1230話 止まらぬ時を浴して
怒り心頭のマグヌスが繰り出す怒涛の説教地獄からテミスが解放されたのは、既に陽が高々と昇り、天頂に差し掛かろうという所だった。
テミスの体感としては、実に数時間にも及ぶほどの長い説教に感じられたが、その実はたったの数十分程度だったらしい。
つまり、夜明けから現在に至るまでの長い時間を、テミスは眠りこけてしまっていたという事になるのだが……。
「っ……。うぅっ……マグヌスの奴め……。あそこまで大声を出す事ないじゃないか……」
ブツブツと恨みがましげな呟きを漏らしながら、テミスは今にも死にそうな表情を浮かべて、わいわいと活気で賑わうファントの町の中をフラフラと彷徨い歩いていた。
こんな自体になっている原因はただ一つ。如何に自らが心配したかを熱弁するマグヌスの説教がひと段落した後、テミスが発した言葉が引き金だった。
「――お前が私の身を案じてくれているという事は良く解った。感謝する。だが、そろそろ仕事を始めないか?」
「何もッ!! 解ってッ!! 居られないではないですかッ!!! 兎も角!! 今日の所は帰ってすぐに寝て下さいッ!!!」
自らが机の上に放り出してしまっていたペンを拾い上げ、苦笑いと共にそう告げたテミスに、マグヌスはひと際大きな雷を落として臨時執務室から追い出したのだ。
机に突っ伏していたとはいえ睡眠は睡眠。身体が痛かったり、怠さこそ抜けきってはいないものの、眠ってしまったせいで滞らせてしまった分の仕事位は片付けてしまいたかったのだが……。
「……ったく、私が今宿に戻った所で邪魔になるだけだろう」
今は丁度昼時。
マーサの宿屋は今頃、昼飯を求めてやってきた客たちによって大賑わいを見せている頃合いの筈だ。
そんな所へ、配膳の手伝いすらままならん自分が帰った所で、二人へ余計に手間をかけてしまう事になる。
「まぁ……気持ちは有り難く受け取っておくがな」
だが、テミスは腹心の部下の気遣いにクスリと微笑みを漏らすと、大きく背中を反らして伸びをしながら、小さな雲がゆっくりと流れる蒼空へと視線を向けた。
あと、ほんの数時間も時間を潰せば、邪魔にならない程度には店も空くだろう。
それまでの間は、こうして久方振りに戻ったファントの街並みを眺めながら、ぶらぶらと散歩をするのも悪くは無い。
なにせ、ファントに戻ってあの騒動を収めて以来、事後処理で執務室に籠りきりだったのだ。
「全く……いい気なものだ。人が死に物狂いで奔走しているというのに」
テミスは覚束ない足取りで人の流れから外れると、比較的流れの緩い道の隅に寄って長閑な街並みを眺めながら呟きを漏らす。
平和を謳歌している人々に罪は無い。
寧ろ、彼等の笑顔と暮らしを守る事こそ、今の私がしなくてはならない事なのだろう。
けれど、こうして穏やかで暖かな笑顔を浮かべている彼等も、ここではないどこかで隠した醜い牙を魔族たちへ向けているのかもしれない。
「っ……!!」
そう考えただけで。
テミスは自らの内側でざわざわと何かが昂るのを感じ取ると、倦怠感に満ちた頭を振ってこびり付く思考を振り払った。
今回の一件は、無防備にファントを空けた私の失態だ。
だからこそ、一刻も早くこの町に蔓延る歪みを払い、元通りの平穏を取り戻す義務がある。
戦場の狂気へと触れかけた意識を、テミスが義務感で無理やり引き戻した時だった。
「……!! この……汚……めッ!!」
「……?」
気付けば、いつの間にか周囲に流れるざわめきの質が好奇と僅かな恐怖が入り混じったものへと変化しており、道の向こう側からは何やら不穏な声が聞こえてくる。
先へ歩を進めるにつれて騒ぎの声は大きくなっていき、テミスは遂に騒ぎの元凶を円状に取り囲んで眺める野次馬の列へと突き当たった。
察するにどうやら、道の端に軒を並べている露店の一つで、この騒ぎが起きているようだが……。
「おい。何の騒ぎだ? 衛兵は呼んだのか?」
「うん……? なんだか良く解らないけど、あそこの魔族が何かしたらしいんだが……って、おととっ!?」
「何だと……。おい、退け。道を空けろ」
「ちょっと……嬢ちゃ……え……?」
テミスが騒ぎを見守っていた野次馬の一人の声を掛けると、野次馬は視線を動かす事無く答えを返した。
その答えを聞いたテミスは、目尻を吊り上げてギラリと瞳を光らせた後、ひとまず事態を把握すべく、立ち並ぶ野次馬の中へと飛び込んでいったのだった。




