1225話 もう一つの戦いへ
翌日。
テミス達は汚染された自分達の執務室を一時的に放棄し、以前フリーディア達白翼騎士団が執務室兼作戦室として使っていた部屋へと居を移していた。
そこには、サキュドの私室や使い慣れた道具の類こそ無いものの、仮にもフリーディア達が執務を行っていた部屋故に、仕事をこなすのに支障が無い程度の機能を有している。
「っ~~~!!!! いい加減にしてくれ!! 奴等は一体どれだけ好き放題弄り回してくれたというんだッ!! 人が苦心して作り上げたシステムを何だと思っているッ!!」
緊急と記された書類が山積みに置かれる中。テミスは溜りに溜った鬱憤を晴らすように叫びを上げると、机の上にバシリとペンを叩き付けた。
テミスたちとしても、出来る事ならばあの執務室を浄化してから、これらの後始末という名の執務に取り掛かりたくはあったが、こと今回に至っては緊急性の高い件が非常に多く、やむなく疲れも癒えぬ体でこうして執務に当たっているのだ。
「……そりゃそうよ。テミス様が戻って来るまで、戦いらしい戦いなんてほとんどなかったんだもの。寝ても覚めてもマモルはフリーディアと机に齧り付いていたんだから」
「あの時ばかりは、指揮権が現場の者達にある事を怨みましたな……いくら反抗作戦を展開しようと、テミス様のように首魁へと肉薄しなければ、負担が増えるのは兵達ばかりで奴等の手を止める事すらできませんでした」
「チッ……道理で。嫌らしく細々とした点まで定められている訳だ」
サキュドとマグヌスが、自らに割り振られた書類から目を離さぬままに答えを返すと、テミスはげんなりとした表情で書類を捲り上げ、舌打ちと共にため息を漏らす。
かつての世界にあった制度を利用したシステムは、無論の事マモルも良く知っているだろう。
そこに、この世界の制度や住人の気質を良く知るフリーディアの手が加われば、これ程の出来栄えに仕上がるのは理解できる。人間という種族を無条件に最上位に置き、それを養う為に他種族から絞り上げる点さえ除けば、こうも上手く作り変えられるものかと賞賛したくなる程だ。
「やれやれ……それで? 我々がこんな状態だというのに、連中はまだだんまりか?」
「はい。あちら側からの連絡も、監視に付けている者から、動きがあったとの報告も来ていません」
「ったく。猫の手でも借りたい惨状だというのに……。とんだ忠犬共だな」
「ある意味、元に戻った感じもありますけどねぇ。ギャーギャーと横で喧しいのが居なくて、アタシは清々しています」
ガリガリと書類の上をペンが走る音を絶やさぬまま、テミスは腹心の部下達と言葉を交わすと、静かにその視線を窓の外へと向けた。
そう、煩わしさは無い。けれどそれでは駄目なんだ。ここはもう、魔王領の端の町であるファントではなく、人と魔が融和する町……融和都市ファントなのだから。
無論。そこに在るのは自らの執務室から見る風景とは異なる景色で。その記憶の中には無い光景に何処か新鮮味すら覚えながら、テミスが胸の中でそう呟いた時だった。
「し、失礼しま……ウッ!?」
コンコン。と。
部屋の外から軽く扉が叩かれると、緊張を帯びた声と共に一人の兵が部屋の中へと入り、中の惨状を目にして言葉を詰まらせる。
「お主……。ここは仮とはいえテミス様の執務室だ。入室するのであれば――」
「――良い。マグヌス。私が対応しよう。何だ? 何か報告か? これ以上の厄介事は要らんぞ?」
「ッ……! いえっ……その……テミス様にお客様がいらっしゃっているのですが……」
「客だと?」
不機嫌さを隠そうともしないテミスの態度に、兵はビクリと肩を震わせながらも、辛うじて直立の姿勢を保ったまま、言葉に詰まりながらも問いに答えを返した。
しかし、彼はたまたま来客を受けただけの兵だったのだろう。ピクリと眉を跳ねさせたテミスがガタリと席を立つと、テミスが言葉を発する前に深々と頭を下げて叫びを上げる。
「もも……申し訳ありません!! 大変ッ! お忙しい事すらお察しできずッ!! 兎も角、テミス様はお会いできないとお帰り頂きますッ!!」
「はっ……!? いや、待て待て。そもそも用件は何だ? 客人とは誰なんだ」
「ッ~~~~!!!! 申し訳ありませんッ!! 用件は大切な事だ……としか……。お客様はアリーシャ様です。何やらとてもお怒りのご様子でしたが……」
「ッ……!!」
「っ……!?」
「…………」
兵の口からアリーシャの名が出た瞬間。
それまでテミスの命令もあって、書類仕事を進めていたサキュドとマグヌスの手が同時に止まり、鋭く息を呑む音が部屋の中に微かに響く。
先日の一件で、テミスが自室としていた一室を引き払った件は、二人もヴァイセから報告を受けていた。
それ以降、テミスが宿屋に寄り付かなくなった事も、マーサの宿屋の前での戦いの後も、始末を白翼騎士団や配下の者達に任せて一人姿を消してしまっていた事も知っている。
勿論、テミスの副官である二人は、それがテミスなりの配慮であり覚悟でもある事は理解できているし、それ故にこれまで進言出来ずに居たのだが。
まさか、こんなにも早くあちらから攻めて来られるとは……。
「そうか……。会おう。案内してれ。マグヌス、サキュド。すまないが暫く頼むぞ」
「はいッ!! こちらですッ!!」
「……畏まりました」
「はぁ~い」
まるで危なっかしい我が子を見守るような、親心にも似たサキュドとマグヌスの内心を知らぬまま、テミスは僅かな沈黙を経てから兵を促した。
そんなテミスの背に視線を向けず、マグヌスは重々しい口調で、サキュドはヒラヒラと手を振りながら、答えを返す事しかできないのだった。




