1113話 身命を賭して
一方その頃。
退き続けるクズミを猛追しながら、シズクはひたすらにその白刃を打ち込み続けていた。
この撤退が私を誘い込み、テミスさんと引き離すためのものだという事はわかっている。
けれど、それも全て承知の上。あの時テミスさんは、明らかにこのクズミとヤトガミが合流する事を嫌っていた。なら、私にできる事はただ一つ。
相手は各上だ。でも、勝てなくてもいい。テミスさんがヤトガミを倒すその時まで、彼女を足止めし続けるッ!!
「ハァァァァッッッ!!!」
そんな、自らの身を捨て石にする覚悟さえ刃に込めて、シズクは決して攻撃の手を緩める事無く攻め続けていた。
否。一気呵成に攻め立てているように見えてその実、シズクの攻撃は有効打たりえていない。虚実を交えた斬撃も、速度を極めた一撃も全ていなされている。
「ウフフッ……健気ねぇ……」
「クッ……!!!」
「大丈夫かしら……そろそろ疲れてきたのではなくて?」
「まだッ!!」
クズミはシズクを煽るようにクスクスと余裕の笑みを浮かべながら語りかけるが、シズクは一喝と共に白刃を振るって挑発を一蹴すると、返す刀で強烈な突きを放つ。
しかし、怒りを込めた一閃も、クズミの手によって巧みに操られる小刀によって弾かれ、その身体まで届く事は無かった。
「ウゥッ……!!」
続いて二度、三度と。
シズクは唸り声を上げて歯を固く食いしばると、横なぶりに降り注ぐ豪雨の如くひたすらに刺突を叩きつける。
それは、小刀と刀の間に横たわる圧倒的な射程の差を生かした堅実な戦い方で。
この戦場という、生と死の狭間を揺蕩う極限状態において、シズクが冷静な判断の元で自分らしい戦い方を発揮できている証拠とも言えた。
「凄い体力だわ……? いえ……気力かしら? 酷く疲れているように見えるのに、まだこんなにも動く事ができるなんて」
「ハァ……ハァッ……!!」
攻め続けるシズクと守り続けるクズミ。両者の運動量に大きな差があるのは言うまでも無く。余裕の微笑みを浮かべ、汗一つ浮かべずに攻撃を捌き続けるクズミに対して、シズクはボタボタと大粒の汗を流しながら必死で攻撃を繰り出し続ける。
当たらなくても構わないッ!! こちらが受けに回ったら終わりだ……このまま反撃の隙を与えずに圧倒するッ!!
「セイッ!! ハァッ……!!」
裂帛の気合と共に繰り出す攻撃は悉く小刀に阻まれ、空を薙ぐ。
シズク自身、自分とクズミの間に埋め難い実力差があるのは理解していた。
ここまで攻め続け、彼女とヤトガミを引き離すという目論見がうまくいっているのも、ある種の目的の一致があったからだろう。
けれど。
如何なる理由や企みがあろうと、私は攻め彼女は退いた。
ならば、戦いの流れを私が掴む事ができるのはものの通りで。一度動き出した流れを覆す事は容易ではない。
逆に言えば。一度掴んだこの流れを手放した瞬間。私は負けるだろう。
それを理解しているからこそ、シズクは胸が焼けるような痛みを発し、脚が鉛のように重たくなって尚、必死で攻めの手を緩めなかったのだ。
だが。
「でも……そろそろ限界かしら?」
「っ……!!!!」
ピタリ。と。
シズクの猛攻の隙間を縫って伸ばされたクズミの掌が頬に触れると、シズクは目を見開いて全力で眼前を薙ぐ。
しかしその頃には、クズミは妖艶な笑い声と共に退いており、咄嗟に放った斬撃はヒャウンと甲高い音を奏でながら空を裂いた。
「あら危ない」
「ハッ……ハァッ……!! ゼェッ……」
そして遂に。
その攻撃を最後に、シズクの攻撃の手が止まる。
荒々しい呼吸を繰り返すシズクの身体からは微かに湯気すら立ち昇っており、その身体が帯びた熱は、これまでの猛攻に費やした凄まじい運動量を物語っていた。
「よく頑張ったわぁ……偉い偉い」
「ッ……!!!」
たとえ幼子であろうと、今のシズクを見れば一目で疲弊しきっていると見抜く事ができるだろう。
だからこその余裕だろうか。クズミはクスクスと愉し気に笑いながらゆらりとシズクに肉薄すると、空いた片手で柔らかに頭を撫で回した。
無論。もう片方の手には冷たい白刃が握られているものの、クズミのまるで愛玩動物を愛でるような手つきに殺気は無かった。
だとしても、シズクがクズミの手を受け入れる理由は無く。
シズクは鉛のように重たい腕に無理矢理力を籠めると、ぶおんと鈍い音を奏でて眼前のクズミへ斬りかかる。
しかし……。
「ふふふふ……。まだ頑張るのね? 本当……可愛いわぁ……」
「ッ……! ッ……!!」
「あぁ……その真っ直ぐな目……なんていじらしいのかしら……」
渾身の力を込めて放ったはずの刀は、カキンと拍子抜けするほどに軽い音と共にクズミの小刀に弾かれ、未だ荒い呼吸の整わぬシズクは驚愕に目を見開いた。
クズミは頭を撫でていた手を止めると、苦しみと屈辱に歪むシズクに柔らかく微笑みかけながら、ゆっくりとその顎を半ば力任せに持ち上げて語り掛けたのだった。




