1200話 修羅の目覚め
「ご馳走様。美味しかったよ」
食事を終えた仲間達が満足気な表情で腹を擦る傍ら。テミスは静かに席を立つと、少し微笑みながら代金をアリーシャへと手渡した。
その頃には、テミスの身体から溢れていた殺気は消え失せており、店の中もわずかながら賑わいが戻りつつある。
金額もテミス達の一行には魔族と類されるシズクとサキュドが居たが、事前に聞いていた話の通りマーサが意地を通したらしく、以前と変わっている事などは無かった。
「……よかった。心配してたんだよ? テミスったら全っ然帰ってこないし、その間に町はこんな事になっちゃうし」
「悪かった。だが、今回はこの通りピンピンしている。今は怪我一つ無い」
「…………本当?」
「応とも。だから心配するな、アリーシャ。アリーシャ達はいつも通り、笑って暮らしていればいい」
「うん」
僅かに涙を浮かべて言葉を返すアリーシャに、テミスは完璧な笑みを浮かべてみせると、流れるように自然な調子で嘘を吐く。
つい先ほどのマモルとの戦いで負った傷は、まだ応急処置を施しただけで治してはいないし、今もなお僅かに痛みすらある。
だが、動けぬ程の傷ではないし、何より身体を動かす度に走る痛みが、怒りを抑える理性を呼び覚ます一助にすらなっていた。
「……さてと」
だが、素直に頷いてみせたアリーシャの表情が晴れる事は無く、テミスはおもむろに持ち上げた手で後頭部をポリポリと掻くと、話題を切り替えるべく一息を吐いて自らの覚悟を決める。
これから告げる事は、テミス自身にとっても非常に覚悟の要る事だった。
だが同時に、これから身を投じなければならないマモルやフリーディアとの戦いを見据えるならば、避けては通る事のできない必須事項で。
「っ……!!」
テミスは詰まりそうになる喉を無理やりこじ開けると、懐から連なった二つの鍵を取り出して不思議そうに首を傾げるアリーシャへ押し付ける。
それは、テミスがこのマーサの宿で私室として使わせて貰っている客室の鍵で。
この宿屋に家族の一員として迎え入れられた際、店の鍵と共に手渡されて以来片時も手放す事の無かった一品だった。
「テミス……ッ!? これッ……!!!」
「預かっ……貰っていた店の鍵と、私の部屋の鍵だ。随分と長い事使わせて貰ってしまった」
「そんな……待ってッ!! 帰って来たんじゃなかったのッ!?」
「ッ…………!!!!」
手渡された鍵が何なのかを理解した途端、アリーシャは顔色を変えてテミスの腕を掴むと、声を荒げて叫びを上げる。
一方でテミスも、精一杯の力を込めて平静を保とうとはしているものの、その手は岩のように固く握り締められており、事情を知る者から見れば、無理をしているのは一目瞭然だった。
「手間をかけてすまないが、部屋の物は処分してくれて構わない」
「嫌だよ!! なんでこんなッ!! ねえッ!! 急にどうしたのッ!? そんな寂しい事……言わないでよッ!!」
「ッ~~~~!!! ッ……!! …………」
遂には大粒の涙を流しながら縋り付くアリーシャが言葉を重ねる度に、テミスの拳からぎちぎちと骨の軋む音が鳴り、幸せで優しい後味の残っていた口の中は、鉄錆の味で塗り替えらえていた。
だがそれでも、テミスは冷たい言葉を放つべく口を開くが、肝心の言葉が出ずにただ無意味に数度開閉するだけに留まる。
そのまま数秒。テミスは泣き叫びながら問い続けるアリーシャに対して、口を噤んだまま耐え忍ぶように立っていたのだが……。
「どうしたんだいッ!? 一体何が……ッ!!」
アリーシャの泣き声を聞きつけたのか、厨房から顔色を変えたマーサが飛び出してくるが、テミスに縋り泣くアリーシャの姿を見ると何かを察したかのように言葉を止める。
「……そういう事かい」
「ッ……。あぁ」
「バカな娘だよ。余計な意地張って心配ばっかりして」
「…………」
しかし、マーサを前にした途端。テミスは背筋を伸ばして崩れかけていた表情を整えると、静かな眼差しで溜息を吐くマーサを見返した。
バニサスと別れてから、マモルの意に従わない幾つもの店を回った。どこの店も魔族の姿こそ見かけないものの多くの客でにぎわっていたが、この店だけは違う。
既にこの町は戦場なのだ。そう厭という程に思い知らされた。
「好きにしな。その代わりアタシ等も好きにやる。文句はないね? アリーシャ! いつまでも泣いてるんじゃないよ!!」
「お母さんッ!? なんでッ……!! テミスが……待ってッ!! テミスッ!!」
ただ沈黙を返すテミスに対し、マーサは深い溜息を吐いた後にそう告げると、一喝と共にテミスに縋り続けるアリーシャを引き剥がす。
同時に、テミスは素早く身を翻してアリーシャ達に背を向けるが、後ろから響く悲痛な叫びに堪えるその拳には僅かに血が滲んでいた。
「テミス様……」
「行くぞ。解っているな? 容赦はするな」
「はい」
悲痛な表情を浮かべる仲間達の元へと戻ったテミスは、唸るような声でそう呟くと、血走った眼でサキュドへと視線を送って命令を下す。
そんなテミスの言葉に、シズクとフィーンは悲し気な表情を浮かべたまま小首を傾げていたが、ヴァイセは静かに目を瞑って俯き、命を受けたサキュドはニタリと壮絶な笑みを浮かべて応えたのだった。




