1149話 舞い込む急報
シズクがテミスの作った粥を掻き込んでから数分後。
白銀亭のホールには、器と匙が奏でるカチャカチャという音だけが鳴り響いていた。
誰もが一口、二口と口に含めば、そこから手が止まる事は無く、乾いた喉、荒れた胃の中へと一心不乱に粥を送り込んだのだ。
そして……。
「ッ……!! ふぅ……美味かった……!!」
「ウム……素晴らしい味だ」
「まさか……このような体調の朝でも食べる事ができる粥があるとは……。大層売れますよぉ……コレ」
次々とお代わりを求める声が飛び交う中、カウンターでは満足気な表情を浮かべたヤタロウ達が、柔らかな息を吐きながら言葉を交わしていた。
無論。彼等とて粥一杯で事足りた訳では無く。僅かばかりでも体調が回復した他の者達が、ヤタロウ達の様子を伺って気を利かせたのだが。
「この、煮殺しも素晴らしい発想ですねぇ……。酒精の残っていない私達には少し物足りないけれど、皆の顔を見れば美味しいのは解るわ」
「味噌の香りすら飛んでしまう程に煮込むが故に煮殺し……以前儂がこれを馳走になった時、彼女はそう言って居りました」
「……人柄を窺えますな。広い知見と自由な発想は奇策として戦術に生かされているだけでない。こうした日常の所作にさえ見え隠れしている」
「我等の居ぬ間の事はシズク達から語り聞かされたが……あれは決して義を知らぬ者ではないかと。忠義とは異なる何か……揺るがぬ芯を貫いてるのだと見える」
ヤタロウをはじめとするギルファーの実力者たちがテミスの朝食を手放しで褒め称える傍らで、オヴィムが静かに合の手を入れると、それは留まる事を知らずあらぬ方向へと加速していく。
「彼女がファントに属していなければ、是非我等が元へ……否、我等と共にと声を掛けるのですが……」
「止さないかムネヨシ。私とてそう思わずには居られないが、このような場に政を持ち出すのは無粋というもの」
「ハッ……! 失礼いたしましたッ……!!」
「…………」
しかし、ヤタロウが即座にやんわりとした口調で窘めると、ともすれば怪し気な方向へと飛躍しそうになった話題は断ち切れ、話半分ながらも耳を傾けていたテミスは密かに胸をなでおろした。
ここまで順調に、そして友好的な関係を築き上げる事ができたのだ。今更夜逃げ同然に国を去るのではなく、折角ならこの良好な関係のままファントへと帰りたい。
「ククッ……」
――だがもしも。
本当にこの国から逃げるのならば……?
体調の復活した者達の手を借りながら、お代わりを求める声に応じきったテミスはふとそう考えると、思わず小さく嗤いが零れた。
この国の者であるシズクとカガリは勿論、全力で私の前に立ちはだかるだろう。
それに加えてヤタロウの元で一つに再編されたギルファーの兵や強者たち。仮に私が万全であったとしても、易々と突破はできまい。
そして何より、ギルファー最強の一門である猫宮家。両当主が戻った今、門下に名を連ねるユカリやトウヤ達を相手にどこまでやり合えるか……。
「ふむ……いや、別に全員を倒さなくても構わないんだ。ただ逃げるだけ……撤退戦と考えれば或いは……」
「フ……手合わせならば歓迎しよう。いつでも我が家を訪ねてくれ。子供たちの良い刺激にもなりそうだ」
「ホゥ……? それは有り難い。機会があれば是非……と言いたい所ではあるが、少しファントを空け過ぎたからな。だがいつの日か必ず訪ねさせて貰う」
「構わない。その日を心待ちにしていよう」
「ハハ……。その時はぜひ私も呼んで欲しいね。見学させて貰いたいものだ」
好戦的に微笑むテミスの気配を鋭敏に察知したコハクが不敵な笑みを浮かべてそう告げると、テミスもまた笑顔を深めてそれに応ずる。
その隣では、ヤタロウが僅かに乾いた笑みを浮かべて頷いていた。
そんな、ありきたりなようでありきたりではない面々が、穏やかに流れる朝の時間を堪能している時だった。
「――ッ!!! 大変だ!! コスケ店長ッ!! いやッ……テミスさんッ!!」
「ジュンペイ……!? どうしたんですッ!?」
バァンッ!! と。
けたたましい音と共に白銀亭の戸が開かれると、緊迫の表情を浮かべたジュンペイが叫びと共に飛び込んでくる。
その瞬間。
テミスが反応をするよりも早く、コスケは即座に席を立って身を翻すと、誰よりも早くジュンペイの元へと駆け寄って鋭い表情で問いかけたのだった。




