1101話 心を定めて
「ここが……」
前を走るテミスの後に続き、明かりすらまばらな階段を走り抜けると、シズクは足を止めて一息を吐くテミスの隣で、思わずぽつりと呟きを零した。
先行してこの区画へと立ち入ったテミスから話にだけは聞いていたが、こうして静謐で荘厳な雰囲気の漂う廊下を前にして、シズクはただただ圧倒される思いだった。
だからこそ、考えてしまう。果たして、こんなものを作り得る存在を相手に、自分達は勝利をもぎ取る事ができるのだろうか……。と。
否。それ以前に、自分はこの山城から生きて帰る事はできないかもしれない。
そんな恐怖がひたりと脳裏に侵入し、痺れにも似た震えが身体を支配していく。
「ぁ……」
ならば、自分にできる事はただ一つ。
命をも懸けた遮二無二の一撃。力及ばずともただ一太刀、魂すらも捧げた特攻で血路を切り拓く。
そんな、追い詰められた思考へとシズクが至りかけた時だった。
「――ぃ! おいッ!! 聞いているのかッ!?」
声量の抑えられた怒声と共に、シズクの視界に広がっていた豪奢な光景へ割り込むようにして、目尻を吊り上げたテミスの不機嫌な顔がいっぱいに映し出される。
「っ……!? ご……ごめんなさい。あまりの豪華さに唖然としてしまいまして……」
「フン……豪華なだけならば良かったのだがな……。全く、柔らかな絨毯の一つでも敷いておいてくれれば楽なものを……」
「あはは……」
「まぁいい、ここからは未探索領域だ。戦闘に発展する可能性も鑑みて、一度ここで小休止を取る」
「……。は……?」
シズクは咄嗟に、内心の怖気を悟られまいと曖昧な笑みを浮かべて言葉を返すが、テミスは小さく息を吐いただけでそう告げると、早々に階段へと踵を返し、その最上段に腰を下ろした。
だがその一方で、シズクは告げられた指示を聞き違えたのではないか。と、直前にテミスから告げられた言葉を思い返していた。
同時に、本当に腰を下ろして休息をとるテミスの姿を見て、更に一拍置いて理解する。
指示を聞き違えたのでも、ましてや自身の頭がおかしくなった訳でも無い……と。
「ちょっ……!? こ、ここでッ!? 正気ですかッ!?」
そして、テミスの指示に遅れること数秒。
シズクは驚愕に目を見開いて声を漏らすと、テミスの傍らに膝を付いて言葉を続ける。
「ここは階段ッ!! 通路ですよッ!? 見回りの兵……いえっ!! 誰かが通りがかりでもしたらどうするんですかっ!?」
「……何を焦っている? 別にここで一夜を明かす訳では無いんだ。その時は隠れるなり倒すなりすればいいだろう」
「ですがッ……!!」
半ば取り乱しかけているシズクの問いかけに、テミスは心底不思議そうに首を傾げると、怪訝そうに眉を僅かに潜めて答えを返す。
その答えは確かに、返す言葉すら無い程に通りが通っていた。
しかし、ここはあくまでも敵地のど真ん中……しかも最奥と目される区画の入り口であり、薄暗いとはいえ見通しのいい廊下の片隅なのだ。
常識的に考えてあり得ない。休息を取るにしてもせめて、どこか身を隠せる部屋なり倉庫なりまで進むべきだろう。
そうシズクの理性は、声高に叫びを上げていたのだが……。
「えぇい、面倒だな。とりあえず座れッ! ったく……ここからは未探索区画だと言っただろうが。我々はここに至るまで道程で少なからず消耗している。今、何も出て来ない時に休むべきで、ここが一番都合が良いんだよ」
「それは理解できますが……」
「それ以上もそれ以下も無い。納得しろ。あまりこの話でゴネるのなら、コスケに押し付けられた説明をしてやらんぞ?」
「っ……!!! わかり……ました!! 納得します!!」
「ん……」
酷く面倒くさそうにテミスがそう告げると、シズクは自らの理性を一瞬で捩じ伏せ、違和感を全て飲み下した。
尤もその根拠は、テミスが大丈夫というのだから何も問題は無いのだろう……。という、あやふや極まりないものではあったが。
それよりもシズクは、コスケが自らを犠牲に自分達を先へ進ませたのではない……。という、確固たる理由が欲しかった。
「簡単な話だ……シズク。お前はコスケが誰を助けに向かったのか忘れたのか?」
「えっ……? 父様と母様……ですよね?」
「あぁそうだ。ならば聞こう。シズク。お前たち猫宮の現当主は、お前が心配する程に弱いのか?」
「っ……!!!!」
「加えて言うのなら、奴は武器庫の位置も把握していた。素手のまま不利な戦いを強いられる事も無いだろうな」
そんなシズクの内心などお見通しだと言わんばかりに、テミスはニヤリと不敵な笑みを浮かべると、事も無げに語り始めた。
それは、言われてみれば当たり前の話で。
そうだ。父様も母様も、あのユカリ姉様やトウヤ兄様が軽くあしらわれる程の腕を持つ武人だ。
助けなければ……と思い込んでいたせいで忘れていた。本来なら父様も母様も、私なんかが心配するなんて烏滸がましい程に強いのだから。
「ま……私達と敵対しないかは解らんがな。その辺りはコスケの奴が上手くやるだろうさ」
「……はい」
「クス……。その顔……どうやら迷いは晴れたらしい。では……行くとするか」
「はいッ!!」
事実に気付かされたシズクは、あまりの衝撃に身を震わせながら、苦笑を浮かべて言葉を添えたテミスに、呆然とした表情で頷いてみせた。
しかし、その瞳に揺れていた不安は跡形もなく、その代わりに燃えるような闘志が漲っている。
それを見たテミスがクスリと笑みを浮かべて腰を上げると、シズクは力強い返事と共にテミスの背を追ったのだった。




