1215話 迸る紅月
「……ったく、参ったわね」
傍らで激戦を繰り広げるヴァイセの奮闘を視界に収めながら、サキュドは静かに呟きを漏らす。
このままマモルと打ち合えば、間違い無く先に斃れるのは私だろう。
けれど、頼みの綱であるヴァイセもあの悍ましい化け物をやっと一体倒した所だ、どうやっても救援が間に合わないのは明白だ。
「投降しろ。たとえ魔に属する者でも、価値ある命を無駄にするな」
「ハン……あの小娘の言葉もそそらないけれど、アンタのソレよりはずっとマシだったわ? 悪いけど、人間を肥えさせる為の餌になる気は無いの」
「…………」
静かな声で剣を突き付けながら投降を呼びかけるマモルに、サキュドは不敵な笑みを浮かべると、その提案を鼻で嗤ってみせる。
サキュドにとって、平穏を謳歌するこの町は退屈で仕方が無かった。
けれどその平穏を脅かさんと迫る者達との戦いは、血沸き肉躍る程に愉しく、剣戟の狭間に生きる悦びをサキュドへともたらしていた。
それに、己が傍らには敬い、越えたいと渇望する背中がある。
だからこそ、サキュドにとってこの町は護るべき価値のある町であり、己を満足させるに足る居場所でもあった。
「あ~あ……つまんないの。アンタなんかに使う気、無かったのに」
「何……?」
しかし、もはや敗北は時間の問題であるというのに。
サキュドは余裕のある態度を崩す事無く深い溜息を吐くと、気怠そうに間延びした言葉と共に紅槍をクルリと回してその構えを大きく変えた。
身を守り、敵を穿つ槍を己が小さな体に隠し、まるで長い剣でも携えているかのような異常な構え。
一見すれば、ただ隙だらけなだけの構えだったが、何処か拗ねたかのように気怠そうなサキュドの態度とは裏腹に、その身に纏う気迫と周囲でパチパチと弾ける漏れ出た魔力が、その異様な構えが隠し玉であると声高に告げていた。
「とっておきよ。本当は、テミス様との手合わせまで秘密にしておきたかったのにッ!!」
「……!! チッ……」
「感謝しながら死になさいな。この技を受けるのはアンタが一人目。記念すべき最初の得物なんだからッ!!」
バヂバヂィッ!! と。
サキュドの構えた紅槍の穂先へと収束された魔力がスパークし、禍々しい輝きと弾けるような音を奏でる。
口上と共に、サキュドが既に技を放つ準備を終えたのだと察したマモルは、出鼻をくじくのは不可能と判断して慎重に半歩後ろへと退がると、両手に構えた剣を身体の前で交叉させて防御の構えを取った。
だが、そうしている間にも収束を続けるサキュドの魔力はどんどんと膨れ上がり、紅槍から漏れ出た大量の魔力が描く光が、まるでサキュドの背に紅い光の翼が生えているかの如く迸る。
「これはッ……!!」
「遅いッ!! 食らいなさい!! ブラッディムーンッ!!」
刹那。
守りの構えへと転じたマモルの顔が僅かに驚きに彩られるが、その手が動き出す前に猛々しい叫びと共に紅刃が鋭く振るわれた。
その濃密に纏わされた紅の軌跡は半月を描き、斬撃となってマモルへと射出される。
それはまるで、テミスの放つ月光斬のようで。唯一異なる点を挙げるとするのならば、テミスの月光斬が夜空に煌々と輝く月の如き光を纏っているのに対し、サキュドの放ったこの斬撃は血霞のような紅い霧を纏っているくらいだろう。
「クッ……!! ウゥッ……!?」
「ハァッ……!! ハァッ……!! ありったけの魔力を込めたのだもの。そんなちっぽけな剣で防げる訳が無いじゃない」
放たれた紅い斬撃は瞬く間にマモルへと襲い掛かると、構えていた二振りの剣と真正面からぶつかり合った。
しかし、サキュドの放った斬撃の威力は凄まじく、マモルは受け止めこそしたものの圧し切られるようにして後ろへと退がっていく。
自らの放った斬撃の背後で、サキュドは己の磨き上げた一撃が怨敵と鎬を削る様を眺めながら、満足気に微笑んで膝を付いた。
もしもテミス様なら、即座に二撃目を重ねるなり、横合いへと走り込んで追撃を加えるのだろう。けれど、今のアタシにはこの一撃を放つだけで精いっぱい。
でも……如何なるものをも切り裂いて進むあの途方もない威力だけは、十全に模倣できているッ!!
自らの研ぎ上げた技への信頼と共に、サキュドは勝利を確信して斬撃を受け止め続けるマモルの奮戦を見守る。
「なにっ……!?」
瞬間。
ピシリ。と、嫌な音が周囲へと響き渡り、マモルが驚きに息を呑む声を漏らす。
その音は、いままさにサキュドの放った紅の斬撃を受け止め続けている、マモルの剣から放たれており。
一度走った亀裂は音が重ねられるごとに大きく、深く広がっていった。
「まさか……この世界が誇る英雄の武器を模した剣でさえも……耐えられないというのかッ!?」
ビシリ、バキリと響く音と共に、マモルが驚愕に満ちた声で呟いた後。
バギィンッ!! と剣の砕け散る音がひと際甲高く響き渡り、サキュドの放った紅の斬撃がマモルの姿を飲み込んだのだった。




