1127話 天を喰らう
バギン……ベギンッ……! と。
ヤトガミはテミスごと空間を薙いだ己の腕で、骨の折れる鈍い衝撃を感じ取っていた。
人外の怪力を以て力任せに振るわれたヤトガミの一撃は、テミスの身体であっても耐え切れぬ程に強力で、事実攻撃を受けたテミスの両腕は小枝のように折れて拉げていた。
……だが。
「…………」
攻撃に込められた力のままに弾き飛ばされたテミスは、両の腕が折れた痛みに眉一つ動かす事すら無く、空中で身軽に一回転をして勢いを殺して両の足で着地して見せる。
加えて、テミスの両足が床へと付く頃には、折れたはずの両腕は既に元の形へと戻っており、その機能を十全に取り戻していた。
「ッ……!! 化け物めッ……!!」
そんなテミスの姿を見て、ヤトガミは忌々し気に呟きを漏らすと、胸の中で苦笑いを零した。
よもや、ヒトの枠を超える……と。自らヒト共に化け物と畏れられるべく力を付けたこの我が、斯様な思いを抱くとは……。
つまるところは、我自身も未だ道半ば。眼前に立ちはだかるこの異形が持つ力こそ、真にヒトの枠を超えた絶対なる力と言えるだろう。
「フフ……ハハハッ!! 話にならんな」
「……」
無感情に立ち上がるテミスを前に、ヤトガミは再び守りの構えを取りながら笑い声をあげた。
無論。一撃を加えたからといって相対するテミスは未だ白目を剥いたままで意識が戻る事は無く、語り掛けたところで応答が返ってくる訳も無い。
それでも……否。だからこそ。ヤトガミは勝ち誇ったような高笑いを浮かべながら、テミスへと言葉を紡ぎ続けた。
「確かに、元より素早かった迅さも、人間にしては協力ではあったものの我に及ぶまでもなかった剛力も、比較にならぬ程に強くなっている。ともすればこの我に迫る……いいや、我を超えてすらいるやもしれん」
「…………」
「だが、ククッ……何だその体たらくは。無様にも程がある。斯様な力を持ちながら、ただ真正面から殴りかかるだけとは……まるで獣ではないか」
それは先程の戦いで獣と詰られたヤトガミにとって、勝利宣言にも等しい程に痛快な皮肉だった。
自らを理性なき獣だと宣った敵が今、自ら理性を捨てた獣の如き力に縋っている。
結局この小娘は、自らが否定した理性なき獣の力こそが、この世で最も強く正しき力であるとその手で証明してみせたのだ。これ程に滑稽な事があるだろうか。
「フッ……尤も、それは我も同じか」
意趣返しをして溜飲を下げたヤトガミは、ゆらりと体と翼を揺らして強襲の構えを取るテミスを見据えながら、小さく笑みを浮かべて呟きを零す。
力こそ全て。強き者が弱き者を支配する世界を是としながら、こうして理性と知性の力で格上たる力を持つ者に勝とうとしているのだから。
「しかぁしッ!! 全ては強者が!! 勝利が洗い流すのだ! 来るが良い、醜悪な御使い……理性なき獣よッ!! 貴様の矛盾も……我が喰らって血肉としてくれるッ!!」
「…………」
次は仕留める。
そう覚悟を決めたヤトガミは、ギラリと瞳を輝かせると、裂帛の咆哮と共に全身に力と気迫を漲らせた。
流石の我が肉体でも、今の小娘の攻撃をまともに受ければただでは済まないだろう。
故に守りを固め、慎重に様子を窺った。
だからこそ解る。奴の攻撃は単純にして直線的。そこに虚実の駆け引きなど無く、ただ有り余る力をひたすらに叩きつけているだけに過ぎない。
ならば、繰り出される攻撃を読み切ってあえて受け、返す攻撃であの再生力を上回る一撃を叩き込む。
「――」
そう己が勝利への道筋を定め、体の隅々まで神経を張り巡らせるヤトガミの前で。
テミスは背の羽をばさりと翻しながら、固く握り締めていた拳の形を変えていた。
小さな岩の如き拳は開かれ、手刀の形に固められたその手は、まるで抜き放たれた刀の如き鋭い気迫を放っており、テミスの身を包む白く輝く光がうっすらとその表面を包んでいる。
――そして。
「ごっ……!? ぶふッッッ……!?」
「…………」
閃光を思わせる素早さで飛び出したテミスの手刀を、ヤトガミは己が腕の端で僅かに弾いて腹で受け止めた。
しかし、その手刀がヤトガミの思惑通り、城壁が如く固められた堅牢な腹筋で止まる事は無く。テミスの腕はそのままヤトガミの固い筋肉の鎧をブチブチと貫き、深々とその身体を貫いた。
「ひ……一筋縄ではいかん……か……ッッ!! だがッッ!!!」
腹を貫かれ、くの字に体を折り曲げたヤトガミは、ごぼりとその口から血の塊を吐き出しながらも、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたまま力強く叫びを上げる。
そして、巨大な蛇が鎌首をもたげるかのように両の腕を掲げると、テミスの背ではためく純白の翼を力強く掴み取った。
「こんな忌々しい翼など……毟り取ってくれるわァッッ!!」
「――ッッッッ!!!」
直後。
全身にみなぎらせた気合を込めてヤトガミは咆哮を上げると、テミスの背に生えた翼を、ブチブチと力任せに引き千切ったのだった。




