1174話 かつての友軍は今
「ガッ……!? ハッ……ァ……。ッ……!! な……なん……」
己の血に濡れた大剣が胸を破ると、男は驚愕の表情を浮かべ、ぶるぶると全身を震わせながら背後の振り返って問いかける。
完全に勝利を収めたはずだった。勇猛たる名が轟いていようとも、携えているのは細腕では到底扱えぬ程の大剣。その片腕は、先程仲間を庇って肩を負傷している所為で使えない。加えて、馬車の前方というこの位置を陣取っている間、自分に手出しなどできる訳がないはず。
驚愕と降って湧いた絶望に塗れた表情は、そんな男の心情を声高に物語っていた。
だが、テミスは不敵に吊り上げた口角のまま男の手を掬い上げると、その手が握っていた馬の手綱を静かに奪い取る。
そして……。
「ククッ……あまりに無防備な背中が見えたものでな、誘っているのかと思ったぞ」
テミスは奪い取った手綱を操って、飛び移った男の馬を馬車の前から逸らしながら、男の耳元で囁くように言葉を紡ぐ。
それは、既に死を逃れられぬ傷を負った男にとって、紛れもない死神の囁きで。
勝利の歓喜から一転、自らの死という掛け値なしの絶望へと叩き落とされた男は、何かを訴えるかのように口をパクパクと開閉させると、目尻に涙すら浮かべてごぼりと血を吐き出した。
「……よし。あとはこの銃の一式を回収して……邪魔だッ!」
しかし、テミスは男の様子を完全に無視すると、首に提げていた銃を奪い取った後、男の所持品を漁りはじめ、簡素な衣服に下げていた替えの弾薬一式を強奪して馬上から蹴り落とす。
無慈悲にも大剣で胸を貫かれ、走る馬の上から蹴り落とされた男は、喉の奥に溜まった血に阻まれて末期の悲鳴すら挙げる事さえ許されずに、地面へと叩き付けられる。
その頃には、テミスは馬をハクトの繰る馬車と並走させると、後方の襲撃者を始末すべく徐々に速度を落としていく。
「ッ……!!」
しかし、ここは疾駆する馬の上。
自分達が前方を走っている今、テミスはつい先ほど蹴落とした男へと吐いた言葉が、今度は自らへと向けられている気分だった。
相手は銃を所持している。対してこちらは相手に無防備な背を向けたまま戦わなければならない。
やるのならば、馬が駄目にならない程度を鑑みながら一気に速度を落とし、大剣で小隊をまとめて薙ぎ払う。
この方策では、叩き切った連中の持っている銃が回収できない為、恐れを知らない商人の手に流れる可能性もあるが……。
「止むを得んッ……!!」
テミスは横目で馬車を守り続けるヴァイセをチラリと見ると、ギシリと歯を食いしばって覚悟を固めた。
どちらにしても、このまま一方的に攻撃をされ続けてやる訳にはいかない。先程のハクトの様子を鑑みるに、運が良ければ使い方を理解されず、ただの棒か魔法の触媒として扱われるはずだ。
そう判断したテミスが、ぶおんと音を立てて大剣で宙を薙ぎ、その刀身にべっとりと付着した血を払った時だった。
「テミス様ッ!!」
「何だッ!?」
「敵……退いて行きますッ!!」
「なにっ……!?」
馬車の上から響いたヴァイセの報告に、テミスは目を見開いて驚きを露にすると、更に馬の速度を落として馬車の後方へと回り込む。
その時には、既に馬車の背後を取っていたはずの襲撃者達は遥か後方へと姿をくらましており、テミスは釈然としない思いを噛みしめながら、振るう相手の居なくなった大剣をゆっくりとその背へと納めた。
「奴等……何者だ……? 何を考えている……?」
かくして、襲撃を受けたという事実はテミスの負った肩の傷と、奪い取った馬だけが残される形となったのだが……。
「テミス様ぁ……!!」
「えぇい!! 今度は何だッ!?」
再び響いたハクトの弱々しい悲鳴に、テミスは苛立ちを露わにして馬へと活を入れると、馬車の前方へと駆け戻る。
するとそこには、見覚えのある鎧で防御を固めた兵達の一団がテミス達の行く手を阻むように展開しており、その物量を以て押し潰すように馬車を止めるべく速度を落しはじめていた。
「ッ……!! こいつらは……」
突如として行く手を阻んだ兵士たちの掲げる旗には、魔王軍第五軍団の証である紋様が描かれており、再び大剣へと伸びていたテミスの手がピクリと止まる。
そして……。
「ま……待てッ!! 待て!! 武器を向けるなッ!! その方はッ……!!」
大盾と馬上槍で武装した兵士達とテミスが静かに睨み合い、馬車の速度がゆっくりと落ちていく中。兵士たちの背後から突然、慌てたような制止の叫びが響き渡ったのだった。




