1208話 託されたもの
「……行くぞ」
しばらくの沈黙の後。
テミスは自らの背に張り付いたシズクを優しく剥がすと、静かな声でただ一言告げた。
あの恐ろしく軽い剣。力など碌に乗っておらず、普段のフリーディアならばたとえ手加減をしていたとしてもあり得ない弱さだった。
だというのに、剣に込められた気迫だけは凄まじく。それが紛れもなく、彼女が全霊の一撃であった事を雄弁に物語っている。
それを差し引いても、たった数時間で歩き回れるほどに……ましてや剣を振り回せるほどに回復したのはどう考えても異常でしかない。
「テミスさん……」
「構わん」
コツリ。と。
頭の中を次へと切り替えながらテミスは一歩を踏み出して、悲し気な目でフィーン達を振り返るシズクに言葉を返す。
あれ程慕っていたフリーディアを眼前で殺したのだ。フィーンたちに恨まれ、憎まれる事はあったとしても、この先協力関係を続けることは不可能だろう。
順当に考えるのならば、フリーディアの仇を討つべく私の前へと立ち塞がるのが道理だ。
だが……それでも。
「担いだ神輿を破壊する。奴を討つためにはどうしても必要な事だ」
マモルの立ち位置はフリーディアの補佐役。ほとんど魔族で構成されている元十三軍団の連中は元より、フリーディアの旗下である白翼騎士団もヤツのみであればそう簡単に従う訳も無い。
唯一の懸念は、新たに黒銀騎団に加わった冒険者将校の連中だが……敵の戦力を大幅に削ぎ落とした事に間違いはないだろう。
「それに……」
テミスは足を止める事無く歩みながら、中途半端に零れかけた言葉を呑み込んで、肩越しに後ろで斃れるフリーディアへと視線を向けた。
私が斬撃を放つあの瞬間。フリーディアの奴は躱す素振りを見せるどころか、逆に受け入れたように見えた。
その時の表情は何処か、柔らかに微笑んでいるようで。
「…………」
紛いなりにも、幾度となく剣を合わせ、肩を並べて戦ってきた奴だ。
あのフリーディアが、ただの大怪我ごときで自らの命を……信念を諦めるような人間でない事くらいは解っている。
ならば、その意味は何だ……? まともに剣すら振るえない状態で、あの大馬鹿者が考えそうな事は何だろうか。
「っ~~~!! チッ……解るか、そんなもの」
数秒考えこんだ後、テミスは吐き捨てるようにそう呟くと、煮詰まった考えを別の視点へと向けるべく思考を放棄した。
しかし、思考を放棄すれども、残ったのは何処かフリーディアに敗北を喫したかのような苛立ちだけで、すぐに切り替えた思考が放棄したはずの方向へと引き戻されていく。
そもそも、あんな脳味噌の中に花畑が広がっているような奴の思考を予測しろという方が無理な話なのだ。戦略や剣筋を読む事くらいならばできたとしても、そもそも根本からして発想が違うのだから。
フリーディアは何一つ諦めない。自ら手放す事など絶対にしない。たとえそれが不可能であると道理が通っている話でも、藻掻いて足掻いて無理を通すような奴だ。
そんな無茶苦茶で突飛も無い奇天烈な頭を、どう予測しろというのだ。
だが、フリーディアの奴が何かを企んでいた。
その一点だけは、必ず頭の片隅に留めておく必要はあるだろう。
そうして、思考を放棄するのではなく、一時保留として前提に組み込む事でテミスが妙に湧き出てくる苛立ちを拭い去った時だった。
「待って下さいッ!!!」
「…………」
背後から鋭く響いた声に、テミスはピタリと足を止める。
そして、背を向けたまま声の方へと視線を向けると、そこではフィーンがフリーディアの血に塗れた格好でテミスを睨み付けており、その全身からはただならぬ気迫が放たれていた。
「何処へ……行くんですか?」
「……答える義務はない」
「ッ……!!! なんで……なんでフリーディア様をッ!!」
「何を言っている? 敵……は、すべからく排除するものだろう?」
怒りと殺意を発しながら投げ付けられるフィーンの問いかけに、テミスは淡々と答えを返し続ける。
だが、己が手で斬ったフリーディアを、命尽きた今も敵と断ずるのは流石に心苦しく、淡々と紡がれる言葉に力が籠ってしまう。
「……貴女を助けて欲しい。フリーディア様の最期の言葉です」
「――ッ!!!! っ~~~~!!!」
不意に。
フィーンがテミスを見据えたままフリーディアの末期の言葉を伝えると、無意識に噛み締められたテミスの奥歯がバキリと嫌な音を立てた。
この期に及んで……何を言い遺しているのだあの大馬鹿は。
よりにもよって、自分を慕い、その死を悼み、看取ってくれる相手に仇を助けろだと?
「っ……」
「大馬鹿がッ……!!」
伝えられた末期の言葉に、テミスは咄嗟にフィーンから顔を背けて固く目を瞑ると、絞り出すような声で呟きを漏らした。
だが、それはほんの一瞬の事で。
テミスはすぐに顔を上げて目を見開くと、傍らからその様子を痛々し気に見つめるシズクを無視して、不敵な笑みと共に身を翻してフィーンと向かい合ったのだった。




