1176話 分かたれぬ絆
緩くウェーブのかかった黒い髪に、エルフ族特有の尖った耳。そして、静謐な彫像が如く整った眉目秀麗な顔には、世を儚むかのような薄い笑みが湛えられている。
その姿はまさしく、テミスのよく知る戦友にして魔王軍第五軍団長・ルギウスその人であった。
だからこそ。副官すら付ける事無くこの場に現れた彼に、テミスは動揺を露わにしてしまう程の驚きに襲われていた。
「お……前……ッ!!」
「フフ……君のそんな驚いた表情を見る事ができただけでも、来た甲斐はあったというものだけれど……」
「……! チッ……相変わらずキザな奴だ。歯の浮いたような台詞ばかりぺらぺらと」
「君こそ、相変わらずのようで何より。最近は、勇猛果敢にして無双たる強さを誇る、我等が血染めの戦姫様の姿が見えなくて心配していたんだ。以前のように、町を空ける時に僕に連絡もくれないからね」
「ハァ……当り前だろう。お前は魔王軍の旗下。私は魔王軍を出奔した身だぞ? 本来ならば留守を任せるどころか、戦場で相見えていてもおかしくない間柄だ」
「クス……。まぁ……表向きはね。僕等が刃を向け合う事など決して無い事は、誰よりも僕たち自身が知っている。……だろう?」
二人は顔を合わせるなり、互いに歯に衣着せぬ物言いで言葉を交わすと、最終的には互いに柔らかな笑みを浮かべながらルギウスは肩を竦め、テミスは小さくため息を吐く。
それは最早、長い付き合いになりつつある二人の間では定番のやり取りであり、互いにそれを理解しているからこそのじゃれ合いのようなものではあったが、そんな二人の間柄など知る由もないシズク達やアナンをはじめとする兵達は、顔を引き攣らせてその光景を見守っていた。
「それで? コイツは何だ? 何処で拾ってきたんだ? 私の何を吹き込んだ?」
「え……? あぁ……プッ……ハハッ!! まさかテミス、君……覚えていないのかい?」
「なに……?」
挨拶代わりの軽口の応酬を終えたテミスが、地面にへたり込んだままのアナンへチラリと視線を向けながら問いかけると、ルギウスは一瞬だけ呆けたように首を傾げた後、腹を抱えて盛大に笑い声をあげ始める。
「あははははっ……!! ロンヴァルディアがファントを侵攻した時に戦っていた冒険者将校の一人さ。僕と相対していた彼女を、君がその手で斬り伏せたんだよ」
「む……? フム……言われてみれば……微かに見覚えが……あるような……? だが待て、ならば何故まだ生きている?」
「ヒッ……!?」
「おっと。待った待った。早合点は止して欲しい」
笑いながら説明を始めたルギウスの言葉に、テミスはアナンに顔を近付けてまじまじと観察して首を傾げた後、遅れてピクリと眉を跳ねさせ、背負った大剣の柄を掴んだ。
これまでも、戦いの中で幾百の敵と戦ってはきたが、あのロンヴァルディアが有した冒険者将校で、しかも私が斬り伏せたのだとすれば、まごう事無き悪人に違いがない筈だ。
だが、ルギウスは柔和な笑みを浮かべたままテミスとアナンの間に割って入ると、震えあがるアナンを庇うように立って言葉を続けた。
「言っただろう? 拾ったって。君にやられた後、彼女の話を聞いたのだけれど、随分とひどい目に遭ってきたらしい」
「だから拾ってきたと? 馬鹿馬鹿しい。犬や猫じゃないんだぞ。コイツがお前に牙を剥けばどんな被害が出る事か……!!」
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。首輪はきっちりと付いているから。ね、アナン?」
「ッ……! ッ……!!」
憮然とした表情でテミスがそう吐き捨てるが、ルギウスは笑顔を深めて穏やかに返すと、自らの足元にへたり込んだままのアナンへと語り掛ける。
すると、アナンはビクリと身を跳ねさせた後、恐怖で縮こまった喉から微かな音を漏らしながら、必死の形相で何度も頷いてみせた。
「ハッ……随分としっかり躾たみたいだな? この鬼畜め」
「僕は別に何も? ただ、彼女とは契約を交わしただけさ。それよりも君だ、テミス。後ろの獣人族の子たちは君の旗下の子じゃないよね? それに何故、ファントを治めているはずの君が、ギルファーの紋が刻まれた馬車を携えているんだい?」
親しさの滲む軽口を叩き合いながら、テミスとルギウスが穏やかに言葉を交わしていた時だった。
突如。終始笑顔を浮かべていたルギウスがその眼差しを真剣なものへと変えると、真正面からテミスを見据えて問いを投げかける。
その問いは、魔王軍の軍団長としての責務からくる緊張感を孕んでいるのと同時に、一切の搦め手なく切り込んだ戦友としての信頼も帯びていた。
恐らくは、私が今この問いに明らかな偽りの答えを告げたとしても、ルギウスはこの場では何も問い詰める事無く信じるのだろう。
だがそれは、軍団長としての責務を背負いながらも、戦友として真摯に向き合ってくれたルギウスにあまりにも不義理で。
「……少々訳ありでな。ギルファーとは友好を結んでいる。要するにこいつらは預かりもので、今はファントへ帰る途中って訳だ」
テミスは小さく息を吐いて僅かに逡巡した後、簡潔にこの場で語る事の出来る真実だけをルギウスに答えたのだった。




