1196話 堪え、待ち続ける者
ただ、ファントで今も尚マモルの支配に抗おうとしている者達に会いに行く。
用件は、そんななんて事の無い当り前で平凡な視察のようなものの筈だった。
だが、案内役として先導するフィーンと共に付けられたのは、サキュドにヴァイセ、そしてシズクの三名で。
黒銀騎団の精鋭である彼女たちは言わずもがな、ファントに潜む者達の中でも屈指の実力者だろう。
否。マグヌスが一線を退いている事と、何故かギルファーからの友軍であるシズクまでも巻き込まれているのかを考えれば、この三名は現状彼女たちに用意できる最高戦力という事になる。
「おい……今から私は仲間の元を訪ねるのではなかったのか? わざわざシズクまで引きずり出しておいて、大層な護衛……という訳では無いのだろう?」
かつてと変わらぬファントの雑踏の中を歩きながら、テミスはただ一人顔を晒して堂々と一行を先導するフィーンへと問いかけた。
あの拠点を出発する前、フィーン達の間に流れていた緊張感を見れば、彼女たちが何かを隠している事は容易に想像が付く。
「やはは……まぁ、わかりますよねぇ……。そちらのシズクさんとお話をさせてもらうために、わざわざ席まで外して頂いちゃったわけですし」
「当然だ」
「……到着すればわかると思います。私から今お伝え出来る事は、強く……強く自制していただければ……と」
「…………」
「…………」
「…………」
意味深に応えるフィーンの言葉に、テミスの周囲に配された三人は、何も言葉を発する事は無かった。
しかし、ヴァイセとシズクからは途方もない緊張感が、サキュドからは微かな期待の入り混じった興奮が伝わってくるのを、テミスはその肌で感じ取っていた。
「フン……」
ある意味では、礼を失するとも取れる面々の態度に、テミスは小さく鼻を鳴らすと、それ以上の追及をする事は無く黙ってフィーンの後に続く。
ここまで露骨に対策を取られては、察するなという方が無理があるだろう。
自らを囲う三人の役は鎖。フィーン達の有する戦力の中で、もしもテミスが激高して我を忘れたとしても、唯一抑える事の出来る可能性がある者達だ。
つまるところ、これから先に待ち受けているものは、それ程までに碌でもないものであるという事で。
テミスは密かに胸の内で覚悟を決めると、足早に進んでいくフィーンの背を追っていく。
「まずはこちらです」
「――っ!!!」
だが、フィーンがそう重たい口を開くと同時に足を止めた場所にあったものは、彼女達の思いを汲んで固めた覚悟すらも粉々に砕け散りかける程の光景で。
胸の奥底から瞬時に吹き上がってくる烈火の如き怒りに身を浸しながら、テミスは固く食いしばったその歯の隙間から、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「な……るほど……ッッ!!! やって……くれたな……ッッ!!!」
そこは、特別賑わうファントの町の中でも比較的穏やかな空気の漂う区画の筈だった。
ここに住まう者達は、ファントの町を守る任に付く警備兵やその家族といった、この町で仕事に就き、生計を立てながらも店を構えぬ者達であったはず。
だというのに、今目の前に広がっているのは静やかな住宅街などではなく、そこらに浮浪者と思しき者たちのたむろする立派な貧困街がその姿を晒していた。
「……あえて聞こう。ここは何だ?」
「御覧の通りですよ。貧困街です。食うに困った者達が流れ着き、ただひたすらに堪え続ける場所です」
「見たところ、魔族の者達が多いようだが?」
「えぇ。人間を優遇し魔族に重荷を課す人優制により、割を食っているのは魔族の皆さんですから」
「…………」
「唯一の救い……と言って良いかはわかりませんが。そのような扱いを受けて尚、この町の魔族の皆さんは横暴に怒るでも無く、略奪に手を染める訳でも無く、ただこうして耐え忍んでいる事でしょうか」
カツリ。と。
フィーンが言葉を紡ぎ終える前に、テミスは荒々しく石畳を踏みしだいて貧困街と化した区画の中へと足を踏み入れると、道の端で横たわる一人の浮浪者の前へとしゃがみ込んで問いかける。
「……すまない。一つ聞かせて欲しい」
「ッ……!!!」
すると、ボロ布のようなものに身を包んだまま身体を横たえていた浮浪者はビクリと身体を震わせると、その布の下からゆっくりとテミスの顔を仰ぎ見た。
ふとその傍らに目を留めると、穂先を身をくるんだボロ布よりも少しばかり綺麗な布に包んだ一本の槍が置かれていて。
「このような横暴。何故耐える事ができる。ラズールや他の町へ行くこともできたはずだ」
「ぁ……ぁぁ……ッ!! 夢でも見てんのかね……俺ァ……」
「ッ!? その声……お前……ッ!?」
自らの問いに返ってきた聞き覚えのあるその声に、テミスは弾かれたように身を振るわせると、浮浪者に掴みかかるようにしてその顔を覗き込む。
そこには、見紛うはずもない。
マーサの宿屋の常連客にして、この町の衛兵を務める男。バニサスが疲れ切った微笑みを浮かべていたのだった。




