1161話 発つ鳥
猫宮家での手合わせから二日後。
テミスは既に日課と化している午睡をたらふく楽しむと、掛け布団からもそもそと手を突き出して握り拳を作る。
あの日はとても楽しかった。と、テミスはコハクとの手合わせを終えた後も、クロハやユカリ、そしてトウヤ達と幾度となく重ねた手合わせを思い返しながら胸の中で呟きを漏らした。
あれ程まで自由に剣を合わせたのはいつぶりだろうか。フリーディアとの稽古では、どうしても負けられないという意地があるし、旗下の者達を相手に無様な姿を見せる訳にはいかない。
そう考えると、気軽に負ける事ができて、幾多の思い付きを試す事の出来る稽古は、稀有な経験だったのではないだろうか。
「それにしても……新月斬か……。クク……まさか新たな技まで会得してしまうとはな」
新たな稽古が始まった中で、テミスは実際に手合わせをしたコハクやユカリの意見をも取り入れながら、手合わせの中で生み出した新月斬の新たな使い方を体得したのだ。
無論それは。衝撃波ではなく斬撃を飛ばす月光斬にも言える事で、いつの日かフリーディア達がこの技を見て驚く姿を思い浮かべるだけで、愉悦にも似た胸の高ぶりが込み上げてくる。
「シズクは……まだか……。フッ……流石のシズクも堪え切れないか」
テミスはそう呟きながら柔らかな笑みを零すと、ムクリと体を起こしながら、勢い良く体にかかっていた掛布団を撥ね飛ばす。
同時に、布団に守られていた薄着の肌が部屋の空気に晒され、その肌寒さが微かに身体に残った眠気を追い出していった。
あの日以降、シズクは目に見えて日々の鍛練に励むようになり、よく私にも稽古をせがんで来るようになった。その甲斐もあったのか、いつの間にやら仕込んでやった月光斬も形になってきている。
「アレに毎度毎度付き合っているカガリの根性も相当だがな……」
クスリ。と。
小さな笑みをひとつ零してからテミスは身支度を始めると、今頃も必死でシズクに食らい付いているであろうカガリの姿を思い浮かべた。
シズクと違って捻くれているカガリは、どうやら私に教えを乞う事など絶対に誇りが許さないらしく、毎回シズクと共に稽古をせがみに来ては、私がシズクに稽古をつけてやっている間は、チラチラとこちらを盗み見ながら独自に刀を振っているのだ。
そんなカガリに、時折テミスは体の良い練習相手としてシズクを押し付けながらも、テミスはカガリが今磨き上げている剣技に目を付けていたりもする。
「シズクとは違う取り込み方だ。盗み見た断片的な情報を何かで補っているのだろうな」
二人とも、猫宮の技を元にした剣術であることに間違いはない。
だが、そこに月光斬やかつてフリーディアやオヴィムから教わった俄か剣術を溶かし込んでいるシズクのソレとは、シズクと打ち合うカガリの剣筋はどうも異なっている気がする。
どちらかというと、ユカリやトウヤが扱う剣のような、猫宮の技の色が強いような気もするのだが……。
「フフ……存外、流派というのはこうして増えていくものなのかもしれないな」
いつもよりもはるかに時間をかけて身支度を終えたテミスは、再びクスリと笑みを零すと思考に耽るのを終えて頭を切り替えた。
ヴァイセが目を覚まし次第、即座にファントへと戻る予定である私は、期せずしてできたこの猶予を生かして、今も着々とその根回しを進めている。
まずこの白銀の館は、正式にヤタロウによってファントとの友好の証として認められ、増改築が施されるらしい。
曰く、私やファントの物が訪れた際の逗留拠点とするらしいが、秘密の酒場である白銀亭は是が非でも存続させたいとの事で、シズクの部隊の者やカガリたちといったこの建物に詰めていた者達が今後の維持管理を務めるようだ。
「要するに大使館という事なのだろうが……ファント側でも用意すべきなのだろうか?」
そこまで思い返して、テミスはふと眉根を歪めて考え込むが、ひとまずは保留として胸の片隅に留めておくと結論付けた。
あとは、先日の一件でできてしまった猫宮家との縁に筋を通し、逗留中に何かと世話になった万事屋師弟のコスケとジュンペイに挨拶をすれば、後腐れなくファントへと旅立つ事ができるだろう。
「ま、後はオヴィムが上手くやるだろ……」
残り少なくなったやるべき事を頭の中でまとめると、テミスはさっさと片を付けるべく部屋の外へと向かう。
オヴィム曰く、国の再建を間近で見るのはアルスリードの学びに繋がるらしく、もう暫くはヤタロウ達を手伝いながらこの地に残るらしい。
ならば、一つと言わず二つや三つでも面倒事を残して行った所で、さして心配事が残るという事も無いだろう。
そんな、まるで重荷から解き放たれたかのような清々しい気持ちで、自分の部屋を後にしたテミスがホールへと足を踏み入れた時だった。
「テミスさんは!? まだ寝ていますかッ!?」
バァンッ! と。
入り口の戸がけたたましい音と共に開いたかと思うと、そこから傍らにカガリを引き連れて飛び込んできたシズクが、なんとも情けない問いを大声で響かせたのだった。




