで辿り着く事すら出来ずに、野垂れ死んで居たかもしれない。
「……少なくとも、こんな不調でリョース達とやり合うのは御免だな」
眠気に満ち満ちた頭の中で、テミスは魔王城へと殴り込んだ日の事をぼんやりと思い浮かべると、唇を自嘲気味に歪めて空を仰いだ。
今思い返してみれば、あの戦いとて紙一重だったに違いない。
ただの人間の小娘である私を端から殺すのではなく、捕えるつもりだったのだろう。
そうでなくては、一人ですら苦戦を強いられる軍団長クラスの実力者三人を相手に、善戦する事など出来なかったはずだ。
「運命などという物は信じてなどいないが……」
霧に煙っているかのようにぼんやりと霞んだ頭で、テミスは中央広場を眺めながら、その片隅で佇んだまま物思いに耽る。
強いて言うのならば縁。
マーサさんやアリーシャ達と出会えたのは、彼女たちの優しさが紡いだ縁だろうし、一時の事とはいえリョース達と肩を並べて戦ったのは、彼等の思慮深さが紡いだ縁といえる。
ならば……。
「……フリーディア」
ぽつり。と。
柔らかな夕陽が照らす中、テミスはどこか悲し気にその名を口にした。
マモルを討ったあの日以来、テミスはフリーディアと一度も顔を合わせていなかった。
そもそも、フリーディア自身あの場に駆け付ける為に相当な無理をしていたし、あの日以来私も書類仕事に忙殺されて顔を見に行く暇もない。
それに、彼女を斬った張本人である私が斬られたフリーディアを見舞いに行くのもおかしな話であるし、顔を合わせぬのを良い事に、彼女の処分も先送りにしているのだ。
「ハッ……」
今更、どの面を下げて会いに行けというのだ。
口にこそ出さなかったものの、テミスは唇を歪めて皮肉気な笑みを浮かべ、胸の内で吐き捨てるように呟いた。
私は裁く者で、彼女は裁かれる者。今回フリーディアのしでかした事を考えれば、それ以上でも以下でもない筈だ。
たとえ見舞いに向かったとしても、ずらりと並んだ忠犬共が私を彼女の前へと通すとは思えない。
「っ……!! いかん……。どちらにしても、今は帰ろう……」
敵対か和解か。
考えたくもないほどに面倒な難題を前に、テミスは静かに目を細め、一瞬だけ戦場で見せるような鋭い表情へと顔を変える。
だが、鉛よりも重たい瞼が勢い余ってくっつきかけると、グラリと大きく状態を傾がせて再びばちりと目を見開いた。
そして、テミスは我に返ったかのようにぶんぶんと激しく首を振った後、フラフラと覚束ない足取りで、残り僅かとなった家路を歩み始めたのだった。




