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109話 悪魔の甘言

 暗く細い廊下の先から、一筋の明かりが漏れている。

 そこは先ほどの男が中へと入って行った扉であり、固く閉ざされたはずの粗末な扉は、光も音もよく通してくれていた。


「……そうですか…………」

「フリーディア様の事も大切だがリック。お前はまず自分の体を治す事に専念しろ。フリーディア様が戻られた時、お前が倒れていては元も子もないぞ」

「っ……解って……おりますともっ……」


 テミスが息を潜めて扉に忍び寄ると、微かに漏れ聞こえていた音が鮮明になり、その内容が聞き取れるようになる。


「ですが……もうこうして手をこまねいている時間も無いかとッ! 自分にできる事でしたら何でもやりますので、命令をお願いします!」

「ムゥ……確かに、猫の手も借りたい状況ではある……だが、お前の姿が消えては連中も感付きかねん」

「クッ……」


 男の低い声が響いた後、ミュルクが悔しげに歯噛みする音が暗闇へと解けていった。


「フム……奴も白翼か……交代要員かとも思ったが……」


 テミスは密かに呟くと、頭の中で計画を練った。見たところ、二人は正反対の性格らしい。言うまでも無く直情家なミュルクは、口先三寸で丸め込むのなら容易いだろう。逆に理詰めで説得するのであれば、見舞いの男と接触をすべきだ。


「……どちらにしても、別れるのを待つ他ない……か」


 テミスは息を潜めたまま嘆息すると、張り付いていた石壁にそのまま背を預ける。あの騎士とて追われる身なのだ。あまり長居をして連中に感付かれるような愚を犯したくは無いだろう。


「ムッ……?」

「どうしました?」

「シッ!」


 テミスが彼等から目を離し、壁に背を預けた瞬間。男の眉がピクリと跳ね上がり、真後ろにある扉へと視線が注がれた。


「っ…………」


 男は静かに身構えると、じりじりと扉に向かって距離を詰める。だがその目に殺気は無く、ただひたすらに強い警戒が浮かんでいた。


「そこに居るのは……誰だ?」

「っ――!!!!」


 その呼びかけに一番動揺したのは紛れもなくテミスだった。一度やり過ごしたことで、隠れ切っていると慢心していたせいもあるのだろう。不覚にも僅かに体が跳ね、腰に提げた剣がカツリと小さな音を立てた。


「っ……くっ……」


 まずい。どうする? 逃げるか? いや、ここで逃げればこいつ等には二度と接触する事はできないだろう。

 いくつもの選択肢がテミスの頭の中を巡っては弾け、一気に追い詰められた形になったテミスが歯を食いしばる。

 最早、奴等に何者かが戸の外に居る事はバレている。ここで私が姿を消せば、連中はヒョードルたちに感付かれたと思い込み、無謀な行動に打って出るかもしれない。


「……仕方がない……か」


 テミスは諦めたように目を瞑ると、明確に呟いて扉に手をかけた。今まで漏れ聞こえてきた話では、連中にもさほど余裕は無いらしい。ならば、この際そこに賭けるしか無いだろう。


「久しいなミュルク卿。壮健か?」

「っ!!?」

「っ――!!! お前……はッ!!!!」


 テミスは崩れた表情を不敵な笑みの仮面で塗りつぶすと、静かな声と共にミュルクの病室へと足を踏み入れた。そこには、ベッドの上に腰掛けたミュルクと、テミスのちょうど傍らに立ちすくんだ男が驚愕の表情を浮かべていた。


「まさか。生きているとは思わなかったぞ? 確かに殺したと思ったんだがな」

「ほざけっ! お前如きの剣で俺を殺せると思うなっ! ――づ……ァッ!!」

「止せリック。傷が開くぞ」


 テミスの挑発に呼応したミュルクが力んだ瞬間、彼は表情を歪めると腹を抱えて蹲った。男がすぐに駆け寄った所を見ると、流石にまだ傷が癒えてはいないらしい。


「……何の用。ですかな? 俺をつけたと言う事は、何か用があるのでしょう?」

「ああ。察しが良くて助かるよ。なにぶん異郷の地なものでな……難儀していた所だ」

「ガルッ……副隊長ッ! ……今すぐ奴をッ……ぐあッ……」


 男は驚愕の表情を隠すと、表情を殺してテミスと向き合った。その傍らで悶絶しているミュルクに見向きもしない辺り、かなりこちらを警戒していると見て良いだろう。


「それよりも……入り口で感じた気配は君か?」

「ああ。まさか、感付かれるとは思わなかったがな」


 慎重に口を開いた男にテミスは頷くと、その背を扉に預けて男を観察した。今までの情報を総合すると、この男はかなり理知的なタイプらしい。ミュルクのように激情に駆られる事無く、今もその視線は生き抜く術を模索して左右している。


