1185話 奪われし居場所
躱し得ん。
白刃の狭間にある刹那の時。眼前に迫り来るフリーディアの刃に、テミスはそう直感した。
刃を阻み身を守る大剣は深々と地面に食らい付いており、斬撃を躱すべく身を翻そうとも、怒りに任せた渾身の一撃を放った直後の体勢では、フリーディアの剣速を躱し切る事はできないだろう。
「…………」
こんな所でッ……!!
目を見開いたテミスは、それでも尚諦める事無く身を捩るが、万全の体勢から振るわれたフリーディアの刃の迅さに敵う筈もなく、白刃はみるみるうちに近付いてくる。
そして遂に、フリーディアの剣がテミスの肌を捕らえた刹那。
「――ッ!!!」
ヂャリィンッ!! と。
フリーディアの刃は僅かにテミスの肌を捉えたものの、甲高く響き渡った金属音と共に力を反らされ、僅かにテミスを掠っただけで空を切った。
絶体絶命たるテミスの窮地。その命が絶たれるのを阻んだのは、たったひと振りの刀で。
途方もない怒りに顔を歪め、突如として戦いに割って入ってきたシズクの姿には、命を救われたテミスでさえ、ただ呆気に取られて目を見張ることしかできなかった。
それは、必殺の一撃を防がれたフリーディアも同じらしく、突然目の前に現れた新たな敵に、目を見開いて驚愕の表情を浮かべている。
「フッ……!! セィッ……!!」
「クッ……!?」
だが、そんな大きな隙をシズクが見逃す筈もなく。
テミスを庇った一閃に続いて一撃、二撃と。返す刀で閃撃を繰り出すと、フリーディアは辛うじて剣で反撃を受け止めながら後ろへ跳び退るが、捌き切れなかった鋭い切っ先が浅く腕を切り裂いた。
「ッ……! …………。シ……ズク……?」
そんな一瞬の打ち合いを経た後。
斬撃の踏み込みで一歩前に出たシズクの後ろで、テミスは己の身体をペタペタと触って傷が無い事を確認してから、驚愕にかすれた声でその名を問いかけた。
つい一瞬前まで。シズクは少なくとも刀の届く場所には居なかったはずだ。
だというのに。気付けばシズクは目にも留まらぬ速度でフリーディアと打ち合っていたのだ。
信じる事ができない訳ではない。だが、眼前で起こった理解の及ばぬ事実を前に、思考が付いてきていなかった。
「ごめんなさい。テミスさん。我慢できませんでした」
「……? は……?」
だが。シズクは鋭くフリーディアを睨み付けたまま、唸るような声でテミスへの謝罪を口にする。
わけがわからない。窮地を……命を救ったというのに何故謝るのか。
テミスが思わず素っ頓狂な声と共に首を傾げる前で、シズクは斬り払った刀を静かに構え直した後、轟くような大声で一喝した。
「それだけは……言ってはならない言葉でしょうッ!!」
「ッ……!!」
「貴女は卑怯者だ。知っていますか? テミスさんがギルファーの地で、どれ程あなた達の事を……ファントの事を想っていたかを」
「なっ……!! 何――」
「――知る筈がありませんよね!! 知っていたのなら……たとえ如何なる理由があって敵対したのだとしても、あんな恥知らずな台詞を吐ける訳が無いッ!! 斬られると解っていて、テミスさんの前に立たせたのはお前だろうッ!!!」
怒り心頭のシズクが目を剥いてフリーディアを怒鳴り付けると、その怒りに呼応するかの如く、手にした刀から炎が零れ出る。
気付けば、途方もない怒りで引き締まったシズクの紅の瞳もまた、微かに紅い光を放っているかのように見えた。
しかし。
「ファントを想う……? 恥知らずですって? 助けを求めに来た振りをしてテミスを寝返らせておいて良く言うわ。お陰で私達がどれほどの犠牲を払う羽目になったか……」
シズクの言葉に、フリーディアはまるでテミスのように皮肉気に頬を歪めて嗤うと、冷めきった瞳でテミス達を睨み付けながら言葉を返す。
そこには、かつて在った暖かな優しさは欠片たりとも存在せず、輝きに満ち溢れていたその瞳も、生気を失ってどろりと濁っていた。
「ッ……!! そうやって何もかもをテミスさんに押し付ける気かッ!!」
「待て」
まるで挑発するかのように告げられたフリーディアの口上に、シズクはいとも容易く激情に駆られると、構えた刀を大きく振りかぶって一歩を踏み出すべく脚へと力を籠める。
だが、その足が地面を蹴り抜く前に放たれたテミスの声に、シズクがすんでの所で足を止めると、前方のフリーディアが手にした剣で横薙ぎに空を切った。
その剣が描いた残光は、丁度怒りのままにシズクが斬りかかったシズクの首を薙ぐように描かれていて。
シズクが鋭く息を呑む傍らで、テミスは地面に食らい込んだ剣を抜き放つと、静かにフリーディアを見据えて口を開いた。
「一つだけ……訊かせろ。ラズールの商人から略奪を命じたのは……お前か?」
「……仕方のない犠牲よ。人はより生活豊かに……良いものにしようと求めるもの。ファントの皆が豊かに……幸せになるためには必要な事でしょう?」
まるで確かめるように、ゆっくりとした口調で投げかけられたテミスの問いに、フリーディアは僅かに悲し気な表情は浮かべたものの、言い淀む事無くそう答えたのだった。




