1160話 巡り来る『次』
「ッ……!!! 待てッ!! そこまでッ!!」
水を打ったように静まり返った武道場の中に、床を打つ木刀の音が響き渡ると、再び一瞬の静寂が訪れる。
だがその直後。我に返ったかのようにビクリと身体を震わせたトウヤが、テミスとコハクの間に割り込みながら声を張り上げた。
「……この戦いの勝敗を決めるのは我々の筈だが?」
しかし、テミスは突然の乱入者であるトウヤに悠然と振り返ると、半眼で睨み付けながら静かに問いかける。
「詭弁を弄するなッ!! この場はあくまでも手合わせの場……!! 泥臭い戦場などでは無い!」
「だから何だというのだ。仕合はまだ終わってなどいない。退がっていろ」
「何を言うかッ!! 勝敗など一目瞭然ッ!! 既に決着は――」
「――止せ。刀夜」
「ッ……!!!」
淡々と言葉を重ねるテミスに、トウヤは気炎を上げて怒鳴り声を上げながら戦いを止めるべく、己が言葉を無視して再びコハクへと向き合おうとするテミスの前に体を割り込ませた。
その時。
トウヤの背後から響いた静かな声が彼を制し、トウヤは息を呑んでその場で体を硬直させる。
「……今の技は、何と言う?」
「さぁな。今この場で作り出した技だ。悪いが名前なんて無い。強いて言うのなら、斬撃の代わりに衝撃波を飛ばす月光斬……って、何で私は馬鹿正直に答えているんだ!!」
「フッ……月の光すら無き不殺の一撃……さながら、新月斬とでも言った所か」
「何ィ……? おい待て! 忘れろ!! 今言った事は全て噓だッ!!」
勿体を付け、微笑みすら浮かべて問うコハクに、テミスはニヤリと不敵な笑みを浮かべて答えた後、すぐに我に返って自らの愚行に叫びを上げる。
しかし時は既に遅く、コハクはクスリと喉を鳴らして笑うと、嘆くテミスの声を無視して穏やかな声で言葉を続けた。
「斯様な技……忘れる事などできるものか。その名はせめてもの礼だ」
「ッ~~~~!!! チィッ……!! 忌々しい!! そんなに気に入ったのならば、もう二・三発くれてやる!! 来いッ!!」
「…………。いや……その必要はあるまい」
ならばせめて、この苛立ちをぶつけてやる!! と。テミスは気炎を上げて身構えてみせる。
だが、コハクは短い沈黙を経た後、呟くようにそう告げてグラリと大きく体勢を傾がせて膝をついた。
その背には、まるで一太刀を浴びたかのように大きく着物が弾け飛んでおり、露出した肌に残る痕からは、未だ幾筋もの細い白煙が立ち昇っている。
「ッ……!! 父上ッ!!」
「ここが戦場ならば……私は既に斬り伏せられていたのだろう」
「父上まで……!! お待ちくださいッ!! ここは戦場ではありません、これは手合わせ……仕合なのです!!」
「我儘を言うな。手合わせだとしても、膝を付いた私と悠然と立つ彼女……どちらが勝者であるかなど明白だろう」
「…………」
コハクは膝を付いた己に駆け寄り叫びを上げるトウヤに、穏やかな笑みを口元に浮かべたまま諭すように言葉を重ねていた。
確かに、ここが戦場でコハクが敵として立ちはだかっていたのなら、私は迷う事無く月光斬を放っていただろう。
だが……いくら実戦を想定して居ようと、トウヤの言葉通りこれが一度限りの命のやり取りではなく、『次』のある手合わせであることに変わりはない。
そうでなくては、先の戦いで雲霞の如く迫る敵の軍勢を易々と退けてみせたこの男が、たった数合の打ち合いで決着をつける訳が無いのだ。
「ハァ……もう十分だろう? 私とて、そのような譲られた勝利では後味が悪い」
「っ……? 何を――ッ!」
「――雑なんだよ。お前ならあの刃の檻を無理に突破せずとも、私が消耗するまで堪える事はできたはずだ」
釈然としない苛立ちにテミスはグシャグシャと髪を掻き毟ると、眼前にしゃがみ込んだトウヤを突き飛ばして退かし、呆れたような口調で語りながらコハクの前にしゃがみ込む。
そう……堅実にして鮮烈。それが本来、コハクの振るう剣の筈だ。
少なくともあの戦場ではそうだったし、この手合わせでも最初の一合は本気で打ち込んだにも関わらず、崩す事すら出来ずに易々と返されてしまった。
「見ろ。わざわざ私に勝利なんざ譲らなくとも、お前の……いや、お前達の企みは成功しているだろうが」
「……っ! フ……よもや、そこまで見通すか」
苛立ちを隠す事無く表情に浮かべたテミスは、不機嫌の滲み出る声色でそう告げながら親指で力強く背後を指し示した。
そこでは、始めは嫌悪と侮蔑の込められた視線ばかりを向けていた見物人たちが、驚愕と僅かな興奮の入り混じった視線でテミス達を見つめる姿があった。
「当り前だ。『次』はそう易々と刀を弾かれてなどやるものか。立て。その程度でくたばるようなタマじゃないだろ。もう一本だ。今度は小細工無しでな」
「やれやれ……剛毅な娘だ。だが……面白い」
「ち……父上……?」
憮然と言葉を続けながらテミスは素早く立ち上がると、先程コハクに弾き飛ばされた自らの木刀へと歩いて行くと、拾い上げて不敵な笑みを浮かべる。
すると、それに応えるように、コハクもニヤリと不敵に笑みを浮かべて呟いた後、困惑するトウヤを傍らに置いたまま、微塵の揺らぎも無く再び立ち上がった。
「せっかくの機会だ。どうだ? 私達が存分にやり合った後は、そこのトウヤやシズク達も交えて乱取りでもするというのはッ!」
「それは……良い案だ。ただ見ているだけよりも皆の力にもなる。何をしている。トウヤ、時間が惜しい。早く開始の合図を」
「ククッ……! 次は邪魔をしてくれるなよ?」
「は……? は……はいッ!!!」
そして、二人はまるで意気投合したかのように楽し気な笑みを浮かべて語りながら向かい合うと、再び木刀を構えて手合わせを始めたのだった。