「何故このロンヴァルディアに? 軍団長が単身、危険を冒した上に偽装までして何をしに来たんだ?」

「何を見え透いた事を……私がわざわざ、こうしてお前達白翼騎士団を尋ねる理由など一つしかあるまい」


 テミスは皮肉気に頬を歪めると、言葉を切って男の目を真正面から睨み付ける。しかし、静謐な光の揺蕩う男の目はには、最早欠片の動揺すら見られなかった。


「――フリーディアを、救いに来たのだ」


 テミスはさらに頬を歪めると、男の目を見つめたままさらりと言い放った。

 ここで連中の手を借りる事ができれば、状況は一気に好転するだろう。それに、ヒョードルの狙い次第では嘘ではなくなるのだし、そもそも敵である彼等に真実を語り聞かせる義理も無い。


「馬鹿な! そんな話信じられるかッ! 副隊長! これは好機です! 軍団長を捉えたとあらば――」

「――黙れミュルク」

「っ……!!」


 男は自分よりも先にテミスの言葉に反応したミュルクを窘めると、再びテミスに目線を合わせて口を開いた。


「我々の関係はそんな言葉を鵜呑みにできる程甘くは無い筈……あなたもそれは承知しているはずだ」

「証拠……いや、根拠を示せと?」

「ええ」

「フッ……クク……」


 男が静かに頷くと、テミスは俯いて特大の笑みを漏らした。この副隊長の男はどうやら、思っていたよりもフリーディアに入れ込んでいる上に現実主義者らしい。この反応こそが、その何よりの証拠だった。


「……何か?」

「クククッ……いやな。お前がそこのミュルク卿と違って現実主義者で助かったと思っていた所だ。どうやら、白翼騎士団は本当に追い詰められているらしい」

「……っ!! 何を根拠にそう見るんだ?」

「その答えだよ副隊長。お前の答えがそれを物語っている」


 テミスは扉から背を離すと、悪魔のような笑みを浮かべながらゆっくりと男へ近付いていく。それに気圧された男は一歩二歩と後ずさり、壁に追い詰められる形で足を止めた。


「騎士団は動けずに八方塞がり。叶うのならば、猫の手でも借りたい程に逼迫した状況……そうだな?」

「っ…………」


 ぎしりと。顔を近づけたテミスにも聞こえる程に、副隊長の男が歯を食いしばる。大の男が少女に追い詰められるその異様な光景を、完全に呑まれたミュルクはただ静かに見守る事しかできなかった。


「フッ……そう硬くなるな。敵の敵は味方というだろう? ならば、フリーディアを救うという一点においては、我々はこの上なく心強い仲間だと言える」

「仲間……だと……?」

「ああ。そうとも。私が奴を救う理由を気にしていたな? 簡単な事だ」


 テミスは壁にへばりついた男から身を離すと、踊るように病室の中央に身を翻して口を開いた。


「かの戦場でも告げたが、フリーディアは悪ではない。そして、悪ではない彼女が不当に虐げられているというのならば、その相手を誅するために私が動く事は不思議ではあるまい?」


 言葉と共に翻った銀の髪がふわりと舞い上がり、病室に差し込む光をキラキラと反射する。その姿はまるで、窮地を救いに現れた天使のようだったが、その愉悦に歪められた表情だけは悪魔そのものだった。


「ヒョードル殿を……殺すと言うのか? 我等にそれに手を貸せと?」

「否だ。そうではない」


 震える声で喉をこじ開けた男に、回転を止めたテミスが優し気な笑みを浮かべて首を振った。


「私が、お前達に手を貸すのだ。汚い計略の餌食となったお前達の主を救う為、我が好敵手に迫る毒牙を逸らす為…………その途中……お前達の与り知らぬ所で連中の企みが潰えるのならば、それはとても喜ばしい事だろう?」

「っ……解らん……何を考えているのかは一向にわからん…………だが……」


 もはやふざけているようにしか見えない程芝居がかった素振りで語るテミスに、男は被りを振って苦し気に言葉を漏らす。その影でテミスは、説得の成功を確信していた。

 私がこの男に問いかけたのは、ヒョードルとフリーディアを天秤にかけた唯の二択だ。その背に背負うモノに差異はあれど、この二択であればこの男は間違いなくフリーディアを選ぶ。

 清も濁も併せ飲み、あの純真無垢なフリーディアを汚い謀略から身を以て守り続ける連中なのだ。この問いを投げかける事ができた時点で私の勝利は揺るがない。


「……フリーディア様も言っていた。お前の心の底にある正義を信じると……いつの日か、肩を並べて戦う日が来ると口癖のように繰り返していた……」

「副隊長……」


 力みながら、うわごとのように言葉を絞り出す男を、テミスは何も言わずに眺めていた。その横では、目を見開いたミュルクが力ない声で彼を呼んでいる。


「私には、お前の正義など欠片も見えんっ! だが……フリーディア様を想う心だけは信じよう……他でもない、フリーディア様が信じたお前を……好敵手と呼んだお前を私は信じよう!」


 頭を垂れたまま、男は血を吐くように告げると、静かに差し出されたテミスの手を固く握りしめた。その硬く交わされた握手の上では、溶けた蝋燭のように歪んだテミスの笑顔が浮かんでいた。

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