1224話 屍の脈動
コツリ、コツリ。と。
薄暗く細長い廊下を、歩みに合わせて固い足音が反響する。
ここは、軍団詰所の地下に設えられている地下牢で、主にファントの町で罪を犯した者や、規律を犯した兵達を数日叩き込むための場所だ。
現在、この場所に収監されているのは、先日の戦いでテミス達の元から離反し、マモルを打ち倒してなお、異論を唱え続ける者達だった。
「あぁ……!! テミス様ッ!! どうか……どうか話をさせて下さい!!」
「待って下さいテミス様!! 私達は間違ってなど居ないのです!! テミス様もそれに気付かれていないだけッ!!」
「テミス様だって同じ人間……一度あの制度を体験してもらえればわかります!!」
随所に設置された牢の中から、未だ自己の優位が担保された世界の幻惑から抜け出せていない兵達の声が響くが、テミスは彼等の訴えに耳を貸す事なく淡々歩き続ける。
例えコイツ等の意見を聞き、間違っていると言い聞かせた所で無駄なのだ。
見るに堪えない程に歪められてしまった倫理観はすぐに矯正する術もなく、かといってこのファントから放逐すれば、他の村や町で傍若無人に力を振るう悪人へと成り下がるのは目に見えている。
故にひとまず、こうして他者に迷惑を掛けない場所へと隔離しているのだが……。
「……折を見て処分しなくてはな」
背後から未だに響いてくる訴えの声に、テミスは沈んだ気持ちで呟きを漏らす。
彼等とて、一応は被害者なのだ。そうそう簡単に『処分』などしたくは無いが、歪んだ認知が二度と治らないのならば仕方ないだろう。
自らが優位にあるという状態は麻薬のようなものなのだ。義務と責任で縛っている、俗に王族や貴族と呼ばれる連中でさえその麻薬に溺れる者が後を絶たないというのに、戦う事を生業とする兵士であった彼等が、いとも容易く溺れるのは道理とも言える。
「それもこれも……全部お前の所為なんだがな?」
最奥の階段を降り、ファントに存在する牢の中でも最奥に位置する牢屋へと辿り着くと、テミスは牢屋の中に繋がれている人影へと語り掛けた。
その中には、遺体と化したマモルが四肢を鎖で繋がれ、眼や口、耳に至るまで塞がれた状態で拘束されている。
傍らには、剣と槍で武装した兵が二人詰めていたが、テミスが姿を現すと姿勢を正して敬礼を送り、壁際へと寄って空間を譲り渡した。
「……様子はどうだ?」
「全く変わりません。呼吸すらしていないのか、鎖の音一つ鳴らないくらいです」
「ですが……不気味ではあります。なんと言うか……妙に気配というか……存在感があるというか」
「フゥム……。少し……槍を貸してくれ」
「は……? はぁ……。どうぞ」
「ありがとう」
牢の中のマモルをジロジロと眺めながら問いかけた後、テミスは兵士に向かって無造作に片手を突き出すと、事も無げに要求を述べる。
そんなテミスの要求に、兵は小さく首を傾げながらもテミスの傍らへと進み出て、自らが手にしていた槍を手渡した。
そして、役目を終えた兵士が礼を告げるテミスに一礼をし、再び邪魔にならないように部屋の隅へと戻ろうと一歩退いた時だった。
「フン……やはりな。お前達。これを見ろ」
「っ……! いったい何……がッ!?」
「……? 失礼します。なんだ? 何を驚いて――ッ!?」
テミスは兵士から借りた槍を牢の中に突き入れ、着せられている簡素な服を捲り上げると、静かな声で兵士達を自らの側へと呼び寄せた。
その命令に従い、異様な行動をとり始めたテミスに疑問を覚えながらも、牢番をしていた兵達がテミスの傍らまで近付いて牢を覗き込むと、言葉を詰まらせて驚愕に身を硬直させる。
テミスの手によって捲り上げられた服の下には、その胸の中心を穿つ痛々しい傷跡がある。
しかし、胸を貫通していたはずの傷は既に塞がり、血こそ流れ出ていないものの確実に、少しづつ修復していたのだ。
「今はまだ、コレは紛れもない死体だが……この分では時間の問題だな」
「え……はっ……ッ……!! そ、それは何が……でしょうか……?」
「決まっているとも。コイツが意識を降り戻すまで……だ」
「しかしッ!! 自分はあの鎖を括りつけた時、アレに触りましたが確かに……!!」
「クク……。動く死体も居るんだ。傷の治る死体があっても不思議ではあるまい?」
「ッ……!!!!」
「……すまない、冗談だ。今の奴は死体というより、休眠状態に近い。見ての通りだ。拘束しているとはいえ、気を抜くなよ? 私のように、槍を突き入れるなど以ての外だ。奪われてからでは遅い」
「ッ~~!!! ハッ……!!!」
一気に恐怖と緊張感が襲ってきたのか、テミスの言葉に兵達はビクビクと肩を竦めて縮み上がると、上ずった声で答えを返す。
その一方でテミスも、服を捲り上げた槍を慎重に引き戻すと、マモルが生き返ると主張したフリーディアの論が真実味を帯びてきた事に内心で舌打ちをした。
何故ならそれは同時に、フリーディアがマモルの力の一部を受け継いだという彼女の主張も真実であると事で。
「私も折を見て様子を確認しに来る。いいか? 仮にヤツが意識を取り戻して、何かを言おうとしても決して応ずるな。牢を空けるなど以ての外だ。直ちに報告をあげ、ただ外から慎重に監視だけを続けろ」
「しょ……承知しましたッ!!」
密かな苛立ちと共にテミスは借りた槍を兵士へと返すと、厳しい口調で注意を促した後、それに応じて敬礼をした兵士たちの怯えと緊張の入り混じった視線に見送られながら、再びコツコツと足音を響かせて地下牢を後にしたのだった。




