1142話 動き出す日常
ギルファー王城での戦いから数日。
無事に白銀の館へと帰り着いたテミス達は、穏やかな時間の中で疲弊し、傷付いた体を休めていた。
その間も、ヤタロウは新たなギルファーの王とした休む暇もなく働き続けたらしく、王の不在のよって内戦状態にまで陥っていたギルファーの情勢はめまぐるしく変わっていった。
だが……。
「テミスさん。おはようございます。お加減はいかがですか? 身体は動きますか?」
「ン……あぁ……。っ……フム……まだ多少の痺れは残っているが、この分なら普通に生活する分には問題あるまい」
「痺れ……。わかりました。では、もう数日このまま安静にして様子を見て、問題無いようでしたら――」
「――シズク。勘弁してくれ。ある程度身体が動けば大丈夫だ。これ以上は体が鈍る」
「ですがッ!!」
「不要だ。……だが、ありがとう。その心遣いだけは貰っておく。それに、心配ならば幾らでも見張っているが良いさ」
白銀の館はそんな激動の最中にあるギルファーの情勢からは、まるで切り離されたかのように平穏で緩やかな日常が流れている。
殊更この部屋。一階の奥に在るテミスの私室はシズク達の手によって厳重に隔離され、万全の態勢でテミスの回復に尽力していた。
これもきっと、新たにギルファーの王となったヤタロウの計らいなのだろう。
テミスは自らの上に覆い被さった布団を跳ね除けると、数日ぶりに自らの足で立ち上がって大きく体を伸ばす。
「ッ……! ン……ッ!! くぅッ……!! ったく、意識を取り戻してからの数日はある意味で地獄だったぞ? 部屋の外から聞こえてくる楽し気な声。だというのに私はその輪に加わることすらできないのだからな」
「それは……ッ!! 申し訳ありません……。白銀亭の営業はムネヨシ様や姉様、それにヤタロウ様からも、くれぐれもと厳命されていたので」
「フッ……良いさ。お陰で見舞いの客も多くてそう退屈はしなかった」
耳をぺたりと伏せて俯きながら言葉を返すシズクの前で、テミスは身支度を整えながら上機嫌にそう告げると、瞬く間にそれを終えて顔を上げる。
そして、確かな足取りで一歩を踏み出すと、数日ぶりに赴くホールへと足を向けた。
あの日。
満身創痍でこの館へと辿り着いた私は、泥のように眠り続け、二日ほど目を覚まさなかったらしい。
そして先日意識が戻ってからは、未だ満足に動かない身体と格闘しながら、シズク達の手を借りて何とか暮らしていた訳だが。
晴れて今日。全快したという事になる。
「あっ……!! 動けるようになったからといって、くれぐれも無茶は駄目ですよ? その為に、皆さんわざわざテミスさんの元まで足を運んでくださっていたんですから!」
そんなテミスの背を追って、シズクは慌てたようにそう言葉を添えるが、どこか嬉しそうに弾む口調が隠し切れていなかった。
だからこそ。テミスもクスリと小さく口角を緩めて柔らかな笑みを浮かべながら、飾る事の無い普段通りの自分で言葉を紡ぐ。
「ククッ……確かに。見舞いに着た連中は口を揃えてそう言っていたな……。だが、この場所へ足を運んだ理由は決してそれだけでは無いだろう」
「いえっ!! そんな事はッ!! っ……。え……と……。無い……かと、思います。たぶん。はい」
「クハッ……!!」
その言葉に、最初は力強く否定すべく挙げられたシズクの声が、口を開くたびに急速に弱々しくなっていくのを聞くと、テミスは堪え切れずに噴き出して笑う。
そう。テミスは知っていたのだ。
自分の知りたかった情報を手土産に、彼等が布団の上から離れる事の叶わぬ自分を訪ねた後は、決まって表のホールで酒を飲み、盛大に息抜きをしていっていた事を。
それは、ムネヨシやコスケのみに限らず、多忙極まるであろう身でありながら、目を偲んで訪ねてきたヤタロウや、厳格にも銘菓らしき手土産と共に訪れたコハクとクロハも同じで。
ここ数日で何度、私は意地でもこの布団から這い出て、彼等と酌み交わしてやろうと血の涙を流した事だろうか。
「良いさ。私がこの町へ来た目的が達せられたのならばな」
「あ……。そう、ですね……。本当に、ありがとうございます」
「フッ……今からそんな寂しそうな顔をするな。何も今日明日にファントへ戻る訳じゃないんだ。せめて、ある程度戦えるくらいには調子を取り戻さなくては」
「っ……!! なら、お手伝いします!! ですが、今日は――」
「――解っているさ。祝宴の準備だろう? 私がこうして動けるようになるまで待たせてしまって申し訳ないくらいだ。無粋な事は言わないさ」
優しい声色で言葉を紡ぐテミスに対して、シズクは少しだけ跳ねさせていた声を落とす。
ギルファーが平穏を取り戻したという事は、同時にこの地でのテミスの仕事は終わったという事だ。
しかし、テミスは寂し気に肩を落としたシズクの頭を撫でると、柔らかに告げて前を向く。
そして、再び嬉しそうに声色を躍らせたシズクに言葉を返しながら、穏やかながらも少し慌ただしい朝の時間が流れる、白銀亭のホールへと足を踏み入れたのだった。




