1168話 別れの餞別
「……。これは? 名簿か目録のように見えるが」
テミスは差し出された紙束を受け取ると、素早く中身に目を通してからヤタロウへと問いかけた。
紙束の中には幾つかの区分に分けられた人名らしきものが羅列されており、所々注釈のように説明が添えられている。
だが、記されているのはそれだけで。この紙束が何を意味する者であるのかという肝心な情報だけは記されていない。
「その通り。彼等は父……先王が各地へと放っていた尖兵の中でも、私からの帰還命令に応じなかった者や、伝令が帰ってこなかった者達の目録さ」
「フン……つまるところは出奔者。さながらこれは、裏切り者の手配書という訳か」
「そうだね。そうとも言える。けれどそれだけじゃない」
「…………」
真剣味を帯びた声でヤタロウが語り始めると同時に、漂い始めた不穏な空気が形を成したかのように、分厚い雲が淡く降り注ぐ朝日の光を遮った。
気の毒な話だ。と。テミスは、苦悩するかのように表情を曇らせ、視線を落としたヤタロウを前に、胸の中でひとりごちる。
改革とはある側面から見れば、身体を切り裂いて膿を掻き出す行為に等しい。
故に、国という巨体を持つ存在の改革を為そうとするならば、いくら内々での処理を試みたところで、掻き出した膿が周囲へと飛散するのを完全に防ぐことは不可能だろう。
つまり、ここに記されている連中はギルファーの掻き出された『膿』……ヤタロウの意に従わぬ者達だという事を意味している。
「……先に謝ろう。君を不快にさせてしまうかもしれない」
しばらくの沈黙の後、ヤタロウはそう前置きをすると、覚悟を定めるかのように小さく息を吸い込んでから静かに言葉を続けた。
「彼等に与えられていた任務は略奪と収集。具体的には、敵地にて混乱を巻き起こしながら、奪い取った物資を本国へと送り潤わせる事。……その物資の中には勿論、奴隷も含まれるんだ」
「クク……そんなところだろうとは思っていた。なにせ、以前ファントでも似たような連中を見た覚えがあるからな」
「っ……申し訳ない。償いは私から必ずさせて欲しい」
「構わんさ。お前の差し金ではないんだ。お前に席を求めるのは筋違いだろう。勿論。攫われた連中の捜索には手を貸して貰うがな」
「それは……必ずッッ!!」
唇を噛みしめ、ヤタロウはテミスに血を吐くような声で謝罪をするが、テミスは薄い笑みと共に肩を竦めただけで、それ以上追及をする事は無かった。
しかし、ヤタロウはテミスの言葉に深々と頷くと、再び大きく息を吸い込んでから、苦渋に満ちた表情を浮かべた顔を上げて口を開く。
「彼等は任務の性質上、他種族……特に人間を嫌う傾向にある。元来、粗暴かつ残忍な性質を持つ罪人も多く徴用している所為もあって、ギルファーという国としての枷が外れた今、彼等は野盗と化していると見るべきだろう」
「だろうな。やる事が変わる訳では無い。国へ納めていた成果が丸々連中を肥やす餌になるだけだ」
「……その通り。そして今回君にそれを託したのは、せめてもの誠意だと思って欲しい。餌を求める彼等にとってこの馬車……そしてファントは酷く魅力的映るだろうからね」
「あぁ……確かにな……」
チラリ。と。
ヤタロウの言葉にテミスは視線を馬車へと向けると、口元にニヤリと薄い笑みを浮かべて小さく頷いた。
この連中にからしてみれば、ギルファーという国に裏切られたようなものだろう。
こちら側からしてみれば身勝手極まりない理由にはなるが、その感情はそのまま、連中がギルファーの紋章を掲げたこの馬車を襲い、奪う理由にもなる。
そして同時に、国によって定められた相手から略奪する必要のなくなった彼等にとって、新たに興った融和都市・ファントは格好の標的と映るのは間違いない。
「情報、感謝する。これまで敵国のただ中に身を置いて暴れてきた連中だ……精強さも相当だろう。お陰で対策も立てられる。こちらの被害を減らせそうだ」
「…………。ありがとう」
だが、これを差し出すのは、元とはいえギルファーの保有する軍事力の一部を晒すようなもの。ここまで来るのに、ヤタロウも相当の苦悩を経たのだろう。
テミスはそうヤタロウの心労を察すると、凛とした笑みを浮かべて受け取った紙束を懐へと仕舞い込む。
すると、ヤタロウも漸く弱々しい笑顔を浮かべ、礼を述べると共に一歩後ろへと退いた。
「……娘たちを頼む。またいずれ、手合わせをしたいものだな」
「あぁ。楽しみにしている」
ヤタロウが一歩下がるのと同時に、それまで後ろで控えていたコハクが前へと進み出ると、テミスに微笑みかけながら静かな声で言葉をかける。
すると、それを合図にしたかのように、ヤタロウの引き連れてきた面々がコハクと肩を並べるように進み出ると、口々に別れの挨拶や感謝などを述べ始めた。
暫くの間、テミスがこの場に集った者達から賑やかな見送りの言葉を受けた後。テミスの側を離れていたヤタロウが再びテミスの前へと進み出る。
「別れは惜しいけれど、いつまでも引き留める訳にもいかないね。あとは、馬車で控えている子たちに任せようかな。ヴァイセ君も待っている。では……必ずまた会おう。我等が友よ。救国の英雄よ」
「クス……大層な渾名は止せ。またな」
そして、ヤタロウは胸を張りテミスを見送るべくこの場に集った者達の思いを締めくくるかのように、高らかに口上を述べると、馬車への道をテミスへ譲るように身体を捌いて笑顔を浮かべた。
そんな彼等を前に、テミスは静かに苦笑いを浮かべると、ヒラヒラと手を振りながら馬車へと乗り込んだのだった。




