1115話 邪気纏う牙
クズミの手にする小刀という武器は元来、主に使用する武器である刀や太刀が破損した時、もしくはそれらを振るえぬほど狭く入り組んだ場所で使う為に携帯する、いわば予備の武器だ。
故にその射程も短く、刀に比べて力も伝わり辛いため、得物だけを鑑みれば小刀を扱うクズミよりも、刀を構えたシズクの方が有利であるのは明白だった。
しかし、身構えて尚クズミはまるで幽鬼のようにゆらり、ゆらりと不規則な動きで左右へ揺れており、その不可解な動きがシズクを牽制する役割を果たしていた。
「……いつまでそうして眺めているつもりかしら? あれ程に猛々しく私を倒すと宣ったのは噓かしら? 私……臆病な子は嫌いなのだけど」
「挑発には乗らない。私だって隠密だ。相手が小刀だからといって侮ったりはしない」
「あらそう……。…………残念」
怪し気な笑みを浮かべて告げるクズミの言葉を、シズクは迷う事無く切って捨てる。
小刀という武器は、主に開けた野外で刀を振るう者達には侮られることが多いが、こと屋内や敵領地への偵察など、影の戦場で戦ってきたシズクにとって、小刀は恐るべき武器であり、同時に馴染みの深い武器でもあった。
だからこそ。
このように存分に刀が振るう事のできる程開けた場所で、たった一振りの小刀だけでシズクの猛攻を捌き切ったクズミの恐ろしさは、誰よりもシズク自身が理解している。
「でも……そうね。貴女が動かないというのなら、私から行きましょうか」
「っ……!!」
ゆらり……と。
クズミは一言そう告げた後、ひと際大きく体を揺らめかせた。
一見しただけでは、ただ揺れ動いただけ。
けれど、それが攻めの動作であると直感したシズクは即座に刀を己が身に引き寄せ、守りの構えを取る。
直後。
「うぅっ……!?」
「うふふっ! 捕まえた……」
一瞬にしてシズクの視界からクズミは姿を消すと、まるで床の上へと伏せるかの如く低い姿勢を保ちつつ、右へ左へと奇妙な動きで身体を閃かせながらシズクへと肉薄した。
そして、射程というシズクの振るう刀の有利を完全に殺すと、低い姿勢のまま斬り上げるようにして小刀を振るう。
だが。
シズクは咄嗟に自分の身体の側まで引き寄せた刀で、クズミの繰り出した斬撃を受け止め、小刀の射程から逃れるべく大きく後ろへと跳び下がった。
「逃が……さなぁい!!」
「ひぅっ……!!」
しかし、クズミは跳び下がったシズクの動きをまるで読んでいたかの如く、ほぼ同時に前へと跳躍して追い縋る。
その動きは機敏ではあるものの何処か悍ましく、シズクは背筋を駆け抜ける悪寒と共に漏れかけた悲鳴を噛み殺し、クズミを引き剥がすべく刀を振るった。
「あぁ……良い顔……」
「しまッ――!!」
「御仕置きよ?」
「――クッ……がぁッ!!?」
ぶおん。と。
恐怖を振る払うべく苦し紛れに放った斬撃は、がくりと上体を歪めたかの如く沈めたクズミに易々と躱され、結果、無防備となったシズクの身体がクズミの前へと晒される。
刀を振るう刹那の間に、シズクは己が失策に気付いて臍を噛むが、一度振るった刀が返ってくる事は無く、悍ましく歪んだクズミの笑顔が背筋を凍らせた。
そんな最中で、シズクは避け得ぬ痛みと恐怖に身を凍らせる事無く、無理矢理体を捻ってクズミの斬撃を身体で受け止める。
そして、クズミとシズクは互いに肉薄したまま床の上を転がった後、シズクが弾き出されるようにして床の上へと倒れ伏す。
「…………悪い子ね」
シズクの漏らした苦悶の声と共に一筋の血飛沫が吹き上がり、獣の如く四肢を床へと付いたクズミが、不機嫌に呟きながらムクリとその身体を起こす。
そこから数歩離れた場所では、みるみるうちに血に染まっていく左腕を押さえながら、歯を食いしばったシズクがゆっくりと立ち上がっていた。
「ハァ……ハァ……ッ!!」
何と悍ましい……と。
痛みを堪えて身構えながら、シズクは思わず胸の中で吐き捨てるように呟いた。
今の一撃。狙いは間違い無く刀を持つ私の右腕だった。
あれだけ近くまで肉薄したのだ。その気になれば、この胸を穿つできたはず。
だというのに……。
「弄ぶ気かッ……!!」
ふつふつと湧き出た怒りが口をついて零れ、クズミを見据えるシズクの視線に力が籠る。
これまで何度か、シズクは戦いの中にあっても、極力相手を傷付けまいとする戦い方を見てきた。
だが、クズミのそれは高潔な理性や強固な意志の元に振るわれた剣とは、似ても似つかぬ程の邪念を纏っている。
「抵抗しては駄目……当たり所が悪かったら死んでいたわ? ほら……早く血を止めないと……ねっ?」
「うる……さいっ……!!!」
怒りに震えるシズクに、クズミは血に濡れた小刀を手にしたまま、心底その身を案ずるような声色で語り掛けた。
しかし、シズクは歯を食いしばったままクズミの言葉を一蹴すると、袖口を捲り上げて固く結び、酷く乱暴に止血を済ませる。
そして、庇った右手を前に、半身で刀を構えてクズミを睨み付けたのだった。




