1100話 覚悟と不安
翌朝。いつも通りテミス達の朝食を届けに部屋を訪れた兵士が目にしたのは、机の上に残されていた一枚の羊皮紙だった。
皮肉にもその羊皮紙は、なめしや裁断は甘いが紙としての役割は果たす粗悪品や一般流通する品ではなく、丁寧に処理を施され、かつ内側の上質な部分のみが使われた最高級品で。
精緻な文字でただ一筆。『決行する』と記されていた。
無論。その頃にはテミス達の姿は部屋には無く、いつも朗らかな笑顔で兵を出迎えていたコスケも姿を忽然と消している。
「っ~~~~!!!」
そんな事実を目の当たりにした兵が、ヤタロウへと状況を報せるために、残された羊皮紙を手にもぬけの殻となった部屋から大慌てで飛び出した頃。
テミスとシズク、そしてコスケの姿は、昨日テミスとシズクが別れた、上階へと通づる階段の前にあった。
既に身分を偽る必要が無くなった一行は、テミスは普段の黒い制服を身に着け、シズクも腰に刀を佩いて普段通りの装いをしている。
「それでは、こちらはアタシが……。お二人とも、ご武運を」
「クス……それはこちらの台詞だ。ここから先、お前に何があっても私達は駆け付けられない。戦いは不得手なのだろう? ……しくじるなよ」
「どうか……お気をつけて……っ!!」
先へと進むべく階段に足をかけたテミス達を見送るように、コスケは第二層の床で相も変わらず人の好い笑みを浮かべたまま言葉を交わす。
しかし、戦う力に乏しいコスケの単独行動が危険極まりないものである事に変わりは無く、テミスの傍らに立つシズクも不安気に瞳を揺らしながら、気迫のこもった口調でそう告げていた。
「……お二人のご心配は痛み入ります。ですが、どうかアタシの事はお気になさらず。ここに残るアタシよりも、先に進むお二人の方がずっと危険なのですから」
「っ……!! コスケさん……まさかっ……!?」
「解った。ここは任せる」
そんなシズクの言葉に、コスケが静かな……しかし力強い声でそう返すと、シズクは鋭く息を飲んで階段を一歩降り、テミスは短く言い放ってコスケへと背を向け一歩先へと足を進める。
「テミスさんっ!? なんでっ……!!」
「…………」
直後。
シズクは素早く身を翻すと、先へ進んだテミスを咎めるように睨み付けながら問いかけた。
しかし、一度背を向けたテミスが階下へと向き直る事は無く、テミスはただ黙したまま肩越しに冷ややかな視線をシズクへと向けていた。
元来、テミスは敵陣へ斬り込む役にシズクを同行させる事を最後まで渋っていたのだ。
敵陣深くに斬り込むこの役は、引き際を誤れば即、死に直結する。
だからこそ、シズクにはコスケの護衛か、カガリと共に城下のオヴィム達と連絡を付けると同時に、退路を確保する役を任せるつもりだったのだが。
コスケの根気強い説得と、何より本人の強い希望により、最終的にはテミスが折れる形で同行を許したのだ。
「ふふ……やれやれ、厳しいですねぇ、テミスさんは。アタシは譲りませんよ? 絶対に。いくらアナタとはいえ、一人で斬り込むのは無茶だ」
「足手まといに用は無い」
「っ……!!! で、でも……!! その為にコスケさんが犠牲になるなんて……私ッ!!」
「大丈夫。アタシだって、こんな所で死ぬつもりなんかありません。だからこそ、テミスさんも『任せた』と仰って下さったのです」
「…………」
厳しいのはどっちだ……と。
優しくシズクを説き伏せるコスケの言葉を聞きながら、テミスは心の中で密かに呟いた。
シズクの精神はまだ、戦場での覚悟を解する程に成熟はしていない。
だからこそ、自らの命運と共に先に進む役を仲間へと託し、危機へと飛び込もうとしたコスケの言葉を、シズクは犠牲だと受け取ったのだ。
確かに、未知数の力を持つ王と戦う可能性が非常に高い事を鑑みるのならば、少しでも戦力は欲しい所だ。
けれど、残してきた仲間に心を残すくらいならば、足手まといになる前に、コスケと共に両親を助けに行かせてやればいい。
「っ……!! お手間をおかけして申し訳ありません。猫宮滴、後に続きます」
「……良いのか? 今生の別れになるかもしれんぞ?」
「なりません。きっと。私はそう信じますッ!!」
そう思っていたからこそ、テミスは意を決したように階段を駆け上がってきたシズクに冷ややかな声で応じた。
しかし、シズクはそんな意地の悪いテミスの言葉に、不敵な笑みを浮かべてそう応じてみせる。
おおかた、コスケの奴に上手い事丸め込まれたのだろうが……。
「戦略的な説明はお任せします。どうか道すがらにでも、教えてあげてください」
「なっ……!?」
テミスがコスケの方へと視線を向ける頃には、階段の下に既に彼の姿は無く、第二層に通づる廊下の向こう側から器用に顔だけを出して朗らかにそう言い残すと、ヒラヒラと手を振って姿を消してしまう。
「っ~~~~!!! コスケの奴……ッ!! ハァ……まぁいい、ならば行くぞ。その覚悟を忘れるなよ」
「はい!!」
一方的に残された形となったテミスは、歯を食いしばりながら忌々し気にコスケの名を呼んだ後、意識を切り替えてシズクに語り掛けると、共に上階へと駆け出したのだった。




