1171話 小さな世界
夜。
完全に陽が落ち、頼りない月明りのみが闇を照らす中。
周囲に遮るものの無い平原の只中で、灯された焚き火がパチパチと柔らかな音を響かせている。
時折、甲高い音と共に平原を吹き渡る風が炎を揺らめかせるが、その他には魔物や獣の鳴き声などは一切聞こえない。
しいて言うのならば、アヤ達がきゃいきゃいと姦しく言葉を交わしながら調理に励んでいるが、この楽し気な声を雑音と称するのは少しばかり酷なものだろう。
「…………」
「テミス様」
そんな事を考えながら、テミスが焚き火の傍らに腰掛けていると、背後の薄闇の中からサクサクと微かな足音を立てて姿を現したヴァイセが、静かな声でテミスへと声を掛ける。
「どうだった?」
「はい。周囲に敵と思われる者の姿は無し。それどころか、この静寂が示す通り獣一匹見当たりません」
「……後続は?」
「空から索敵した限りでは街道に追手は無し。今、この近辺に居るのは我々のみかと」
「そうか。ご苦労」
警戒の為に周辺の索敵を命じていたヴァイセの報告を受けると、テミスはコクリと頷いた後、己が眼前を視線で示して休息を促した。
高価な馬車を駆る女五人に男一人。他者から見れば、今の自分達がいかに野党の類の格好の標的であるかを、テミスは十二分に理解していた。
だからこそ、如何に補給の目処の立たない見晴らしの良い平原の真ん中とはいえ、危険を冒してでも襲いに来る馬鹿が居るだろうと予測していたのだが……。
「しっかし……おかしな場所ですよねぇ……。こんなに開けていたなだらかな土地なのに、村一つ無いどころか生き物の気配が無いなんて」
「妙ではある、が……おかしな話でもあるまい。何処にだって何故か人の寄り付かない場所というものはあるものさ」
「そんなモンですかねぇ……。それこそ、宿屋の一つでも始めりゃ凄い儲けになると思うんスけどね」
ヴァイセの報告を元に、テミスがパチパチと弾ける焚き火に視線を向けながら今後の方策を練っていると、促されたとおりに焚き火の側へと腰を落ち着けたヴァイセが、のんびりとした口調でテミスへと語り掛けた。
確かに、競合する者の居ないこの場所で旅宿を営めば、商人や旅人は足を止めずに済むし、流通の助けにもなるだろう。
だが、それが無いという事は相応の理由があるという訳で。
……休息が必要とはいえ、やはり警戒を怠るべきではないな。
他愛のないヴァイセとの雑談からも、この場の違和感を感じ取ったテミスが、胸の中で密かにそう決意を固めた時。
「この一帯は水が出ないんです。時々ヴァイセさんみたいに考える人もいるみたいなのですが、掘れども掘れども水が沸く事は無く、川や池も無いので住む事なんて到底できないんだと聞きます」
良い香りと共に湯気をあげる器を両手に持ったシズクが、テミス達の側へ歩み寄りながらテミス達の会話へと入ってきた。
「へぇ……それでも、近くの村から水を持ち寄るか、買えば宿くらい作れるんじゃないか? 皆便利になるんだし、それくらいは……」
「あははっ! 面白いこと言うね。水が出ない所になんて住んだら、買うのにいくら吹っ掛けられるかわからないよ。それに……さっきの村を見た感じ、近くの村と協力するのも無理なんじゃないかな?」
「何でだよ?」
「だって……あの村、軒並み酒場か宿屋だったじゃないか。って事はあそこの人たちはこの平原に足止めされる旅人たちを泊めて生活している。平原に宿なんて作られれば、暮らせなくなる人がいっぱい出るだろうさ」
「あ……」
そこへ、後ろから賑やかな声と共に両手に器を持ったアヤが合流すると、シズクは手に持った器の一つをテミスへ渡してそのまま傍らへと座る。
その眼前では、ヴァイセがテミスと同じようにアヤから器を受け取りながら、何も言い返す事ができなくなって口をパクパクと開閉させていた。
「ククッ……ヴァイセ。悪くはない考え方だがここはファントとは違うのだ。全体の利便よりも個人の利益が優先……余程の金持ちか力を持つ者が信念を燃やさん限り、一度出来上がった体制を崩す事はできまい」
「なんつーか……勿体無いって言うか、怖い話っすね」
「そうだな……」
テミスはヴァイセの漏らした感想に、頭の中で一人のお人好しの顔を思い浮かべながら相槌を打った。
金と権力を持ち、他人の為に労力を費やす事を惜しまない大馬鹿。もしもあの大馬鹿がこの地の現状を見たならばどうするだろうか? 困っている人なんていないからと無視をするのだろうか? それとも、いつものようにぎゃあぎゃあと喧しくしゃしゃり出て、村の一つでも作ってしまうのだろうか?
「……どちらにしても、碌な事にならなさそうだな」
ふと思い浮かべた未来に、テミスはクスリと笑みを浮かべると、手に手に器を持って集まってくるカガリ達を待ちながら小さな声で呟きを漏らしたのだった。




