1106話 屈辱の名乗り
「ッェェァァァアアアッッ!!!」
裂帛の咆哮を迸らせながら、放たれたテミスの一撃は間違い無く必殺の一撃だった。
ヤトガミとテミス。両者の間に開いた僅かな距離など、目にも留まらぬ速度で駆けたその神速の前には意味など無く、如何なる手段を用いたとて回避は不可能。
しかも、煌々と輝きを放つ刀身に込められた力は、テミスの放つ正真正銘全力の月光斬なのだ。
如何にヤトガミが理外の力を手に入れていようと、大ダメージは必至。
万に一つこの初撃を耐え抜いたとしても、続くシズクの二撃目が確実に止めを刺す。
――はずだった。
「なッ……!!!」
「っ……!!?」
バギィィィィンッッッッ!!! と。
大槌を金床に打ち付けるかのような轟音が響く中。事前に示し合わせた通り、テミスが仕掛けると同時にその陰から飛び出して抜刀したシズクの前に現れたのは、己が目を疑う光景だった。
テミスに世を害する悪だと判じられたヤトガミ。そんな彼を両断すべく放たれたテミスの斬撃を、ヤトガミはその両の腕で受け止めていたのだ。
否。それだけではない。
メキメキと盛り上がる巨樹の如きヤトガミの両腕は、その拳を以て今も尚眩い輝きを放つテミスの大剣の刀身を挟み込むようにして留めている。
つまり、ヤトガミはテミスの全霊の斬撃……必殺の一撃とも言うべきそれを、無傷で受け止めてみせたのだ。
「くっ……!! セェェェッ!!!」
「ッ……!! 止せ!! シズクッ!!」
だが、シズクは予想外の光景に一瞬怯んだものの、すぐに抜き放った刀を構え直すと、気迫の籠った叫びを上げながら、果敢にヤトガミへと斬りかかっていく。
その追撃にテミスが気付き、制止の声を上げる頃には時は既に遅く、シズクはテミスの斬撃を受け止めているが故にがら空きとなっているヤタロウの脇腹に狙いを定め、横薙ぎの一閃を放つべく深々とその懐へ飛び込んでいた。
「ごぁっ……!?」
そんなシズクを迎えたのは、まるで荒々しく削られた巨岩のようなヤトガミの脚。
刀を振りかぶった勢いのまま、ヤトガミの突き出した膝へまともに飛び込んだ形となったシズクは、そのまま弾き飛ばされるように傍らへと飛ばされ、部屋の壁に打ち付けられてその動きを止める。
「シズクッ!!!」
「騒ぐな。無謀な猪を受け止めてやったに過ぎん」
「何ッ!? っ……!? ガハッ……!!?」
「……尤も、我に届き得る刃を持つお前は、その限りでは無いが」
ほんの一瞬。
ヤトガミはテミスの意識が、己が迎撃を受けて吹き飛ぶシズクへと逸れた隙を突くと、その両拳で挟み込んだ大剣を有り余る筋力で以て下段へと捩じり下す。
そして次の瞬間。
その巨躯からは信じられない程の早さとしなやかさを以て、守りの剥がれたテミスの顔面に強烈な蹴りが叩き込まれ、テミスもまたシズクと同様に……否、シズクに倍する速度で部屋の壁へ向けて吹き飛ばされる。
同時に、剛脚の一撃を喰らって尚その手を離す事の無かった漆黒の大剣が宙を舞い、刀身に湛えた光を急速に失いながら、軽い音を立てて床の上に突き立った。
「ガッ……ァ……ッ……!!」
嗚咽のような音と共に、襲ってきたのは胸を焦がすような苦しみだった。
気付けばテミスは、ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の中に埋もれており、自らが攻撃を受けたのだという事を遅れて理解する。
「グッ……クソッ……!!」
体勢を立て直さねば。
明滅する視界の中。テミスは必死で自らの身の上に降り注いだ瓦礫を押し退けながら、覚束ない足で立ち上がった。
未だに追撃が無いという事は、意識を失っていたのはほんの数瞬なのだろう。
ならばそれは、この後すぐに追撃が襲い掛かってくるという事で。
ただ片手間の反撃であの威力なのだ。奴の攻撃の直撃を受ければ、この人間にしては異様に強靭な肉体であったとしてもひとたまりもないだろう。
「フッ……感心した。実に見事なものだ。よもや脆弱な人間の身でそこまでの力を持つとはな。あれ程の斬撃を受ければ、然しもの我の身体とて傷が付く」
「ッ……!!」
「…………。……!!」
だが、テミスの危惧したような追撃は無く、ヤトガミは悠然と笑みを浮かべながら、部屋の真ん中で腕組みをして仁王立ちしていた。
そこから感じられるのは、圧倒的な強者の醸し出す余裕。
例え今、部屋の逆側で同じように立ち上がったシズクと同時に攻撃を仕掛けても、ヤトガミに傷一つ付ける事はできないだろう。
「気が変わった。人間。名乗る事を赦そう。賊とはいえその力、我が記憶に留めるに相応しき強者だ」
瓦礫の中からフラフラと歩み出たテミスを眺めながら、ヤトガミはニヤリと不敵な笑みを浮かべて大仰な口調で問いを口にする。
その問いはテミスにとって、これ以上ない程に屈辱的な問いかけで。
しかし、一秒でも多く時間を稼ぎ、この身に受けたダメージを抜くには、答える他に選択肢は無かった。
「ッ……!! ……テミス。それが私の名だ」
僅かな逡巡の後。
テミスは口の中に広がる血の味を嚙みしめるように歯を食いしばると、怒りと屈辱に身を震わせながら己の名を名乗ったのだった。




