1232話 慈悲深き裁き
テミスが名乗りを上げた直後。
妙な緊張感が場を支配すると同時に、一陣の風が駆け抜けていく。
気紛れな風にフワリと巻き上げられた白銀の髪が美しい輝きを放ち、音も無く緩やかに舞い落ちた。
その間は時間にしてほんの数秒ではあったが、商人の男はテミスの名乗りを未だ呑み込めずにいるのか、凍り付いたように動きを止めたまま、眉を顰めて怪訝な表情を浮かべている。
そして……。
「プッ……!! ハハハハハッ!!! よりにもよって……どうせ嘘を吐くんならもうちっとマシな嘘を吐けってんだッ!!」
高まっていく危機感を表すかの如く静まり返っていた空気を切り裂いたのは、商人の男が発した爆笑だった。
商人の男はテミスに向けていた拳すら下ろして腹を抱えると、自らの膝をバシバシと叩きながら言葉を続ける。
「あの血染めの戦姫がこんな所に居る訳ゃねえだろ!! それを言うに事欠いて、お前みたいなチンチクリンが? アッハッハッハッハッハッ!! 騙される訳ゃあねぇだろうがッ!」
「フン……チンチクリンで悪かったな」
「ったく……確かに、噂に聞く戦姫のように長い銀髪だし? その眼だって……血みてぇに……真っ赤だ……が……」
しかし、馬鹿笑いを続けていた商人の男はまじまじとテミスの容姿を見つめながら、徐々に言葉を途切れさせ、顔色を赤から青へと変化させていく。
「まさ……まさか……ほ……ほ……本当に……?」
「さっきからそう言っている。それで? 人優制は廃止し、人間以外の種族に対する差別は禁止すると公示したはずだが?」
「っ~~~~!! ち、違うんですッ!! その魔族野郎……いえ、魔族の男がウチの商品を盗もうとしやがったもので……!!」
「……っ!! 馬鹿を言うなッ!! 並べられた品を見ていたら、そちらがいきなり掴みかかってきたんだろうッ!」
果てには、ガクガクと脚を振るわせ始めた商人の男は、テミスを指差して震える声で問いかけた。
その問いに、テミスは呆れたように小さなため息をついた後、ジロリと睨みを利かせて問いを投げ返す。
すると、商人の男は一歩、また一歩と震える足で後ずさりをしながら、ブンブンと激しく首を振って足掻くように言葉を重ねた。
だが、一方的に責められ続けていた魔族の男がその主張に同調するはずも無く、苛立ち交じりの強い語気で語りながら商人の男へと詰め寄った。
「バッ……!! おまッ……!!!」
「クク……。掴み合いをしていたお前達の話を漏れ聞いてはいたが、こちらの彼の言い分の方が正しいように思えるがな」
「まま……待って下さいよッ!! 俺はキッチリと許可を貰って商売している商人です!! 許可証だって……ホラッ!! こうして持っていますッ!! だってのに、アンタはそんな得体の知れねぇ魔族の肩なんて持つんですかいッ!?」
着実に一つ、また一つと逃げ道を潰されていく商人は、ありありとその顔に焦りと脂汗を浮かべると、前に進み出た魔族の男を無視して必死でテミスへと語り掛ける。
しかし、幾ら許可証を携えていようが、商人の男が語る口上の端々からは、人間優位を超えて魔族蔑視の色が滲み出ていた。
当然。テミスがそんな目に見える矛盾を見逃すはずも無く。
自らの眼前にこれみよがしに突き付けられた許可証を、深い溜息と共に商人の男の手から掠め取った。
「ならば、コレは没収……剥奪だ。お前のような男にこの町で商売をする権利は無い。さっさと片付けを済ませて、その腐り果てた性根を叩き直して出直してこい」
「なっ……!! あ……あぁっ……!!」
「すまないな。こんな下らん言いがかりに付き合わせた詫びと言っては何だが、私の方から腕のいい職人を紹介しよう」
「えっ……!! い、いえッ!! そんな、テミス様の手を煩わせてしまうばかりか、そこまでして頂くなど……!!」
「そう畏まらないでくれ。こちらの不手際なのだ。相応の埋め合わせをさせて貰わねば、我々の沽券にかかわる」
「っ……!! あ……ありがとうございます……ッ!!」
そのまま、吐き捨てるように目を見開いて声を震わせる商人の男へと言い残すと、テミスは身を翻して魔族の男へと語り掛ける。
魔族の男は一度はテミスの申し出を断ったものの、クスリと小さな笑みを浮かべたテミスが言葉を重ねると、深々と頭を下げてそれを受け入れた。
そして、テミスと魔族の男が連れ立って歩き始めた時。
「っ……!! っ……!!! なんでッ……!! クソッ……!! クソォッ!!! テメェのせいでェッッ!!」
「フンッ……!!」
「ガッ……ァッ……!!?」
地面に膝を付いてブルブルと震えていた商人の男が、目を血走らせながら怨嗟の呟きを漏らした後、突然怒声を上げてテミスの傍らを歩く魔族の男へと殴りかかった。
だが、その拳が身勝手な怒りを発露させる事は無く。
気合の籠った息を漏らすと共に、横合いから閃いたテミスの手が男の拳を絡め捕り、勢いを殺す事無く商人の男の背を石畳へと叩き付けたのだった。




