1143話 白銀の爪痕
テミスが回復を果たした翌日。
白銀亭のホールには、先日の戦いに参加していた多くの人々が肩を並べていた。
そこには、猫宮家の当主夫妻であるコハクとクロハや、テミス達の手助けをしたユカリにムネヨシ、共に王城へと乗り込んだコスケ、そしてテミス達を救出すべく王城へと斬り込んだオヴィム達も含まれており、錚々たる顔ぶれが集う事態となっている。
加えてあとは、今回の主役たる、ギルファー新王・ヤタロウと彼の側近たちが来るのを待つばかりなのだが。
客たちの目の届かない調理場では、シズク達数名の兵に詰め寄られたテミスが苦笑いを浮かべていた。
「テミスさん……もう十分ですから! 後は私達だけでッ!」
「そうです! 病み上がりなんですから! ご無理はなさらないでください!」
「それとも……私達には、厨房を任せる事はできない?」
口々に紡がれる言葉には表現や語気の強弱はあれど、誰もが皆テミスをこれから始まる宴の席へと着かせようとしているのは明らかだった。
だが、テミスにもある種の譲れない思いがある。
今でこそ白銀亭などという大それた名で呼ばれ、手伝いと称して料理の腕を振るう者達が多く居るが、元はといえば暇を持て余したテミスが始めた、ただの趣味なのだ。
しかしただの趣味とはいえ、この地より遠く離れた自らの家でもあるマーサの宿屋を模倣したもの。そんな場所で執り行う初めての一大行事から爪弾きにされるなど、どうして許容できることがあろうか。
だからこそ。テミスは苦笑いを不敵な笑みへと変えて、シズク達に反論する。
「お前達……ここが何と呼ばれているのか忘れたのか?」
「え……? 白銀……亭……です」
「そう。白銀亭だ。その名前の由来など、今更確かめるまでも無いだろう。ならば、店の長が……館の主が来賓を持て成さない訳にはいくまい」
「っ……!! ですが……!!」
「なに……元々の予定を曲げるつもりは無いさ。折角の宴だ。来賓を持て成すべき招く側とはいえ、あの戦いに参加していたお前達にも楽しむ権利はある」
テミスは自らにしか扱えない最強の切り札を切ると、そこへつらつらと理路整然とした論理を並べ立てていく。
そう。別に最初から最後まで裏方に加わろうなどというつもりは無い。テミスには個人的な感情を除いても、自らが来賓ではなく招く側……つまり持て成す側の立場を確立させなければならない理由があるのだ。
いわば戦勝記念の祝勝会であるこの宴は、ギルファーのお歴々が集まる場なのだ。本人たちの意志はどうあれ、そこに政治的な意思が絡んでくるのは言うまでもない。
そんな所に、私の回復祝いなどという理由を並べられ、宴の主役の座まで引き摺り上げられてしまえば、どんな面倒事が待っているかと考えるだけで頭が痛くなってくる。
「フン……店の長に館の主なんてよく自分で言えたものだわ。どうせ貴女は、もうすぐこの館から居なくなるっていうのに」
「カガリ……」
テミスの有無を言わさぬ言葉に、シズク達は反論の余地を失って黙り込むが、ただ一人カガリだけは小さく鼻を鳴らして反論を続けた。
そんな彼女だが、先日の戦いでは目を見張る程の奮戦を見せたらしく、身体のあちらこちらには今も手当の跡が残っている。
「だ・か・ら!! ここから居なくなるアンタなんて主でも長でもないっての! アンタが帰った後の白銀亭を継いでいかなきゃならないのは私達なんだ。解ったらアンタはさっさと席に……ッ!?」
語気を強めながら、どこか駄々っ子が癇癪を起している様を彷彿とさせるような口ぶりで、カガリはテミスに言葉を重ねると、結論は出たと言わんばかりにテミスの身体をホールへと向けて押しやる。
だが、突き飛ばすまではいかなくとも、相応の力が込められたカガリの掌は、テミスの身体の柔らかな感触に触れただけでその役を果たす事は無く、カガリは驚きの表情を浮かべて視線をテミスへと向けた。
「失言だ。カガリ、物怖じせずに意見をぶつけるお前の姿勢は正しい。反論の内容も確かに、間違ってはいないのだろう。だがな……」
「な……なに……きゃッ――!?」
「……お前は今、私が帰った後の白銀亭を継いでいくと言った。つまり、私がファントへと戻るまで、白銀亭の主はこの私だ。ククッ……惜しかったな。私を隠居させるにはあと一手及ばなかったといった所か」
「くっ……!?」
テミスは不敵な笑みを浮かべてカガリへと詰め寄ると、そんなテミスに気圧されて足をもつれさせたカガリの身体を支えながら言葉を返す。
すると、テミスの腕に捕らえられたカガリはただ息を呑んで悔し気に唇を噛みしめるだけで。
それはこの舌戦において、テミスが勝利したことを表していた。
それと同時に。
ガチャリと戸の開く音が響くと共に、ホールを賑わせていた歓談の声がピタリと止まった。
「おや……丁度ヤタロウの奴も到着したらしい。議論はここまでだ。総員、準備に取り掛かるぞ」
その一瞬の静寂を契機に、テミスはパンパンと軽く手を叩いて口論を締めくくると、カガリたちの返答を待つことなく、ヒラリと身を翻して宴の最終準備へと取りかかったのだった。




