1134話 王を討つ者
不思議と聞き心地の良い落ち着いた声と、柔らかに浮かべられた微笑。
声と共に戦場へと姿を現したのは、ギルファー第一王子にしてヤトガミの息子でもあるヤタロウその人だった。
ヤタロウはそのまま、コツリコツリと足音を立てながら部屋の中ほどまで進むと、穏やかな微笑を浮かべたままそこに倒れるヤトガミとテミスへと視線を向けて口を開く。
「ふふ……まさかあんなに早く、しかも報せがたった置手紙一つだったのには驚かされたけれど、何とか間に合ったみたいだね」
「ヤタロウ……。貴様、何をしに来た……?」
「…………」
朗々と語り始めるヤタロウに対し、ヤトガミは眉を顰めて低い声で問いかける。
獣人族という種族を超えたヤトガミにとって、たとえ息子といえどもヤタロウは取るに足らない存在なのだろう。
故に、不審に眉を顰める事はあっても、彼の口から裏切りめいた言葉が堂々と放たれているというのに、それを咎める事は無かった。
一方でテミスは、協力者であるヤタロウの突然の乱入に、口を噤んだまま成り行きを眺めていた。
私の正体すら事前に暴き、協力を求めてきた程の知恵者だ。よもや、何の策も無しにこの場に現れる事など無いとは思うが……。
「去ね。貴様がここに立つ事を赦した覚えは無い。これ程良き戦いであるというのに、興が削げるではないか」
「……良き戦い。えぇ、本当に良き戦いです。テミス殿は十全の……いいや、十全以上の働きをしてくれた」
「ッ……!! ヤタロウ……貴様、まさかっ……!!」
「あわよくばそのまま倒してくれるかも……なんて思っていたのですが、まさかここまで力を付けているとは……誤算でした」
ゆったりとした口調でそう語りながら、ヤタロウは腰に提げた刀をスラリと抜き放つと、構えすらせずにその手に携えたまま、テミスとヤトガミの間へと歩を進めた。
その顔には、相も変わらず柔和な笑みが浮かべられてはいたものの、この状況下に姿を現したという不可解さが、微かに持ち上がった口角を怪し気な雰囲気へと変えている。
「……私がヤトガミを相手に、ここまで善戦したことも誤算……か?」
「…………」
だからこそ。
テミスは腕に力を込めて無理やり上体を持ち上げると、己が前に立つヤタロウを鋭く見上げながら、不敵に唇を歪めて問いかけた。
ヤトガミの強さは明らかに異常だった。
大鉈を持ち出してからの強さがたとえ誤算だったとしても、私とシズクの二人がかりでの襲撃をものともしなかったあの強さは、到底誤算の範疇に留まるとは思えない。
ならば、この男の本当の目的は……。
「まさか……こうして父を討つ絶好の機会を作って貰って感謝しているよ」
「クク……父を討ったら、次は私の番……か? よくぞまぁそんな事を考え付いたものだ。私を父にぶつけて力を削ぎ、王座を奪うと同時に他国の戦力である私をも消そうとは」
「ヌゥッ……!? 許さぬ! 邪魔など断じて許さぬぞッ!! ヤタロウよ!! 漸く愉しみを見付けたのだ! 斯様な終わりなど、認めて――ッ!?」
「――父上。貴方が回復するまで待つつもりはありませんよ。私とて獣人の端くれ。一撃でその首を落とせずとも、二度、三度、こちらが刀を振るう暇はいくらでもある」
ひたり。と。
未だ立ち上がることすらできないテミスに小さく微笑みかけると、ヤトガミは声を荒げて割って入ったヤトガミの首に刃を添えてそう宣言した。
それは紛れもなく、己が手で父であるヤトガミを殺すという反逆の宣言で。同時に、テミスの獲物を奪うという通告でもあった。
「この男の首は私が貰う。構わないね?」
「……好きにしろ。生憎、私は戦いを愉しむなどという野蛮な趣味は無いのでな」
しかし、ヤタロウは念を押すようにテミスを振り返って問いかけると、不敵な笑みを浮かべたテミスは吐き捨てるようにそう答えを返す。
その先に如何なる結果が待っていようとも、ヤトガミをここで倒さねばならないという目的は同じなのだ。
なればこそ、気力と体力を振り絞ってこの手で決着を付けるよりも、ギルファーという国を背負って立ったヤタロウが止めを刺した方が、我欲に塗れたヤトガミという男には何よりの罰であると言えるだろう。
「ありがとう。申し訳ないけれど、少し待っていてくれ。……さぁ、父上。報いを受ける時です。これが貴方達の棄てた私達の想いだッ!!」
「グクッ……!!! 何たる事かッ!! この我がッ……!! 苦難を超え、渇きを満たし、天へと至る直前で、愚息如きに足を掬われようとはッ……!!!」
ヤタロウはテミスの答えを聞くと、にっこりと笑みを浮かべて言葉を返して父へと向き直り、手に携えた刀を高々と振り上げる。
そして、無念の咆哮を上げるヤトガミの首を目がけて、鋭く刀を振り下ろしたのだった。




