1157話 模擬決闘
「では、最後の確認だ。試合は木剣を用いた真剣勝負。互いに生命の危機及び再起不能につながる大怪我を負わせるような攻撃のみを禁じ、寸止め等は行わないものとする」
「…………」
「勝敗は互いが戦闘の継続が不可能だと認める程度の一撃が入るか、自発的な降参、もしくは気絶・昏倒による戦闘不能状態に陥った時のみ……合っているな?」
「確かに」
コハクはテミスの眼前で佇んだまま粛々とした口調で口上を述べると、コクリと頷くと共に不敵な笑みを浮かべたテミスに微笑みを返してみせる。
その内容は、先程客間で待機の旨と共にトウヤから聞かされた内容と等しく、彼曰くこの極めて実戦に近い打ち合い稽古は、古来より猫宮家に伝わる伝統的な修行方法らしい。
「死なない程度の極めて実戦的な立ち合い。クク……それも当主が直々に行うとなれば、処刑と勘違いする連中が出ても不思議ではないな?」
ヒャウンッ! シュパンッ! と。
テミスは感覚を確かめるように受け取った木刀で宙を数度薙ぐと、ニヤリと皮肉気に笑みを深めてコハクへと語り掛けた。
その空気を切り裂く甲高い音は、そのまま異様なほどに迅いテミスの剣速を物語っており、武道場の中に漂っていた嗜虐的な空気に困惑が混じる。
無論。コハクであればこの程度の芸当など容易く出来るのだろうが。兎も角、この速度で打たれれば例え木刀といえど、腕の一・二本は容易く飛ぶだろう。
「……家人達の礼を失した態度は謝罪しよう。だが、このギルファーにはまだ、彼等のような者が大勢居るのもまた事実」
「別に……外野の下らん雑音などどうでもいいさ。それに、この国の連中の事もヤタロウの領分だ。私の知った事ではない」
「ならば何故……そのように難しい顔をしている? 気軽に……とは言える場ではないが、我等にとって自らと同等以上の相手と打ち合える機会は多くはない筈だ」
「……そうだな」
そうでもないさ……と。
コハクの言葉に、テミスは胸の中で密かに呟きを漏らしながら、クスリと苦笑いを零して同調する。
フリーディアにサキュド。こうしてすぐに思い付く面子であっても、ファントに帰れば私と同等以上に打ち合う事のできる相手など、テミスには容易に想像できた。
だがそれは、ギルファーに住むコハクにとっては与り知らぬ事な訳で。
そこに含まれた心遣いと、強さに対する揺ぎ無き好奇心を感じたテミスは、それ以上言葉を重ねる事無く口を噤む。
「そ……それでは、不肖ながらこのトウヤが、立ち合い開始の合図を務めさせて戴くッ!! 両者、前へッ!!」
二人の間に流れる空気を敏感に感じ取ったのだろう。
トウヤは即座にテミスとコハクの間に立つと、緊張した面持ちで声を上げた。
それを皮切りに、武道場の中に響いていたざわめきはピタリと止まり、呼吸の音すら聞こえてくる程の緊張感が場を支配した。
そしてトウヤの指示の通り、テミスとコハクは木刀を手にゆっくりと歩み寄ると、武道場の中央で静かに向かい合う。
「ッ……!!」
「…………」
そこは既に、一歩踏み込んで得物を振るえば攻撃が身体に届く距離。言い換えれば、互いにとって必殺の一撃を叩き込む事のできる戦闘領域で。
その領域に踏み込んで尚、表情一つ変えないコハクに対して、テミスは密かに背筋を伝う冷や汗の感覚に身を震わせていた。
「……」
流石に、この距離にまで近付けば嫌でも解る。
激しさこそ無いものの、コハクの身体から放たれる静謐な殺気は全て、今真正面に立っている私に注がれているのだと。
何が模擬試合だ。冗談じゃない。この男、本気で私を斬り殺す気じゃないか。
その身で冷たい殺気を受け止めながら、テミスは胸の中でそうひとりごちる。
つまり、提示された木刀を用いた真剣勝負という条件に嘘偽りは無いという事だ。
ならば、私も全力で挑むのみ……ッ!!
「……構えッ!」
「…………」
「ククッ……!!」
続けて放たれたトウヤの合図と共に、コハクは流れるように木刀を正眼に構え、ピタリと動きを止めた。
その美しささえ感じる挙動は一糸たりとも乱れる事は無く、彼の身に秘めた絶大な実力を如実に物語っている。
一方で。
狂笑にも似た声を漏らしたテミスは、木刀を地面と水平に構えると、体勢を深く沈めた異形の構えを取る。
しかし、構えを取った瞬間にその身から放たれ始めた凄まじい威圧感が、見る者全てに戦慄を刻み込んだ。
「……!!! っ~~……!!! 始めェッ!!」
「ッ――!!!」
そして、張り詰めた緊張が最高潮に達すると、トウヤは絞り出すような大声で開始の合図を轟かせる。
刹那。
ガッ……ゴォォン……!!!! と。
コハクの前で木刀を構えていたテミスの姿が掻き消えると同時に、木刀の打ち合わされる鈍い音が武道場の中に響き渡ったのだった。




