1180話 帰還の時
翌朝。
テミス達一行は身支度を整えると、ヤタロウから借り受けた馬車に乗ってラズールの町を出立した。
その際。見送りに出てきたルギウスとシャーロットの顔は酷く不安そうではあったが、シズク達が口々に昨夜のもてなしの礼を述べる中、テミスはただ微笑を零しただけで言葉を発する事は無かった。
「あの……テミスさん」
そして、ラズールを出立してしばらく経ってから……優れた馬車の性能も相まって、そろそろファントの外壁が見えてくるであろう頃。
沈黙が支配していた車内で、シズクが胸元で小さく挙手をしながら、おずおずとテミスへ話しかけた。
「ン……? どうした? もう間もなくファントだ。ルギウスの忠告もある……そろそろ準備に入ろうかと考えていたのだが……」
「え……と……その、昨日は申し訳ありませんでしたッ! 分不相応にも私などが口出しをしてしまい、テミスさんに頭を下げさせることになってしまって……」
「あぁ……そのことならばあまり別に気にするな。他の軍団長連中ならば確かに問題ではあったが、ルギウスなら話が別だ」
「へっ……? ですが……」
意を決して語りかけたであろうシズクは、柔らかな反応を返すテミスを呆気にとられたかのように見返すと、自らを咎めないテミスに抗弁するかのように問いを重ねる。
生真面目な性格のシズクの事だ、あの後もずっと胸を痛めて気にし続けていたのだろう。シズクの内心をそう慮ると、テミスは小さく笑みを漏らして言葉を続けた。
「奴とは何かと縁が深くてな。まぁ、その話はいずれしよう。だが、今回はルギウスだったから問題無かったものの、他の連中であったならばこうはいかなかった。その点だけは留意しろ」
「ッ……!!! ハイッ!! あッ……!! ごめんなさいッ!!」
テミスの言葉に、シズクは瞳を潤ませて大きく頷いた後、その場で直立不動の姿勢を取ると共に礼をして見せる。
しかし、この馬車が他のものと比べて格段の広さを持つとはいえ、あくまでも馬車としての規格を逸脱するものではないが故に、テミスを見下ろす格好となってしまう。
僅かに遅れてその事実を認識したシズクは、素早く再び席へと腰かけると、焦りで顔を真っ赤に紅潮させながらわたわたとテミスへ謝罪をした。
「プッ……ククッ……良い良い。お陰で少しばかり気が解れた」
「うぅっ……!! 私……なんで……」
そんなシズクの、可愛らしい失態にテミスが笑みを零した時だった。
御者台へと続く潜り戸がコツコツと軽い音を立てて叩かれると、緊張を帯びたヴァイセの声がテミスの名を呼んだ。
「テミス様。目視しました」
「そうか」
たったの一言。
ヴァイセの報告にテミスは無造作に返事を返すと、傍らに携えていた漆黒の大剣を手にゆっくりと腰を上げる。
そして、御者台へ続く扉を開いた後、テミスは不安気にテミスの背を見つめる車内の一同を一瞥し、不敵な笑みを残してヒラリと御者台へ身を躍らせた。
「こちらへ」
「あぁ……」
ヴァイセに呼ばれて出た先に在ったのは、テミスにとって胸を躍らせる程に懐かしい光景だった。
高々とそびえ立つ重厚な防壁に、不思議と見覚えと愛着の湧いた変わらぬ街道。
幾度となく足を運び、時には戦場と化したこの風景に、テミスはひとまず胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
そして。
「……随分大層な出迎えだ」
懐かしい光景から視線を下すと、眼前には緊張した面持ちで武器を構える兵達の姿があって。
テミスは静かに口角を吊り上げると、誰に聞かせる訳でも無く皮肉気に呟きを漏らした。
「奴等の前で馬車を止めろ。守りは任せる」
「ハッ……! ご武運をッ!!」
「……止せ。私はただ、出迎えてくれた彼等を労いに行くだけだよ」
テミスは感情の籠らない平坦な声でヴァイセへと命令を下すと、ヴァイセが即座にそれに応じて手綱を操る。
だが、その背を押した鼓舞の言葉に、テミスは緩やかに止まりつつある馬車の御者台から飛び降りると、唇を深く吊り上げただけの恐ろしい笑みを浮かべて言葉を返した。
「出迎えご苦労ッ!! だが……どうした? 出迎えにしては装備が物々しいな?」
ヴァイセの繰る馬車が完全に止まるのを確認すると、テミスは完全武装を整えた兵達の前に歩み出て、周囲へ響き渡る程の大きな声で語り掛けた。
ただそれだけで。ファントを背に立ち塞がる兵達の間からは、ガチャガチャと身を震わせる音が聞こえてくる。
「どうした? こうして私の帰りに出迎えてくれる気持ちは有難いが……客人を待たせる訳にはいかん。ひとまず道を空けて貰えるか?」
「ッ……!!! で、出来ませんッ!!!」
「…………。ホゥ……?」
自らの問いかけに対して微動だにせぬ一団に対して、テミスは朗々と言葉を続けた。
完全武装で待ち構えていた時点で結果は見えているようなものだが、これで道を空けるのならば、まだ多少の救いはある。
しかし、テミスの内心を嘲笑うかのように、一人の魔族兵が前へと進み出ると、表情を引き攣らせて声高らかに返答を返した。
「フリーディアの命令か?」
「ッ……!! この町の主であったテミスは、あろうことかファントから送った迎えを無残にも斬り殺したッ!! よって敵方に付いたものと判じ、ファントに害為すならば捕らえよッ!!」
「……そうか」
進み出た魔族兵はテミスの問いにガクガクと脚を震わせながら頷くと、通達されたであろう命令を高らかに暗唱して見せた。
その答えに、テミスは大きく頷くと、肩を並べた兵士達に背を向けて数歩、馬車の側まで退く。
その、撤退とも思える行動に、ファントを守る兵達の間からは、安堵の息が漏れるが……。
「よくわかった。つまりお前達は私の敵という訳だな……?」
ズラリ……と。
数歩の距離を置いてテミスは再び兵達を向き直ると、濃密な殺気の籠った言葉と共に、背負った漆黒の大剣を抜き放ったのだった。




