1104話 尊大なる獣王
王の居室。その最後の扉は、拍子抜けするほどにあっさりとテミス達を迎え入れた。
戸の内側に大勢の兵士が待ち構えている訳でも、侵入を阻む錠が仕掛けている訳でも無く、軋む音一つすら立てずにその口を開いたのだ。
その容易さはまるで、テミス達を招き入れる事そのものが罠であるかのようで。
テミスとシズクは油断なく身構えながらも、燦然と輝く光に溢れた王の居室へと足を踏み入れた。
「……何やら騒がしいと思ったら、不埒な子鼠がはしゃいで居ったか」
「っ……!!」
「こんにちは。自己紹介は必要ですかな?」
ゆっくりと部屋の中を進んだテミス達の背後で戸が閉まると同時に、何処か聞き覚えのあるふんだんに威厳を含んだ声が部屋の空気を揺らした。
だが、その声にビクリと身を縮めたシズクに対して、テミスはクスリと口角を歪めると、一歩前に進み出て部屋の奥から響いてくる姿無き声へ挑発的に言葉を返す。
「不要である。不遜にも我が寝所に踏み入った賊の名など、我が記憶に留めておく価値は無い」
「クス……これは異な事を。神域ではなく寝所と? 神聖なる御身にあられましては、未だヒトと同じく睡眠が必要なようで」
「っ……!! 不敬な!!! ヒトの身を超越せんとする我を愚弄するかッ!!!」
まさに傲岸不遜の見本であるかのようなテミスの問いに、姿無き声の主は怒りに口調を荒げると、部屋の最奥に設えられていた巨大な天幕の奥から、バサリと派手な音を立てて姿を現した。
その姿は、皮肉屋であるテミスの心を以てしても、まさに獣人族の王に相応しいと感じる程に筋骨隆々の巨躯で。
更には、自信と誇りに満ちた光を宿した鋭い目と鋭利な牙を備えた大きな口は、獣たる血を色濃く残しており、ライオンを彷彿とさせる首回りに茂るたてがみは、黒と黄金の二色に彩られていた。
「……お前が、このギルファーを統べる王に相違ないな?」
しかし、相応の風格を持つ男が目の前に現れて尚、テミスは油断なく身構えただけで毅然とした態度で問いを重ねる。
兵士達から聞き出した情報に、謁見の間で聞いたあの声と同じ口調。十中八九この男が王で間違いはないはずだが、王の姿を直接見た訳では無いテミスとしては、慎重にならざるを得なかった。
「その姿……見覚えがあるな。装束こそ異なるが確か……コスケとかいう木っ端商人の侍従か」
「さぁな。だが、ただの賊でない事は保証しよう。まぁ……こちらとしては、ヒトの身を超越せんとしているギルファー王ともあろう者が? よもや人間の賊相手に怯えて逃げ隠れする臆病者だとは思わないが?」
「ッ……!!! 囀ったな……下等で脆弱な人間風情が」
「応とも。下等で脆弱な人間としては、優秀で頑強なギルファーの王に一つ問わねばならん事があってな」
ゴルル……。と。
男はその喉から低い唸り声を響かせ、テミスの胴周りを優に超す程太い腕にビキビキと力を込めながら、テミスの皮肉交じりの言葉に言葉を返す。
だが、当のテミスはそんな威圧など気にも留めていないらしく、涼し気な笑みを浮かべて挑発的な態度を変える事無く口を開く。
「故に、お前が誇り高い獣人族の王であるのならば、速やかに名乗り出て頂きたいものだが……?」
「ッ……!?」
「ムゥッ……!!!」
しかし、続けて発せられた問いには、背後で緊張に身を浸しながら会話を見守っていたシズクでさえ、思わず飛び退いてしまいそうになる程の濃密な殺気が絡められていた。
無論。そんな問いを正面から受けてただで済むはずもなく、男は驚きに目を見開き、立派なたてがみを逆立たせて瞬時に身構えている。
その反応の迅さだけで、目の前の男が他の獣人族とは一線を画する実力の持ち主であることは明白だったが……。
「フム……面白い。確かに、ただの賊では無さそうだ。良かろう……その蛮勇たる気概に免じて、このギルファーの王たる我、八刀神命が問う事を赦す」
「クハッ……!! 獣風情が神の真似事とは大きく出たな……。ならば問おう。お前がその力を以てこの世界を統べるなどと戯けた野望を抱いているとは本当か?」
テミスの殺気を前に一度は身構えたものの、男は再度の問いに大きく胸を張ると、不敵に頬を歪めて名乗りを上げた。
それはテミスにとって、目の前の男がギルファーの王であると断定するには十分過ぎる宣言で。
故にテミスは尊大な口調で名乗りを上げたヤトガミを鼻で嗤うと、真正面からその目を睨み付けて静かに本題を問いかけたのだった。




