99話 はじまりの地へ
森を抜けると、遠くには懐かしい光景が広がった。
長ったらしく続く壁に沿って続く街道と、その壁を隠すように等間隔で植えられた街路樹が並んでいる。
「フッ……」
隊列を組んで疾駆する一団の中心で、フードを目深に被ったテミスは密かに頬を緩めた。
厳密に言えば場所が異なるが、全ての始まりの場所と言えば間違いなくこのロンヴァルディアの外を這う街道と言う事になるのだろう。
「懐かしいな……」
テミスは誰にも聞こえないような小さい声で呟くと、帰郷の哀愁にも似た感情に身を委ねた。
「まさか……こんなに上手くいくとは……ケンシン殿の情報には脱帽ですな」
「ああ、そうだな……」
隣を走るマグヌスの言葉に応えると、テミスは哀愁から身を引き上げてテプローにで待つ共犯者へと意識を向けた。
大宴会の翌朝。ケンシンが寄こした作戦書には、複数の行程が記されていた。それは幾重にも枝分かれしながら絡み合い、状況に応じた選択肢をテミス達に示していた。
「あそこまでお膳立てされて失敗する方がおかしいだろう」
作戦所には行程の地形図だけではなく、ベースキャンプを張るのに適した人通りの無い場所や食料の調達場所など、まさに完全攻略本のように完璧な情報が記されていたのだ。
「それだけ、奴も本気だという事だろうな……帰路でくれぐれも迷惑をかけるなよ?」
「ハッ……重々承知しております」
テミスはマグヌスに釘を刺すと、テプローを出立する時にケンシンが見せた真剣な表情が、彼の言葉と共に脳裏に浮かんできた。
「本当なら僕も同行したいところですが、僕がついて行っても役に立つことは少ないでしょう。いえ……寧ろ目立って邪魔をしてしまうかもしれません。ですからどうか……彼女の事をお願いします」
微笑の仮面を捨て去って告げたケンシンの言葉には、自らの手でフリーディアを救いに赴けない口惜しさが色濃く滲んでいた。
「フン……甘い奴だ……」
テミスはそう呟くと、意識を切り替えて前方を見据えた。既に部隊は町の防壁に沿って走っており、遠くにはいつか潜った物だと思われる門が見え始めていた。
「テミス様……ご準備を」
「ああ……」
隣のマグヌスがそう呟くと、テミスはコクリと頷いて馬の背中に身を伏せる。万が一にでも、この軍団の中に私が居るのを見られてはならない。
「っ……総員ッ! 突撃ッ! 緩み切った連中の腸を喰い破ってやれェッ!」
「オオオオオオッッ! テミス様に続けェッ!」
先頭のサキュドがチラリとこちらを振り向いて確認をすると、背負った漆黒の大剣を引き抜いて鬨の声を上げる。それに続いて周りの兵達もまた、猛り来るった咆哮を上げた。
「ククッ……案外サマになっているじゃないか」
テミスは兵士たちの咆哮に隠れてそう呟くと、満足そうに笑みを浮かべる。
マグヌスの立てた作戦は、欺瞞戦闘による楔の打ち込みだった。
テミスに化けたサキュド率いる十三軍団がロンヴァルディアを襲い、そこに颯爽と現れた一人の冒険者が激しい戦闘の果てにそれを退ける。無論、この戦闘で兵を消耗させるような愚を犯す必要は無い。
適度に戦い、適度に打ち合った後、私を置いてサキュド達は引き上げる。残された私は、魔王軍の急襲から町を救った英雄として迎え入れられるという寸法らしい。
「敵襲~ッ! 敵襲だぁッ~!!」
壁の向こうからは、恐怖に慄いた叫びが漏れ聞こえてくる。
安全地帯だと思って安穏と暮らしていた連中が、自分の身が危機に突き落とされて恐怖していると考えると、少しだけ胸がすく思いだ。
「今ですッ!」
「わかった! ファントの事は任せたぞっ!」
「ハッ! お任せをっ!」
隊列が形を変え、街道一杯に広がると同時に前方で爆発が起きる。人間兵たちの視界が完全に遮断された瞬間。短くマグヌスと言葉を交わしたテミスは疾駆し続ける騎馬から飛び降りた。
「グッ……クッ……はっ!!」
着地と同時に、凄まじい負荷がテミスの足を襲う。慣性で進み続ける体と、その早さに対応しきれない足が悲鳴を上げる。しかし、急速に減速しながらもテミスは体勢を立て直すと、強く地面を蹴って街路樹の影を疾駆した。
「食い止めろォ! 絶対に町に侵入させるなぁッ!」
前方では、わらわらと門から溢れてくる衛兵たちが、サキュド達にいとも容易く蹂躙されていた。傍から見れば見るからに大振りだったり、あからさまに宙を狙って剣を振っていたりと滑稽だったが、私が追い付くまで時間を稼いで貰わなければならないサキュド達にとっては苦肉の策なのだろう。
「……酷い練度だな」
テミスはボソリと呟くと、腰に携えた剣を抜き放ってサキュド達の前へと踊り出る。同時に、泣き叫ぶ兵士へと振り下ろされる漆黒の大剣を、派手な音を打ち鳴らして受け止めた。
「下がって体勢を立て直せッ!」
「っ……た……助かるッ!」
フードを目深に被ったままテミスが叫ぶと、浮足立っていた兵士たちは一斉に門の中へと駆けこんで行った。
「…………」
「…………」
テミスとサキュドの間に気まずい空気が流れ、剣が擦れる音だけがやけに大きく戦場に鳴り響いた。
こいつ等は真性の馬鹿なのではないだろうか? いくら軍団長の剣を受け止める程の強さがあったとしても、周囲の兵まで単騎で食い止められると本気で思っているのだろうか?
「なっ……なかなかやるではないかッ! お前達、どうやらこいつは一足先に死にたいらしいぞ?」
言葉に詰まったサキュドがそう部隊に呼びかけると、ぽかんとした顔で凍り付いていたマグヌス達がこちらに向けて武器を構える。
「フッ……私を斃せぬ限りこの門は通れんと思え! さぁ、どこからでもかかってくるがいいッ!」
テミスは大仰な台詞と共に剣を払って鍔迫り合いから脱すると、サキュドに向けて剣を向けて宣言した。それを聞いたテミスの後ろの兵士たちから、歓声のどよめきが聞えて来る。
「アホか……。まさかここまでレベルを落とさねばならんとは……」
サキュドと向き合ったテミスは密かに呟くと、遠くに広がる青空を仰いだ。後々に間抜けな十三軍団なんて悪評が広がらなければいいが……。
想定の斜め上をいった現状に、向き合った十三軍団の全員は心の中で頭を抱えたのだった。