1221話 別離を超えて
路地に響いた透き通った声に、テミスは思わず剣を振り下ろす手を止め、声の響く方へと視線を向ける。
そこには、全身に夥しい量の包帯を巻き付け、フィーンにその身体を支えられながら歩み寄ってくるフリーディアの姿があった。
「…………」
戦友にして宿敵。
他ならぬテミスが、フリーディアの姿を見紛うはずなどあり得無い。
だが、テミスの脳裏には確かに、己が手でフリーディアを斬った記憶がありありと灼き付いている。
あの一撃に情は挟まなかった。正真正銘、フリーディアの命を絶つ気で放った斬撃。生きている筈がない。
「ク……フフ……ッ!!! 良い趣味してやがる」
途方もない覚悟と信念の元に振るった剣であるが故に、テミスが導き出した答えは一つだった。
死体操術か幻惑魔法か。どちらにしても、これこそがマモルの真なる計略なのだろう。
舐められたものだ。と。昏い笑みを零しながら、テミスは煮え滾る怒りと共に胸の中でひとりごちる。
一度斬った友であれば、再び斬る事に私が躊躇うとでも思っているのか?
だが、一度飲み込んだはずの怒りすら吐き戻す程の憤怒は、テミスに己が身が既に大剣を振るう少女であることすら忘れ果てさせていた。
「くそったれが。今度は迷い出る事すら出来ねぇようにしっかりと送ってやるよ」
カチャリ……。と。
テミスは高々と振り上げていた大剣の切っ先をフリーディアへと向けると、震える声で呟きながら、瞳孔の開いた猛獣のような瞳でフリーディアを睨み付ける。
何はどうあれ、この場に姿を現した以上は敵であることに変わりはない。
未だジクジクと疼き続ける心に刻まれた傷を抉られ、正気すら失ってしまいそうな程の怒りにその身を苛まれながらも、テミスは怒りに任せて猛進しない程度の冷静さを辛うじて保っていた。
しかし、戦友の顔をした何かを見据えながら時が刻一刻と過ぎるごとに、テミスの中でギリギリ保っている平静さえも次第に擦り切れていく。
あいつは最期までどうしようもない馬鹿ではあったが、その死すら弄ばれるほどの悪人では無かったはずだ。
愚直なまでに他者の幸福を願い続けたお人好しの末路が、見下げ果てた秩序の犬如きに利用された挙句、その死後まで弄ばれるなんて物だとは。
「ハ……ハ……」
テミスは乾いた笑みを唇の端から漏らしながら、急激に歪んだ視界を見て何故か涙が溢れ出てきた事を認識する。
だが、悲しさよりも先に。憐れみよりも先に。溢れてきたのはどうしようもないほどの怒りだった。
その事実が、自分は何処まで行っても壊す者でしか無い事を思い知らされる。
「待ってッ!! 気持ちはわかるわ!! けれどお願い!! 話を聞いてッ!!」
「…………」
「ッ……!! それ以上、近寄らないでください!! 二度と……二度とあんな真似はさせませんッ!!」
血走った眼でフリーディアを見据え、切っ先を突き付けたままゆっくりと歩み寄るテミスに、まずは必死の表情を浮かべたフリーディアが叫びを重ねた。
しかし、その顔を途方もない怒りと悲しみに歪めたテミスの歩みが止まる事は無く、痺れを切らしたフィーンが鋭い叫びと共に短刀を抜き放つと、その背にフリーディアを庇うようにしてテミスの前に立ちはだかった。
「ッ…………!!!」
フィーン達の様子に、音もなく噛み締められたテミスの歯が軋みをあげ、傷付いた心が絶叫を上げる度に、意識が冷たく凍て付いていく。
黙れ。黙れ。黙れ。
それ以上私の友の顔で囀るな。これ以上私の前に立ってくれるな。あと何人私は仲間を斬れば良い。
テミスは呪詛のような嘆きが己の頭蓋の中に木霊するのを聞きながら、それでも足を止める事無く眼前の敵へと歩み続けた。
「くっ……!! やっぱり無茶ですッ! フリーディア様……退がって下さい!! フリーディア様ッ!!」
「…………」
一歩。また一歩と。凄まじい殺気をその身に纏い、着実に距離を詰めてくるテミスを前に、フィーンは己が身を盾にフリーディアを庇いながら悲鳴のような叫びを上げる。
だが、フリーディアがそれに応じる事は無く、逆にフィーンの身体を押し退けてフラフラと前へ歩み出ると、眼前に突き付けられた切っ先を物ともせずに叫びを上げた。
「そんな風に押し潰されそうになる前に少しは考えなさいよこの馬鹿ッ!! 私が居ないとすぐそうやって突っ走るんだからッ!! なんで私がここに居るかッ!! なんであなたが簡単にマモルを倒せたのかッ!!!」
「ッ……!!!!」
「いっつも二言目には斬るだの殺すだの……。私達が貴方を害するつもりなら、既に斬りかかっているわよ!! そんなにも無様で隙だらけの姿を晒している癖に……碌に考えもせず、逃げ出す気ならどうぞ斬りなさいなッ! お望み通り、二度と貴女の前に姿を現しませんとも!!」
けれど、フリーディアに突き付けられた大剣の切っ先はブルブルと震えてこそいるものの、荒々しい息を吐きながらテミスが剣を下す事は無かった。
そんなテミスに、フリーディアは再び大きく息を吸い込んで、凛と胸を張って一喝を叩き付けた後、自ら突き付けられたテミスの刃に向かって一歩を踏み出したのだった。




