1144話 宴と友誼と策略と
「え~……コホン。皆、今日はこの戦勝記念の宴に足を運んでくれてありがとう。まずは私から、皆へ深い感謝を述べさせて貰いたい」
静まり返った白銀亭のホールに、柔らかなヤタロウの声が響き渡る。
その声は決して戦場での号令のように大きなものではなく、また魔法で拡声されている訳でも無かったが、堂々と紡がれるその言葉は、不思議と白銀亭の隅々まで行き渡り、集った者達の耳へしっかりと届いていた。
「本来ならばこの役は私ではなく、一番の功労者であるそこのテミスへ任せようと思っていたのだけどね……。どうやら彼女の方が上手だったらしい。見ての通り、上手く躱されてしまったよ」
「ッ……」
朗々と続く演説の中で、ヤタロウは少しおどけたように笑みを浮かべると、盆を片手にホールの片隅で佇むテミスへと水を向ける。
無論。これ以上政争に巻き込まれる気など無いテミスにとって、それは迷惑以外の何物でも無く、テミスは場の空気を壊さぬ程度に引き攣った微笑みをその顔に張り付けたまま、ギラリと鋭い視線をヤタロウへ向けて無言で抗議した。
「おっと。ふふ……怖い怖い。そこまで頑なに拒むのなら、音頭を取る役は私が引き受けるけれど……。今更表舞台から身を引こうとしても、たぶん無駄だと思うよ? 少なくとも、ここに居る皆は君が我々のギルファーという国を救ってくれたことを知っているからね」
「フン……」
「クス……。さて、宴の前にもう少しだけ時間をくれるかな? 皆も知っての通り、私達は世界に暴虐をもたらそうとしていた我が父王に勝利した。なればこそ、私達ギルファーは変わっていかなくてはならない。過去の禍根を乗り越え、他の種族の者達と共に手を取り合う未来へとッ!」
ヤタロウが更に冗談を重ねたことで、どことなくホールぶ漂っていた厳かな雰囲気が緩み、宴に肩を並べる者達の顔にも笑みが浮かび始める。
すると、それを見計らったかのようにヤタロウは一同を見渡しながら前置きをすると、一息ついてから再び話し始める。
「…………」
中身は、以前に王城であてがわれた部屋で聞いた、彼が胸に秘めた野望を成し遂げるために目指す国の話と同じ事だった。
それを、今改めてこの場で共に戦った者達へと語る事で、己が方針を共有させようとしているのだろう。
熱心な事だ……。と。
テミスはホールの壁へと背を預けて目を瞑り、朗々と続くヤタロウの演説へと耳を傾けていたのだが……。
「――だからこそ、私は今!! ギルファーが生まれ変わった事を証明する為にも、この場で新たな一歩を踏み出そうと思うッ!! ……テミス。すまないが盆を置き、こちらへ来てくれるかい?」
「っ……!? は……? 何を言って――っ!?」
再び水を向けられたテミスは、あまりに突然の出来事に背を預けていた壁から弾かれたように身を離すと、瞑っていた目を開いて狼狽を見せた。
この場はあくまでも戦勝記念の宴の場。既に、ファントへと及びかねない戦乱を止めるという役目を終えた身であるテミスとしては、ギルファーの新王であるヤタロウの前に引き出されるなどという役は断固として固辞してきた。
その意志を、しっかりと伝えた訳では無いとはいえ、ヤタロウも理解しているはずなのに。
「――テミスさん。すみません。さぁ……」
「シズクッ!?」
テミスはいつの間にか傍らに立っていたシズクに手にしていた盆を奪われると、同時に略式が故に黒銀騎団の制服の上から身に着けていた給仕用の腰巻エプロンも外され、その背を押されてヤタロウの前へと押し出されてしまう。
「おい。ヤタロウ。一体これはどういうことだ?」
自らの身柄をヤタロウの前へと押しやった後、シズクはペコリと一礼をしてから、気配を消して後ずさっていく。
シズクもヤタロウの差し金なのだろうと察しながらも、テミスは半眼でヤタロウを睨み付けて静かに問いかけた。
「そう邪険にしないで欲しいな。大丈夫。決して悪いようにはしない」
「こんな嵌めるような真似をしておいて警戒するなだと? 笑わせてくれる」
「まぁまぁ……。さて、融和都市ファントの主にして我等ギルファーの恩人テミス殿。私達は是非、貴女達と良好な関係を紡ぎたく思う。そこで、同盟……否、ただの同盟では味気ない。友好を申し入れたいッ!」
しかし、ヤタロウはテミスの非難の眼差しに怯むことなく笑顔を零すと、警戒を露にして僅かに身構えるテミスに言葉を重ねる。
そして、それでも尚不機嫌に鼻を鳴らすテミスを宥めた後、ヤタロウは大きく息を吸い込んでから声高に口上を述べると、テミスへ向けて握手を求めるかのように右手を差し出したのだった。




