1150話 友情の天秤
――テミスサン。あちらへ。
ジュンペイから何やら耳打ちをされたコスケは、即座にその表情を厳しいものへと変えると、緊張感を含んだ声でテミスに一階ホールの奥に設えられている私室を指し示した。
無論。そのような対応を見て黙っている者などこの場に居る訳も無く、テミスの背後では慌ただしく席を立ちあがる音や、装備を取りに駆け出す足音が響き始める。
「何事だい?」
「テミスさん! 私も……!!」
「…………」
その中でも、ギルファーの王であるヤタロウとテミスの側付きを務めているシズクは即座にテミス達の元へと駆け付けて問いかけ、その背後では既に準備を整えたオヴィムが無言で控えていた。
だが。
「申し訳ありませんが、今回は御三方もまずはご遠慮を。テミスサンから許可を頂ければ、すぐにでもアタシがお呼びしますので」
「えっ……!?」
「ム……」
「なるほど。そういう案件か……」
歩み出た三人を制するかの如く、コスケは意味深に俯いて静かにそう告げる。すると、シズクを除く二人は即座に理解したかのように一歩下がり、小さく頷いて了解を示した。
私の戦友であるオヴィムや、私の供を勤めているシズクだけでなく、今やこの国の主であるヤタロウにすら聞かせる事ができない話。そしてそれが、部外者であるはずの私にだけ伝えられる。
それはつまり、今仕入れられた話がこのギルファーに関する者ではなく、私自身に関する件だという事だ。
しかし、そんな事柄で思い当たる事など、ファントに関する事か魔王軍に関連する事位しか無い。
「……わかった」
「ジュンペイ。アナタは戸口で見張りを。アタシはこの件で万に一つの間違いも起こしたくはない、誰であろうとアタシが呼ぶまで通さないように。あぁ……勿論。何を聞かれたとしても……」
「ッ……!! 解っていますよ!! それくらい! 俺だって商人……信用が第一ッ!」
テミスがコクリと頷いて足早に扉へと向かうと、コスケとジュンペイがその背に続く。
そして、コスケは怪し気な笑みと共に指示を出し、ジュンペイだけを扉の前に残して奥へと歩を進め、自室の前でその紅の瞳を輝かせて静かに待っているテミスと向き合った。
「それで……? 何があった?」
「旅人と思わしき人間が一人、以前テミスさんがギルファーへと来られる際に一夜を明かした岩窟で救助されました」
「勿体ぶるな。どこのどいつだ?」
「ファントです。恐らく……ですが。うわ言でテミスサンの名を呟いているとか」
「フム……」
「衣服や装備の損耗から見て、かなりの強行軍だったと思われます。幸い、発見が早かったため命に別状は無いそうですが、意識は未だ戻らないと。今はミチヒトサンが診てくださっているそうです」
明りの落とされた薄暗い廊下で、テミスが静かに問いかけると、コスケは静かな声で語り始めた。
しかし、得られたものは大した情報では無く、恐らくファントに属する者が救助され、うわ言で私の名を呼んでいるというだけで。
どこで何があったのか、その旅人とやらが何者なのかは解らずじまいだ。
「……その程度の事ならば、ヤタロウ達に明かしても構わない」
「ッ……!? 良いのですか……?」
「あぁ。どれも不確定な情報だ。それに、どうせ担ぎ込まれた奴の顔を拝みに行くにしても、諸々の面倒が付きまといそうだ。ならば、巻き込んでしまうのならば早い方が良い」
「承知しました。では、この場にヤタロウさん達もお呼びしましょう……」
僅かに考え込んだ後。テミスが短くそう答えると、コスケは驚いたように息を呑み、目を丸く見開いて問い返す。
確かに、つい昨日友好は結ばれたが、それは未だこの場に居る者しか知る事の無い事実なのだ。故に、救助された旅人がファントの者だったのだとすれば、意図せぬ刺客かわざわざ他国へ潜入中のテミスへと使者を走らせる程の面倒事が起きたという事。
その弱みとも言える事実をヤタロウに知られるのは、どう考えても不利な訳で。
だからこそ、コスケは心底不思議そうに、そして二重の意味で驚愕と不安を露わにしてテミスへと視線を送り続けた。
「ン……あぁ……。ハハ……コスケ。お前の配慮には感謝する。だが生憎、国家同士の損得合戦や腹黒い交渉事のような下らん争いは門外漢でな。ちょうどいい機会だから、さっそく友情に頼ってみようと思ってね」
「ッ……!!! なる……ほど……」
そんなコスケの視線に気が付いたのか、テミスが不敵な笑みを浮かべて言葉を付け加えると、コスケは背筋に悪寒さえ感じながら辛うじて頷いてみせる。
……何が門外漢なものか。テミスサン。貴女は今、試しているではないですか。ヤタロウサンの……ギルファーの語った友情……その深さと意味を。
戦術家としてのテミスは、噂に違わぬ悪魔のような恐ろしい少女だ……。コスケはそう心の底から震えあがりながら、ホールで焦れているであろうヤタロウ達を呼ぶべく踵を返したのだった。




