1169話 賑やかな帰路
車輪の回転するガラガラという音が微かに響く中、テミスは馬車の窓の外を凄まじい速度で流れていく景色をぼんやりと眺めていた。
同じ車内にはヴァイセとシズク、そしてアヤが肩を並べており、重たい沈黙が満ちている。
本来ならば、今回の派遣に自ら志願したカガリもここに居る筈なのだが、この重たい雰囲気をいち早く察知したのか、ギルファーを出立してすぐに御者台へと逃げ出していった。
「…………」
「っ……え……えぇっと……!! そ、そうだ! ファントってどんな所なんですか? お恥ずかしながら、私ギルファーから出たことが無くてですね。やっぱり『外』で何か気を付ける事とかってあるんですか?」
そんな空気に遂に耐え兼ねたのか、アヤは喉を潰したような唸り声を漏らした後、必死で空元気を保っているのだと理解できるほど底抜けに明るい声で、車内の面々を見渡しながら口を開く。
けれど、当のテミスがアヤの言葉に微塵たりとも反応する事は無く、緩んだ瞳で窓の外を眺め続けた。
「……。それはもう、素晴らしい町でしたよ。食事は美味しいですし町も綺麗……ギルファーの中心街を遥かに超える、漲るような活気が満ち溢れていました!!」
虚しく木霊するアヤの問いに、シズクは微動だにしないテミスへと静かに視線を走らせた後、以前訪れた際に見たファントの光景をありのままに伝え聞かせる。
事実。シズクにとってファントで過ごした日々は、今も克明に思い出す事ができる程に素晴らしい時間であったし、再びあの町で過ごす事ができると考えただけで、叫び出してしまいそうなほど胸が躍る気持ちだ。
「すまないが、あまり期待しないでくれ。今のファントは……」
「ヴァイセ」
だが、重たい口調で口を挟んだヴァイセの言葉を、テミスは窓の外へ視線を向けたまま静かにその名を呼んで留めた。
その途端、僅かに軽くなりつつあった車内の空気は再び淀み、二度目の重たい沈黙が一同の肩へと圧し掛かる。
しかし、テミスは言葉と共に窓から視線を外して車内へと目を向けると、薄く微笑んで言葉を続けた。
「……妙な気分だな。ギルファーに向かう際は必死の思いで歩んだ旅路を、こうしてただ眺めているというのは」
「ハ……ハイッ!! まぁ……俺はただひたすら駆け続けるばかりだったので、道中の景色なんてロクに覚えちゃいないですが……」
「少し切ないような気もします。あの岩窟も、とうに過ぎましたから」
「ウッ……!? あ、あの岩窟の話は勘弁してくれ……」
「ククッ……!」
「フフッ……」
何処か物憂げにも思える声色で続けられたテミスの言葉に、ヴァイセが苦笑いを浮かべて答えを返すと、すかさずシズクが頷きながら声を重ねる。
すると突然、ヴァイセは全身をぶるりと振るわせて顔色を青く染め、弱々しい声でシズクへと懇願した。
それはヴァイセにとって偽らざる本心そのものであり、思い出すだけでも体の芯が冷えてくるような悪夢そのものではあったが、テミスとシズクは怯えたように身を縮こまらせるヴァイセを見て視線を合わせた後、同時に破顔して笑いを零す。
「あっ……! なんですか? お二人だけ通じ合ったような顔しちゃって。私にも教えてくださいよっ!」
「いえ……そんなお話して聞かせるほど大した話ではないのですが……」
「あぁ、そうだな。何処ぞの商隊の連中が、私を奴隷として手籠めにしようとしたり、焚き火から遠ざけて一晩凍えさせたりした事など些細な話だ」
「えぇっ……!?」
「なっ……!?」
「テミスさん……ふふっ……」
そんな緩んだ空気を見逃す事無く、身を乗り出したアヤが話題に切り込んでいくと、シズクは苦笑いを浮かべて言葉を濁すが、その後を引き継ぐようにして皮肉気な笑みを浮かべたテミスが全てを暴露する。
ともすれば、現在のギルファーとファントの関係さえ揺るがしかねない話題を聞かされたアヤとヴァイセは、あまりの衝撃に目を見開いて驚愕を露わにしたが、その傍らでシズクは一人クスリと嬉しそうに笑みを零した。
何故ならばあの場所はシズクにとって、はじめて窮地にあったテミスを救い、絆を結んだ思い入れの深い地で。
あの場であった事柄こそ暴露したものの、テミスがその裏側で起こった事や今もその身に纏っている、シズクの贈った外套の事を秘したのが妙に嬉しかったのだ。
「フッ……。どうした? シズク。嬉しそうに」
「いいえ? 立ち寄る人が多いとはいえ、テミスさんといいヴァイセさんといい……ファントの方はあの岩窟に縁がありそうだなぁと思いまして」
「だ……そうだヴァイセ。今後ギルファーへ赴く際は、寒さへの対策を万全にさせねばならんな」
「お任せを。この身を以て思い知ったあの恐怖と共に、しっかりと教育して見せましょう」
一人表情を緩ませるシズクに、テミスがクスリと意味深気な笑みを浮かべて問いかけるが、シズクはわざとらしく肩を竦めてみせると、冗談と共に話題を明後日の方向へ切り替えた。
そして、シズクの話題に乗ったテミスの言葉にヴァイセが身体を震わせながら力強く頷くと、車内には明るい笑い声が響き渡ったのだった。




