1190話 掲げた御旗
――最初に出会った時から、その在り方が嫌いだった。
周囲に流され、長いものに巻かれ、それが例え正義の番人たる警察官として悖る行為であったとしても、上からの命令に逆らう事はしない。
そのくせ、口癖のように繰り返されるのは、それが組織と云うものだから……。という諦観ばかりで。
そんな頼りの無い相棒に、青い正義感に燃える当時の『俺』は何度も噛み付いたものだ。
だが、どちらがより正しかったのかで言えば、軍配はヤツの方にあがるのだろう。
組織と云う群体を成した所で、所詮人の身であることには変わりがない。その手の届かぬところで、起こってしまった暴虐から人々を護る術は無く、それでも尚正義の番人足ろうとするのならば。
たとえ完璧でなかったとしても。たとえ眼前の小悪を見逃したとしても。より多くの巨悪から人々を守る為に、正義は我にありとその威光を示し続ける必要がある。
コイツはこの世界でも、あの忌々しい自称女神から賜わったその力で、彼の世界の正義を為そうとしているのだろう。
「ッ……!!!」
だが、それは断じて正義などではないッ!!!
静かに微笑みながら、握手を求めるかのように片手を差し出したマモルを前に、テミスはギラリと瞳を輝かせると、肩に担いだ大剣の柄を固く握り締める。
我が身に纏う威光可愛さに、眼前で助けを求める者の手を振り払う正義など在りはしない。より多くの人々を守る為に、弱き一人を見殺しにする者が正義であってたまるものか。
既に、自らの抱いていた真の願いに気付いた身とはいえ、真の平和を望んで足掻いていた大馬鹿を惑わし堕とされては気分の良いものではない。
「どうやら、私達は気が合いそうだ。私は、我が身可愛さに他者を虐げ、他人の幸福を奪い取る輩が大嫌いでな」
「あぁ……まずったな……これは――」
「――お前の事だよ。このクソ野郎」
テミスはマモルの間近にまで歩み寄った途端、皮肉気な笑みを浮かべて静かに口を開いた。
友好的な態度を示しているマモルに対して、それはあまりにも暴力的かつ一方的な宣戦布告で。
その真意に気付いたマモルが、緊張感の欠片も感じさせない平坦な声で嘯くいたのにも構わず、テミスは担いでいた大剣を一直線にマモルの頭蓋へ目がけて叩き込んだ。
「何が平和だ笑わせるなよッ!! 犠牲という名の屍の上に築いた平穏と、悪辣な略奪を糧に築いた平穏に何の違いがあるッ!! 現実的? 馬鹿を言え。それはただの言い訳に過ぎない。耳障りの良い言葉で醜い本質を煙に巻くなッ!!」
ドゴォッ!! と。
テミスの凄まじい膂力を以て振るわれた大剣は石畳を易々と割り砕き、放たれた剣圧が濃霧のように粉塵を巻き上げる。
それだけには留まらず、間髪入れずに視界の利かない粉塵の中を、途方もない怒りに満ちたテミスの怒号が響き渡った。
だが……。
「やれやれ……やっぱり子供の相手は苦手だ。物も分からない癖に癇癪ばかり起こして。与えられた力に酔って正義の味方ごっこに興じるのは勝手だ。だが、力というものには相応の責任が生じる」
斬撃の直撃を受けたはずのマモルの声もまた、もうもうと立ち込める粉塵の中から朗々と響く。その声は、呆れたかのようにうんざりとした気配さえも帯びており、テミスの一撃が有効打たり得ていないのは火を見るよりも明らかだった。
「ハッ……そんなモノ知った事かッ!! そういうお前は、何もかもを悟ったような顔をして、平和を願うと嘯きながら人を選り分ける自分こそが正義の味方だとでも言うつもりか?」
「いいや? 俺が求めるのは、最も人が傷付く事の無い正しい平和だけさ。俺自身が正義の味方だなどと思い上がるつもりも無いが……正しき道を選ぶ者を正義の味方と呼ぶのなら、そう在るべく行動しているけれどね」
「ク……ハハハッ……!!」
互いの姿すら見えぬ中での問答。
その答えを聞いた途端、テミスは高らかに狂笑を奏でた。
結局の所、コイツの本質は変わらない。如何に聞こえの良い甘言で形取ろうとも、目指しているのはあの醜悪な正義の番人なのだ。
ならば、そこから弾き出された私の前に立ちはだかるのは自明の理というもの。
「否だッ!! お前は正しくなど無い! お前が盲信し、正義だと崇め奉るものを、人は秩序と呼ぶのだッッ!!」
直後。叫びと共に剣風が迸り、立ち込めていた土煙が斬り払われる。
そこには、漆黒の大剣で斬りかかったテミスの斬撃を、交叉させた双剣で悠然と受け止めるマモルの姿があったのだった。




