1119話 迸る獣欲
「その迅さ……迸る魔力……ッ!! 間違い無いッ!!」
剣閃と血煙の舞う戦場を眼前に、クズミは恍惚とした表情を浮かべると、熱に浮かされたような口調で呟きを漏らした。
その唇は、今にも涎が零れ落ちそうなほど深く歪められていて。
クズミの側で緊張に顔を強張らせていた近衛兵たちが、僅かに驚いた表情を浮かべて肩を跳ねさせる。
「よもや……よもや触媒も無しに成るとは。これこそ巫女たる者の権能か……?」
「ク……クズミ様っ……!?」
「嗚呼でも……漸く見つけた……。私達の巫女。いいえ……私の巫女ッ!! えぇ、えぇ……ッ!! そうですとも。今ならば……今ならばこの私だけが……天へと至ることができるッ!!」
まるで正気を失ったかのように言葉を続けるクズミに、近衛兵たちは動揺を露わにして背後を振り返った。
しかし、そこに居たのは彼等の知る高貴で神聖な気配を纏った王妃ではなく、目を欲望に爛々と輝かせ、その身に迸る興奮に鼻息を荒げる一頭の獣だった。
「ガッ……ぁ……っ……!!」
「ハァ~ッ……ハァ~ッッ!!」
一方で、クズミを守る肉の盾はシズクの手によって次々と斬り払われ、苦悶の声と共にその骸を血の海へと崩れ落ちさせていた。
既に残ったのは、クズミの周囲で守りを固めていた数名だけで。
彼等の眼前には、全身を血で真っ赤に染め上げながら、荒々しい息と共に紅の瞳を輝かせるシズクが、静かに刀を構えている。
「ヒッ……ッ~~!! グッ……我等が時間を稼ぎます! クズミ様ッ!! どうかお逃げをッ!!」
「ッ……!! ゼェ……ゼェッ……!!」
シズクから放たれる冷たい殺気に、近衛兵たちは背筋を貫かれたかのような恐怖を覚えるが、怯え竦む心を必死で奮い立たせ、怖気を飲み下して叫びを上げる。
だが、その身から迸る気迫は凄まじいものの、シズクの身体は既に満身創痍だった。
迅さを得、型を棄てて漲る力を溢れるままに振るっていたが、次々と襲い来る猛者たちの命をも棄てた特攻は捌き切れるものではなく、シズクは彼等の決死の刃を数太刀その身に浴びていた。
体力も既に限界。胸は灼き付いたかのように痛み、血を流し過ぎたのか頭の奥が鈍く痛む。
それでも。
シズクは真っ直ぐと鋭い瞳でクズミを見据え、彼女を守護して武器を構える近衛兵たちと向かい合う。
「私のッ!! 私の巫女ッ……!! 早くその身を捧げなさいッ!! 血を啜り、肉を喰らい、その体に宿る力と理を我が手にッ!!」
「クッ……!! クズミ様ッ……こうまで御心を乱されるとはッ……!! 何とおいたわしい……賊めッ!! 我が忠義に懸けて許しはしないッ!!」
「フッ……フッ……フゥ~……ッ!!」
歪んだ欲望と歪んだ忠義。
二つの叫びを前にシズクは大きく息を吐くと、澄み渡った思考の中で冷徹に判断を下す。
クズミを守る近衛兵は三人。真っ向から打ち倒す為には、こちらも無傷では済まないだろう。
けれど、クズミの様子がおかしい今のうちに畳みかけなくては勝機は無い。
「ならばッ!!」
「ウッ――!?」
私の片腕でクズミを討ち取る事ができるのなら安いものだッ!!
そう覚悟を決めると、シズクは深く姿勢を沈めて構えを取ると、猛々しく吠え声を上げたものの、刀を構えたまま動かない近衛兵達に向けて一気に詰め寄った。
まずは右側の兵を一刀の元に切り捨て、切り上げた刀でそのまま左側の兵の首を落とす。
機先を制したシズクの鋭い攻撃に、近衛兵たちは抗う術もなくその身を切り裂かれると、末期の声すらあげる事無く崩れ落ちていく。
だが、この瞬間。仲間を同時に斬り付けられた近衛兵の眼前には、上段から全力で振り下ろした後のシズクの背が無防備に晒されていた。
無論。鍛え抜かれた兵である近衛兵がそんな大きな隙を見逃す訳も無く。
「ぁ……ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」
「――っ!!!」
狂乱したかのごとき叫び声を上げながらも、構えていた近衛兵の白刃がシズクの背に向けて振り下ろされる。
それは、如何に向上したシズクの身体能力を以てしても避けようのない一撃で。
刹那。シズクはギラリと瞳を輝かせると、己が背に振り下ろされる白刃へ打ち付けるように、渾身の力を込めて左腕を振りかざした。
「ッ……!!!」
あとはこの身体を跳ね上げて、眼前の兵士の身体ごと背後のクズミを刺し貫くだけッ!
直後に襲い来るであろう左腕の痛みに備えて固く歯を食いしばりながら、シズクは止めの一撃を放つために折り畳んだ脚に力を籠める。
これで終わらせるッ!! テミスさんの邪魔はさせない……皆の平和は私が護ってみせるッ!!
そう、シズクが声なき決意の雄叫びを吠えた時だった。
「アッ……ハァッ!!」
「えっ――!?」
決死の咆哮を轟かせる近衛兵の背後から嬌声に似た笑い声が響き、驚愕に染まった表情を浮かべた近衛兵の身体がシズクの上へと倒れ込んできた。
魂を込めて振るわれたであろう刃は狙いを大きく逸らして床を打ち、覚悟と共に振るわれたシズクの腕は鈍い音を立てて兵士の腹を打つ。
結果。近衛兵はシズクの上へと覆い被さるように倒れ伏し、想定外の重しを課せられたシズクの突進はその目論見を果たせず、近衛兵の身体と衝突して仰向けに倒れて下敷きとなった。
「がっ……!?」
「ぐぅっ……!?」
床へと叩き付けられる想定外の衝撃に、シズクと近衛兵の二人が息を詰まらせた直後。
「ハハハぁッ……!! 捕まえた……巫女ッ!! 私の巫女ぉッ……!!」
ぎしり。と。
クズミはシズクの体の上に覆い被さった近衛兵の身体に圧し掛かると、爛々と目を輝かせながら、自らの眼下へ収まったシズクを前に、舌なめずりと共に歓喜の叫びを上げたのだった。




