1089話 真なる計略
最悪の事態だ。
ギルファーの王子、ヤタロウへと慎重に問いかけながら、テミスは心の内で密かに毒づいた。
奴の言葉が全て真実であるならば……なるほど、一応は国に住まう民の為に魔獣を狩らせ、積年の恨みと突如空いた王座への渇望から無為に争う連中を制した事になるのだろう。
だが、ギルファーの外……ファントから、ギルファーとの戦争という未来に起こりかねない災禍を止めるべく来たテミスにとっては、ヤタロウの存在は致命的だ。
これがもしも、王族同士の権力争いであるならば。
王子であるヤタロウが、彼の父母からギルファーの王たる地位を簒奪せんが故に動いているのなら、テミスの助力は融和派、過激派、現国王、王子の四つ巴の争いに加えられた内政干渉となり、今後に軋轢を残す可能性が高い。
「私の目的……か……。そうだね、端的に言うのならば、愚かな両親からその王位を奪い取る事……かな?」
「っ…………」
そんなテミスの内心を知ってか知らずか、ヤタロウは少しだけ考える素振りを見せた後、困ったように眉根を下げて微笑みながら答えを返した。
そしてその問いは、テミスにとっては絶望的なもので。
テミスは一人、ギシリと固く食いしばった歯の隙間から、長い吐息を静かに漏らした。
しかし。
「ふふっ……そう早とちりしないで欲しいな。確かに、私の企んでいる事は王権の簒奪に変わりないのだろうね」
「……それ以上に何があるんだ。正直に言うぞ。冗談じゃない、私は降りる。血気盛んな連中が息まいていると思えば何だ。結局の所は王族同士の争いじゃないか」
「そうでもないさ。いや……テミス。君がここで私の父母や、過激派の皆に付くというのならばそうなるかもしれない……。けれど」
内心の落胆を隠そうともせずに表すテミスに、ヤタロウはその顔に浮かべていた柔らかな笑みを消して、真剣なまなざしで言葉を続ける。
「私に……いや、このまま融和派の皆に力を貸して貰えるのならば話は別だ」
「根拠は? 肩入れする先が変わるだけだ。王の首がお前に挿げ変わるだけだろう」
「……私の父母が。ギルファーの国王夫妻が、愚かにも世界を統べようと企んでいるのだとしてもかい?」
「なっ……!?」
「えっ……!?」
直後。
ヤタロウの口から告げられたのは、テミスですら耳を疑うような言葉だった。
それには、これまで口を閉ざして傍らで話を聞いていたシズクでさえ、思わず驚愕の声を漏らしてしまう程で。
だというのに、ヤタロウは至極真面目な顔で、驚愕するテミス達を見つめ続けていた。
「っ……!!! 馬鹿な。到底あり得ない。無茶だ。妄言としか思えん」
「私も……そう思います。過激派の主張する、人間相手への復讐ですら無謀なのです。だというのに、世界を統べるなんて」
「……そうだよね。そう思うのが普通だし、事実。今のギルファーが総力を以て攻め込んだとしても、ロンヴァルディアさえ攻め落とす事はできないだろう」
「…………」
そうだ。
シズクの言葉をゆっくりと頷いて肯定するヤタロウの独白を聞きながら、テミスは自らの頭の中で現在の勢力図を思い浮かべた。
確かに、今のロンヴァルディアは我々融和都市ファントとの戦いで疲弊している。
とはいえ、ギルファーがロンヴァルディアに攻め込んだとてフリーディアが……ひいては私達ファントが……下手をすればギルティア率いる魔王軍も黙ってはいない。
私とフリーディアがファントに根ざす限り、内部からであろうと外部からであろうと、余程の命知らずでない限り、あの平穏においそれと手を出す事は出来ない筈だ。
「でも、私達には代々伝わる秘術があってね。本当は、真なる勇者に託すべきものらしいんだけど……」
「秘術……だと……?」
「そう。曰く、存在そのものを上位へと引き上げ、比類なき力を得る事ができるらしい。その内容は、笑っちゃうくらい荒唐無稽だったんだけどね」
「それは……何といいますか……」
「っ……!!!!」
ゾクリ……。と。
まるで冗談でも語っているかのような口調で言葉を続けるヤタロウと、その調子を真に受けて笑みを零すシズクの隣で、テミスは一人己が背に走る悪寒に戦慄していた。
上位なる存在、比類なき力。こうも怪し気な言葉を並べられては、その存在は嫌でも脳裏へと浮かんできてしまう。
――女神。
テミスや他の転生者たちをこの世界へと送り込んだ張本人であり、全知全能ですらないくせに神を自称する謎の女。
その力の一端。
まさに転生者達も与えられた力が、何らかの方法でこの世界に零れていたのだとしたら……?
あの自称女神は、女神らしい慈悲の心を痛ませ、欲望ばかりで何の力も持たないひ弱な人間を元に能力を与えていた。
だが、もしもこの能力を。生来優れた力を有する魔族や獣人族が手にする事ができたのなら……?
それは間違いなく、世界を揺るがすに足る程に強力な力となるだろう。
「そうか……!!!」
そこまで考えが至ると、テミスは無意識のうちに自らの掌で唇を覆い、目を見開いて呟きを漏らしたのだった。




