1153話 湧き上がる疑心
「……場所を変えよう」
ピリッっと張り詰めた空気の中、テミスはヤタロウの問いに静かに答えを返すと、鋭い視線をそのままミチヒトへと向ける。
直接叩き起こす事が出来ないのならば、これ以上ここに居たとしても運び込まれた旅人がヴァイセだという以上の情報は得られないだろう。
ならば、誰に話を聞かれるともしれないこの場よりも、場所を改めてから語り聞かせた方が良い。
「解った。隣の処置室を使ってくれ。他にも患者は沢山いる……僕はここに残るから」
「あぁ」
「ありがとう。ミチヒト」
小さなため息と共にそう告げたミチヒトにテミスは短く言葉を返すと、病床で眠り続けるヴァイセを一顧だにする事無く示された方向へと歩き始めた。
シズクとオヴィムは少々驚いたような表情を浮かべた後、慌ててその背を追って歩き出し、最後にヤタロウが一言、礼を残してヴァイセの側から立ち去っていった。
そして、テミスを先頭にした一行はミチヒトに指定された部屋に入ると、ピシャリと分厚い扉を閉めてその視線をテミスへと集中させる。
「……奴の名はヴァイセ。確かに、私の旗下の兵の一人だ」
「フム。だが顔に覚えが無いな。お主、いつの間に新兵なんぞ招き入れた?」
「チッ……色々とあったんだよ。……あぁ。オヴィムの言う通り奴は新顔だ。だからといって十把一絡げの雑兵という訳では無い」
「フム……つまり……?」
「…………」
自らに集まる視線に促されるようにして、テミスは自らの中で情報を選別しながらゆっくりと語り始めた。
しかし、以前にファントを訪れたことのあるオヴィムは部隊の連中の顔もしっかりと覚えていたらしく、余分な情報を明かさないというテミスの方針は早々に瓦解する。
そんなオヴィムへの苛立ちを込めつつ、テミスは不本意ながらも更に言葉を付け加える。だが、今度は不敵に微笑んだヤタロウの言葉が琴線に触れ、テミスは言葉を止めるとギラリと鋭い目でヤタロウを睨み付けた。
ヤタロウ程に頭の回る者であれば、いちいちすべてを語り聞かせずとも、ある程度の状況は理解できるはずだ。
だというのに、あえて私に全てを説明させる事で、こちらの情報を引き出そうとしているのだろう。
「ヤタロウ。私の記憶では、我々は友好関係を結んだはずだが? 一体その態度はどういうつもりだ?」
「おっと……」
ヤタロウを睨み付けたテミスが、低く唸るような声で問いかけると、ヤタロウは小さく目を見開いた後、おどけたように肩を竦めて口を開く。
「すまない。君を揶揄ったつもりはないんだ」
「新たなギルファーの王は随分と火遊びが好きらしい。ならば相応の痛みを早く知っておくべきだと私は思うが……」
「待ってくれ! 私の態度が気に障ったのなら謝ろう。だが、私にだって言い分はある。君は我々にとって大切な友人だ。だからこそ、君の口から語られたこと以外は慮る事はしない。そう思っていたからこそ、君の口から聞きたかったんだ」
「っ……! …………」
唇を不機嫌にへの字に歪め、殺気にも似た威圧感を放ち始めるテミスに、ヤタロウは焦燥を露わにしながら頭を下げると、弁明と共に己の配慮を並べ始めた。
それは確かに、一見すれば通りは通っているが、同時にテミスの語る内容と伏せた内容を照らし合わせる事ができるという宣言でもあり、テミスはピクリと眉を跳ねさせるも、言葉を止めて静かにヤタロウの目を睨み続ける。
ここはどう答えるべきか。
ヤタロウと相対したテミスの胸の中では、刹那の間に思い付く限りの様々な可能性が噴出していた。
テミスを悩ませていたのは、ヤタロウの真っ直ぐすぎる程の愚直さだった。
ここが交渉の場であったならば、それなりの対応で応ずればいい。敵国との会談の場でなら、宣戦布告の一つでも叩き付けて戦に備える所だろう。
だが、ヤタロウとは既に一度死線を潜り抜け、共に肩を並べて戦った仲だ。
そんな、これからも友好関係を続けようと語るヤタロウが、策謀紛いの動きを見せているが故に、テミスは判断に窮していたのだ。
すると……。
「ハァ……やれやれ。テミス。お主は以前から少し頭が固いと儂は思うぞ?」
「何……?」
「いや……頭が固いというより、警戒しすぎだと言うべきか……。そのくせ一度身内だと認めたものにはとことん甘いのだから質が悪い」
「オヴィム……ッ!!」
「当り前の感情だろうて。窮地にある友を救いたいと思うのはな。その間に横たわる立場という名の柵が、悪さをする事は往々にしてあろう」
「その通りだ。誓っても構わない。私達は友たる君に手を貸したいだけ。教えてくれ。君は今、何を危惧しているんだ?」
「…………! ……解った。信じよう」
表情を歪め思い悩むテミスに、苦笑いを浮かべたオヴィムが柔らかにそう告げると、その言葉に深く頷いたヤタロウが、真摯な声色で言葉を添えて手を差し伸べる。
その言葉に一片たりとも嘘は感じられず、テミスは僅かに驚きの表情を浮かべた後、密かに息を吐いて口を開いたのだった。




