1110話 不壊なる肉体
状況はいたってシンプルだ。
私の前には敵が一人。敵を斃す事ができれば私達の勝利、討ち損じれば私達の敗北が待っている。
コスケとシズクが身体を張って私に余力を残してくれたが故に、初撃でしくじりはしたものの、体力気力は共に万全だ。
ただ一つ。問題があるとすれば。
この万全の状態の私を以てしても、この敵はどうやら力も迅さも格上であるらしいという事だけ。
「フッ……どうした? 威勢が良いのは口だけではないか」
「ククッ……そう挑発してくれるな。今すぐにでも斬り殺したくなる。これでも私は慎重さが長所だと思っているんだ」
「どの口がほざくか。斯様な未熟者を連れ、ここまで突き進んで来おった者が」
悠然と佇むヤトガミを前に、テミスは剣を構えたまま隙を探りながら、舌戦を繰り広げていた。
しかし、一見しらだけでも何をどう見繕った所で隙だらけで。
どこから斬り込んだところで容易に斬り伏せる事ができる。如何に慎重に慎重を重ねて検討しても、テミスの経験はそう告げていた。
だが……。
不用意に斬り込めば先程の二の舞だ。最早一撃で決めるなどと甘い事は言わん。敵わずと迅さと手数……そこに虚と実を織り交ぜた技で勝負をするッ!!!
「ッ……!!!」
「……迅いな」
そう覚悟を決めると、テミスは脚に力を込めて飛び出し再び真正面からヤトガミへと斬りかかった。
しかし、そんなテミスに対してヤトガミは腕を組んだまま微動だにせず、ただ興味深げに呟いただけで、応ずるための構えすら取ることは無かった。
舐められたものだ……と。テミスは剣を振り下ろしながら胸の中で嘆息した。防御を誘い、様子を見る為の一撃だったが、無防備に受けてただで済む程易しくは無い。ならば、お望み通り斬り刻んでくれよう。
「セ……アアアアァァァァッッッ!!!」
咆哮と共に、ヤトガミの周囲をテミスの残像が舞い踊る。
一瞬の間に十数度。神速の迅さを以て振るわれた漆黒の大剣は、空間に揺らぎのような軌跡を残し、ヤトガミへと余すことなく斬撃を浴びせかけた。
嵐の如く降り注ぐ斬撃の咢に呑まれたヤトガミに為す術は無く、立ち尽くしたまま千々に切り裂かれる……はずだった。
「グッ……ゥッ!?」
微動だにしないヤトガミの身体を切り刻み始めてから数秒。
己が手に伝わる感覚に違和感を感じたテミスは、咄嗟に身を翻してヤトガミの側から跳び退った。
はじめに感じたのは、微かな重たさだった。
まるで巨大なタイヤでも殴りつけたような感覚。そんな痺れにも似た重さが、一撃を加えるごとに腕に積み重なり、今やジンジンと骨を伝う痛みに変化している。
それは紛れもなく、ヤトガミの守りの固さの証であり。
「……頭のおかしい固さだな」
「誉め言葉として受け取っておこう。だが、貴様とて素晴らしい迅さだ。まさかこの我が血を流す事になろうとは」
シュゥゥゥゥッッッ……と。
大剣によって打ち込まれた斬撃のエネルギーと、皮膚の上を疾る刃の摩擦が生んだ熱がもうもうとした熱蒸気を生み出していた。
その蒸気の中から一歩。ヤトガミはゆっくりと歩み出ながら口を開くと、己が身に纏わりつく蒸気を払いのける。
そんなヤトガミの肌は、派手な傷口こそ見受けられないものの、テミスの放った斬撃によって所々僅かに浅く強靭な皮膚が裂け、じわりと赤い血が滲んでいる。
「先程の光る一太刀……全霊を込めたであろうあの一撃の外に、これ程までに鋭き牙を持ち得ているとは……。貴様……本当に人間か?」
「ハハ……嫌味にしか聞こえんな。だが……なるほど、驕り高ぶる訳だ……」
巨木のような腕で自らの身体を撫でまわしながら問いかけるヤトガミに、テミスは腕に走る鈍い痛みを堪えて笑いを零した。
ヤトガミの強さの本懐……それはあのふざけた肉体の強さだろう。
元来恵まれた体躯を持つ獣人族としての肉体に、新たな力とやらで加えられたであろう、恐らくは私の身体が有する類の身体強化、そしてそこに身体そのものを強化する魔法が重ねられている。
故に全力で振るった斬撃を無防備に受けて尚有効打にはならず、こちらの腕にもダメージが跳ね返ってきているのだ。
「ン……!? 待てよ……?」
こんな化け物をどう攻め落とすか……。
微かに震える手で剣を構えたまま、テミスが胸の内でそう呟いた時だった。
その脳裏に、一筋の閃光のような閃きが過った。
ならば、シズクの一撃はどう説明を付ける? あの時確かに、シズクの刀は奴の肩口に突き立っていた。
そして先程の攻撃。奴は私に攻撃を誘っておきながら、微動だにせず待ち構えていた。
それはつまり、あの時のヤトガミは自らの力を防御に集中していたという事で。
「そうかッ!!!」
「何かを思い付いたようだが、貴様がそれを試す機会は無い」
「――っ!!?」
己が内を走った閃きに、テミスが呟きを漏らした時。
冷たい殺気を纏った声と共に、これまで無防備に立っているだけだったヤトガミが、ゆっくりと構えを取ったのだった。




