1159話 不可視の猛攻
やらなければやられる。
圧倒的な強者であるコハクを前に、テミスはチリチリと緊張感で痺れる頭で理解した。
地力で語ればコハクの方が強いのだ。真正面から戦いを挑めばこちらが敗れるのは明々白々たる道理。
しかも、この男はそれを理解したうえで、欠片たりとも慢心する事無くこちらの様子を窺っている。
突くべき隙など存在しない。
ならば……!!
「っ……!!」
「……来るか」
まるで実戦であるかの如き決死の覚悟を決め、テミスがその双眸を見開いた時。
鋭敏にテミスの纏う気配の変化を察知したコハクが、静かに呟きを漏らした。
だが、知られた所で出来る事に変わりなど無いッ!!
「ラァッ……!!」
「ッ……!」
気合一閃。
テミスは打ち合わせていたコハクの木刀を力任せに圧し返すと、自らの一歩退いて木刀を下段に構える。
それは、先程の攻撃の際に腕を伸ばし切り、防御の構えを取れずに居たコハクにとっても好機だった。
故に。コハクはあえて圧し返される刀に対して反撃を加える事無く、刀を構え直して体勢を立て直す事を優先した。
しかし、防御を優先するという事は同時に、テミスに対して攻める為の暇を与えるという事になる。
この一瞬の判断に正解など無く、いうなれば堅実な戦い方を主とするコハクと、定石に囚われる事の無い無茶な戦い方をするテミスの、これまでの戦いの経験と各々の性格が滲み出ただけなのだろう。
「行くぞッッ……!!」
万全の構えを取ったテミスは下段に木刀を構えたまま凛と叫ぶと、ずだんと踏み切る音だけを残して姿を消す。
だが、テミスが再び姿を現したのは相対するコハクの懐ではなく真横で。
しかもその距離は、互いに手にした木刀を全力で振りかぶった所で届かない程に遠く、いくら神速の速さを持つテミスとはいえ、とても一息で斬りかかる事など不可能だった。
しかし……。
「――ッッ!!!!」
迷う事無く構えた木刀に力を籠めるテミスを見て、コハクは己が身を駆け抜ける戦慄と直感に従って、己が眼前を木剣で薙ぎ払う。
ともすればそれは、テミスを相手に致命的な隙を見せかねない一手で。
コハクが己の本能に突き動かされたこの反射的な反撃を、頭の片隅で後悔した瞬間。
「なに……ッ!!?」
バヂィンッ!! と。
手にした木刀が何かを叩き切った感覚に、コハクは鋭く息を呑んで驚きを露にする。
今、私の刀は何を斬った……? 何か、木刀とは別に隠し持っていた武器を投げたような形跡は無い。
武器を投げる……? 否。私は今、弾いたのではない。叩き切ったのだ。
だったら何を――。
「ハッ……!! 悩む暇なんて与えんぞ? そら、答え合わせ……だッ!!」
「ッ……!!!」
刹那。
再び凄まじい速度でコハクの背後を取るように移動したテミスが、不敵な笑みを浮かべて語り掛ける。
同時に、高々と振り上げられていた木刀が、空気を切り裂く甲高い音と共に振り下ろされた。
無論。先手を打たれたコハクに選択肢など無く、コハクは瞬時に身体を翻すと、振り切った筈の木刀で再び宙を薙いだ。
「これ……はッ……!?」
「ククッ……!! そらそらッ!! 休ませるものかッ!! 次々行くぞッ!!」
「クッ……!!!」
しかし、その間にテミスは再びコハクの死角へと移動を終えると、振りかぶった木刀に力を込めて振り下ろす。
そこから放たれる不可視の攻撃にコハクは応じざるを得ず、かつ周囲を跳び回るテミスが本来ならば刀など到底届かない距離を保っている所為で、反撃に回ることすら許されない。
一度防戦に回ったコハクに出来る事はただ、放たれる攻撃を尽く撃ち落としながら耐え続ける事のみだった。
超高速でコハクの周囲を跳び回りながら狂笑と共に攻撃を振るうテミスと、固く唇を真一文字に結んだまま応じ続けるコハク。再び始まった打ち合いに見物人たちが静まり返る中、そんな一方的な攻防が暫くの間続いた後……。
「……そこだッ!!!」
「ッ――!?」
ガコォンッ……!! と。
突如として響いた叫びと共に、一振りの木刀がクルクルと宙を舞った。
その下では、空になった手を振り下ろした格好のテミスと、その身に白煙を纏い、木刀を振り抜いた格好のコハクの姿があった。
そして、僅かな空白の時間の後。
カシャァ……ン。という軽い音と共に、高々と弾き飛ばされたテミスの木刀が、武道場の床へと落ちたのだった。




