1162話 早駆けと焦燥
「ヴァイセが目を覚ましただとッ!?」
「はいぃ……!! ッ……それで! 至急! テミスさんに伝えるようにと!」
小雪がぱらつき始めたギルファーの町を駆けながら、テミスは声を荒げて後ろを走るシズクへと問いかけた。
その問いかけに、シズクは目に涙を浮かべながらそう答えるが、次第に調子を取り戻してしっかりとした口調へと戻っていく。
「それで? 奴は何と!?」
「いえ! 詳しいことはまだ何も!! ですが、何やら解放しろと暴れている様で……」
「えぇい……あの馬鹿め!! まかり間違ってギルファーの兵を殺しでもしたら大ごとだぞッ……!!」
「心配し過ぎよ。アンタじゃないんだし。ギルファーの兵達もそこまでヤワじゃない。それに、彼には武器だって手元にはない筈だわ」
「カガリ!! 失礼ですよ!!」
「…………」
先頭を駆けるテミスが苛立ちを露わにしてそう嘆くと、最後尾を走っていたカガリがシズクに並び、ニンマリと意地の悪い笑みを浮かべて後ろから声を掛けた。
だが、テミスは挑発するようなカガリの言葉に返答を返す事は無く、その代わりと言わんばかりに並走するシズクがカガリを嗜める。
確かに、このギルファーに集う兵達は猛者揃いだ。そんじょそこらの兵共と比べれば、一兵卒であっても比べ物にならない程の強さを持っているだろう。
しかし、ヴァイセとてただの兵ではない。
かつては、強大な能力を持つ者たちが集うヤマトと呼ばれた町で、その戦いの腕を買われ、兵として前線に立っていた男なのだ。
今では新参兵ながらも立派な黒銀騎団のまとめ役として、日々腕を磨いていると聞く。
「被害が出ていなければいいが……」
テミスは以前訪れたミチヒトの居る建物を視界に捉えると、ボソリと呟きを漏らして速力を上げる。
外側から見たところ、壁を崩したり吹き飛ばしたりまではしていないし、瞬時に見て取れるほどに大きな騒ぎにはなっていないらしい。
だが、黒銀騎団で幾ばくかは矯正したとはいえ、奴の元来の性格を鑑みれば一刻を争う事態であることは間違いないだろう。
「ッ……!! 私は先に行く!! シズク! カガリ! お前達は後から合流しろッ!」
「えっ……? テミスさ――きゃぁっ!?」
「ちょ……何いって――えぇッ!?」
僅かでも被害を減らす為には、一刻も早く自らが現場へと到着する事だ。
そう判断したテミスは、随伴するシズクとカガリに鋭く指示を出すと、一気に外壁を飛び越えて館へと走り去っていった。
そのあまりにも突拍子もないテミスの行動に、シズク達はただただ驚きと困惑の表情を浮かべる事しかできず、二人は一瞬だけ顔を見合わせた後、表情を引き締めて館の入口へと向けて全速力で走り始める。
「フム……」
一方で、外壁を一気に飛び越え、雪煙を上げながら柔らかな雪の中を疾駆するテミスは、眼前にそびえ立つ館を見上げて小さく息を吐いた。
確か、以前来た時にヴァイセが寝かされていた病室はもう少し先のはず……兎も角、奴がギルファーの兵を相手に大立ち回りを演じているのならば、近くまで寄れば悲鳴なり怒号なりが聞こえてくる筈だ。
「ム……? ここか……?」
そして暫くの間屋敷の壁に沿って駆けていると、テミスの耳が微かに響いてきた怒号を捉えた。
この厳しい寒さすら遮断する分厚い外壁に阻まれ、誰の声であるか、何を言っているのかまでは聞き取る事ができないが、この建物で今、こうも断続的に怒声が続く場所といえば、目を覚ましたヴァイセの暴れている場所の他に無いだろう。
「ッ……!! 間に合えッ……!! 早まってくれるなよ……?」
ぐぐ……と。
テミスは怒声の響いてくる窓を見上げて足を止めると、祈るように呟いてから深くしゃがみ込んで脚へと力を籠める。
ヤタロウも精力的に働いてはいるものの、永きに渡って人間を……他種族を目の敵にしてきたこの国が変わるのには、短くない時間が必要だ。
漸く融和に向けて国が動き始めた矢先に、友好を結んだばかりの旗下に連なる人間が獣人を殺せば、ギルファーとの関係悪化は免れないどころか、最悪の場合ギルファーと事を構えなければならなくなる。
「私の努力をッ!! 戦いをッ!! 無駄になどさせてたまるかッ!!」
少なくない焦りが籠った叫びと共にテミスは全力で跳び上がると、館の外壁の僅かな凹凸を足場に跳び移りながら、目標の窓へと跳び上がっていく。
そして、程なくして目標の窓まで辿り着くと、身体を護るように両腕を構え、窓を蹴破るようにして建物の中へと飛び込んだ。
直後。
「落ち着かれよ。目を覚まされたばかりで身体も辛かろう。今、遣いを出して呼びに行かせているから横になって待たれては如何か?」
「ふざけるな! 落ち着いてなど居られるかッ!! こちらは火急なんだ!! 一体いつまで待たせるつもりだッ!! テミス様はまだなの――ッ!!!?」
けたたましい音と共に窓をぶち破って部屋の中へと飛び込んだテミスの前では、見張り役と思われる獣人の兵に怒声をぶつけていたヴァイセが、驚愕に顔を歪めながら息を呑み、突如として姿を表したテミスを振り返っていたのだった。




