104話 守護るべき範囲
「それで……どうするつもりなんだい?」
「どうする……とは?」
ひとしきり会話に花を咲かせた後、真面目な顔に戻ったアトリアが切り出した。
「アンタの目的は悪を挫く事だ。だけど、今回は少しばかり難しい気もするがね」
「ヒョードルとやらの守りはそこまで硬いのか? まさか、冒険者将校をも囲っている訳でもあるまい?」
アトリアが目を伏せて呟くように告げると、テミスは首をかしげて問いかけた。あの神モドキから力を授かった連中さえ居なければ、一般兵を蹴散らす程度は造作も無い。故に、屋敷なりの居所を掴み次第殴り込んで首を刎ねればよいと思うのだが……。
「仮にだ。アンタがヒョードルを討ち取ったとしよう」
テミスの目を見つめたアトリアはテミスに向けて指を一本立てて見せると言葉を続けた。
「フリーディアはどうなる? 奴を討ち取った所で、嬢ちゃんの立場は変わらないと思うがね?」
「だろうな。収監された身で告発した奴が暗殺されたんだ。どうあがいても黒く見えるだろうよ……だが、それは私には関係の無い事だ」
むしろ。その方が都合が良い。とテミスは目を細めた。悪党を断罪した上で敵側の最強戦力も削り取れる……うまくいけば人間に失望したフリーディアを取り込む事だってできるかもしれない。
「それは果たして、悪を挫いたと言えるのかね?」
「なに……?」
アトリアの言葉にテミスはピクリと反応すると、企みを企てていた思考から意識を戻した。
「ヒョードルの狙いが、嬢ちゃんの失脚だったら? 奴を倒しても、その目的だけは達成できたと言う事にならないかい?」
「っ……だがっ……!」
「ああ。連中が何を考えているのかはアタシにも解らない。けれど、嬢ちゃんが良く思われていなかったのは確かだ」
テミスの言葉を遮って、テミスの目を覗き込みながらアトリアは淡々と言葉を重ねた。
確かに、真っすぐ過ぎるフリーディアの存在は、権力争いをしている連中にとっては目障りだろう。そして仮に……仮にヒョードルの狙いがフリーディアの失脚だったとするならば……。もしも、ヒョードルがフリーディアを廃し、担ぎ上げたい何者かが居たのなら……。その目的は完璧に達成されてしまうと言える。
「チッ……なるほど……な」
テミスは舌打ちをすると、苦い顔をして黙り込んだ。要は自爆テロと同じだ。奴の狙いが、フリーディアの命や、自らの地位の向上を狙っているのならば話は簡単だが、フリーディアを害する事だけが目的ならば話は変わってくる。仮に狙いがそこなのだとすれば、フリーディアを元の生活に戻す事こそが、連中の心を折り砕いて絶望させる唯一の手段になるだろう。
「質の悪いゴミクズが……」
ぎしり……と。食いしばったテミスの歯が軋みを上げた。他人の足を引っ張っる事を目的とする連中は本当に厄介だ。その行為は何も生まないし、その犠牲の先に何を成し遂げる事も無い。連中は、ただ自らの浅ましく下らない快楽を満たす為だけに動く獣にも満たない害虫だ。
「生命活動を維持するという目的ために動く害虫の方がまだマシな存在だな……」
「っ……気持ちは分かるがね……少し抑えてくれないかい? 冷や汗が止まらないんだが……」
「っ! ああ、すまない。つい……な……」
気が付けば、テミスの体からは途方も無いほど濃密な殺気が漏れ出ていた。それは、自らに向けられたものではないと知っているアトリアでさえ体の芯から震えあがる程の冷たさがあった。
「ならば、ひとまず必要なのは情報だな……奴の狙いが何処にあるのかを見極めながら動かなくては……」
「ああ。それが良いさね。アタシとしちゃ、嬢ちゃんの事も助けてやって欲しいんだがね」
「それはヒョードル次第だな」
アトリアが冗談っぽく付け加えた言葉を、テミスは冷たく突き放した。悪を殺すという目的の中にフリーディアの地位の保証が入らないのならば、わざわざそれを成してやる必要は無い。むしろ仇敵が消えただけでなく、処刑や身体の自由を取り戻せるのだから副次的効果としては十分だろう。
「……白翼騎士団は騎士団としての権限をすべて凍結された。そして所属の騎士は全員謹慎。今わかるのはそれくらいだが、ここから見ても嬢ちゃん個人をどうこうしようって訳ではなさそうだけどね」
「騎士団ごとか……面倒だな……」
テミスはため息を吐くと、入り口のドアから覗いている空に目を向けた。白翼騎士団の連中はただでさえフリーディアに心酔している奴等の集まりだ。故に騎士団の凍結がフリーディアを助けに動く事を見越しての行動だったとしても、それはただ敵の狡猾さを現しているに過ぎない。
「ま。とりあえずこっちでも情報を集めてみるさね。その間、アンタはどうすんだい?」
「こちらも色々と当たってみよう。手当たり次第にはなるがな」
テミスはそう言って頷くと、腰掛けていた椅子から立ち上がって出された飲み物を空にした。
「しばらく時間が欲しい。その間の滞在先は……決まってんのかい?」
「いや……まだだが……」
テミスはアトリアの言葉に足を止めて答える。そういえば、ロンヴァルディアに来たは良いが逗留先を決めていなかった。人間領の宿屋には良い思い出が無いが、人間側の首都なのだ……マシな環境だと祈るしか無いだろう。
「なら、ちと中心からは外れるけどブルームって宿にしときな」
「……何かあるのか?」
「校外だから何かあった時に逃げやすいし、何よりも飯が美味い。あとは憲兵が来ようとあの宿が客を突き出している所は見た事が無いね」
「安全性は抜群……と言う訳か。うってつけだな」
テミスはコクリと頷くと、アトリアに不敵な笑みを浮かべて見せる。治安維持が目的の憲兵にすら抵抗するのはどうかとは思うが、こちらから見ればありがたいだけなので今は目を瞑るとしよう。
「じゃ、ある程度したら使いを送るから……ああ、ここを覗いてくれても構わないよ」
「わかった」
テミスは戸口でアトリアに頷くと、さっそく紹介された宿屋に向けて歩き出すのだった。
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